夕方も過ぎようとしている頃。晩飯の匂いが漂い始めた食堂に真っ先に現れたのはエースだった。慣れたように厨房に声を掛けていつも通り晩飯を貰おうとしたが、声を掛けようとした相手であるサッチは見るからに悩ましそうな様子だった。

「どうかしたのか?」
「ん?あぁ、エースか。いや、今日はお嬢さんの姿一度も見てねえなあって。」
「お嬢さん?」
「ナマエちゃんだよ。いつもある程度決まった時間に飯を食いに来るんだが、今日は朝から来てなくてなぁ。」
「寝てんじゃねえのか?」
「お前じゃあるまいし。」
「おい。」

サッチの言い方に腹を立てたエースはもう無視して飯を食おう、と他のやつに声を掛けようとしたがずいっと目の前に現れた物に止められた。温かいスープとパンがサッチの持つトレーの上にあったが、エースはそれが自分の物では無いと直ぐにわかった。圧倒的に普段のエースの食べる量に及ばないからだ。

「ナマエちゃんの所持って行ってくれないか。一食目でも食える物にはしたつもりだから。」

別に断る理由も無いが特に自分が行く必要もない。腹が減ったエースはまず自分の腹を満たしたかった。けれど料理長のサッチにはそんな事お見通しだ。

「お前も一緒に食ってこいよ。ナマエちゃん用の特製スープお前の分も付けてやるから。あっ、他の奴には内緒な、それしかねえんだ。」

そう言われては流石のエースも断れない。この料理長の作る物が大層美味しいことは身をもって知っているのだから。器用に自分の晩飯が大量に乗ったトレーと、彼女のこれで腹が膨れるのかエースにとっては疑問ばかりの量のトレーを持ち、彼女に貸されている部屋へ向かった。
女性だからとエース達、男が使う部屋から少し離された位置にある部屋は、船中の喧騒が聞こえるものの遠く、比較的静かであった。だからナマエの部屋の方から大きな物音が鳴りエースは酷く肩を跳ねさせて驚いたのだ。慌てて料理が溢れてないか確認し音の出所を探すとやはりナマエの部屋だった。何かあったのかとノックもせずに足でドアを開けると部屋は酷い有様だった。

「ナマエ?」
「っ、エース…。」

エースが呼ぶとナマエは直ぐに振り返るがその顔は酷く悲壮だった。彼女の手は古い新聞を机に叩き付けた様に触れていた。音の出所はこれだろう。部屋には先日船のみんなから集めたり借りているだろう本がそこかしこに大量に積まれ、新聞紙が床に散乱し中には彼女自身が書いたであろう紙もあった。部屋のその状況自体は国家錬金術師であるナマエにとっては研究や仕事に没頭するとよくある事だ。しかしそれを知らないエースからしてみれば表情も相まってえらく切迫した様子に見えたのだ。

「大丈夫か、なんかあったのか?」
「エースこそ、どうしたの。」
「俺はサッチに頼まれて飯届けに来たんだよ。」
「そうなんだ、ありがとうわざわざ。ただ私ちょっと船長さんに用事あるから置いておいてくれる?後で食べるからさ。」

ただ淡々と矢継ぎ早く告げるナマエはエースと目を合わさない。さっきは不意だったからあんな顔を見せただけで本来なら見せたくはなかった。そんな早く部屋を出たいナマエを知ってか知らずか、トレーを置いたエースに安心した束の間。体温の高いエースの両手にナマエの腕は掴まれていた。

「…何。」
「何急いでんのかは知らねえけど、飯は食え。」
「後で食べるってば。」
「駄目だ、今食べろ。朝から何も食ってねえんだろ。サッチも心配してた。」
「……。」
「それともうちの料理長の飯が食えねえって言うのか。」

上から抑えられた腕では上手く振り解けず、そうまで言われてはナマエの分が悪い。いつもにこやかなエースがあまりにも真顔だから余計に怯んでしまったのだ。

「はぁ…、分かった。食べるよ。ありがとうエース。」
「よしっ。」

言うや否やいつもの笑顔に戻るのだから狡いなとナマエは思いながら腰を下ろした。まだ湯気立つスープは相変わらずナマエにとって馴染みはないが美味しい事は分かっていた。

「よく飯食わないで居られるな、信じられん。」
「忘れちゃうのよ、お腹も空かないし。」
「死ぬぞお前…。」
「そんな簡単に死なないって。」

漸くご飯に手をつけ先程よりはマシな顔になったナマエにエースも安心して自分のご飯を食べる事が出来た。少し冷めてしまったがそれでも大層美味しい料理達だ。次第にナマエの表情はいつもの冷静さを取り戻していたからエースは問い掛けた。

「親父に何かあんのか。」
「あぁ、さっきの。うん、聞きたい事が出来た。」
「聞きたい事?」
「この世界の事。私が思ったより、ずっと、根深い何かがある。船長さんなら色々詳しいだろうし、当時の話も聞きたいから。」

エースは難しい話が得意ではない。ナマエの曖昧な説明では尚のこと理解が難しかった。それでもこの世界の事と聞いて嫌な顔をしそうになるのは、エースもまた無意識に世界の"根深い何か"によって害された事があったからだ。けれど何故そんな話を2人がするのかまではエースには分からなかった。

「みんながくれた新聞や本はきっと真実なんだろうけど、それを鵜呑みには出来ないから当時の人達から聞きたいの。出版物なんて所詮政府の管轄だから、違う視点が必要なのよ。私の、今後の身の振り方にも関わる事だから。」

そう言うナマエのこの部屋には古い新聞や本が沢山あった。それこそエースが産まれる前の物まで。内容まで興味は無いが度々碌でもない記事がある事は知っていた。その真実が知りたいのだと目の前の彼女は言う。自分の住む世界とは違う世界の事をわざわざ知りたいのだと。己でさえ薄っすらと知っているか知らないか程度の事を。

「俺も一緒に親父のところに行く。」
「え?」
「この世界の事なのにお前が知ってて俺が知らねえの、変だろ。」
「そんなこと、無いと思うけど…。」

人間誰しも知識に偏りがある物だ。必要な知識は人それぞれなのだから、無理に必要のない知識を得る事は無いとナマエは思っていた。この世界で生きているからこそ知っている事、知らない事それぞれあって構わないだろうに負けず嫌いなのか何なのか。それでもこうなったエースが折れない事は短い期間でナマエはよく分かっていた。

「…楽しくない話ばかりするよ。」
「分かってるよ。」
「この世界に住む人、エースを、傷付ける話をするかも知れない。」
「んな簡単に傷付かねえよ!」
「…私に負ける癖に。」
「あぁ!?」

それでも折れて欲しかったのはナマエの大人としてのエゴだった。大人になったら嫌でも知ってしまう事をどうして子供達は知りたがるのだろうか。どうして子供のままでは居てくれないのだろうか。

「分かった。けど、私が何を言っても口出さないでね。」
「おうっ。」

条件よりも了承を得た事を喜ぶエースにいつだって弱いのは大人だとナマエは思うのだ。
部屋


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