あたしの人生最大のターニングポイントは間違いなくホグワーツ入学日のコンパートメント内にあった。もし人生がやり直せるチャンスを神から与えられたとしたら、あたしは間違いなくあの日に戻って別のコンパートメントに全力で乗り込んだことだろう。寮は絶対グリフィンドール、勇猛果敢な赤色に隠れてひたすら緑色の奴から逃げ回るのだ。そんな夢物語を空想してしまうくらい、奴との出会いは失敗であった。そう、悲しいことにあたしは選択を間違えてしまった故とんでもない奴に目をつけられるハメになったのである。

きっかけは今でも思い出せる。親はいなかったが、魔女の友人(7歳年上)がいた為何となくこの世には魔法族と非魔法族がいると知っていたあたしは、2人しか居ない、しかも非力そうな同い歳の女の子(あたしの事だ)に自分が如何に優れているかを示す為かやれ窓ガラスを割っただのやれ本を自由に浮かせられるだのと武勇伝を繰り広げる目の前の少年…今の奴じゃ考えられないから、多分奴も調子に乗ってたんだと思う…に、「そんなの魔法界じゃ普通じゃないの?」と奴のエベレストより高い自尊心をぶち折る魔法の言葉をぶつけてしまった。怒り狂った奴のえげつない本性を見てしまった私は、何故かビビった組み分け帽子に全く適性の無さそうなスリザリンと震え声で叫ばれて以来、奴の手の届く範囲で管理される生活を送ることになってしまったのだ!


「ああ、今日もリドル様は素敵だわ!」

「リドルって凄いよな!」

「リドルくん、私に魔法薬学を教えてくれたの!」


行く先行く先奴の忌々しい名が聞こえる。最悪だ、皆騙されているんだ。叶うなら大広間でソノーラスの力を借り、大声で奴の私に対する悪行と崇高なるマグル殲滅作戦(笑)をベラベラと語って聞かせてやりたいが、まあ、無理だ。禁じられた呪文を使わなくたって私の口を封じる呪文を奴はトーストにバターを塗るが如くサラッと使うことだろう。5年生なのに7年生の科目までバッチリ履修済みな奴に死角は無い。なお同じ5年生であるあたしは奴がいなければ進級が危うい程のアホである。天は二物を与えずとは嘘だったようだ。奴は顔も良ければ頭も良い。私にどっちか分けて欲しかった。
そんな奴は相変わらず余所行きの胡散くさい笑みを浮かべながら、「何食べる?」と私に聞きつつも既にアップルパイを私の口に突っ込んでいる。ジュッと舌が焼ける感触。


「あっつ!!!おいトムリふざけんな!!」

「君の顔がアホみたいになってたから治してあげただけだよ」

「誰がアホだ!!」


奴と喧嘩するのは日常茶飯事だ。よくもまあ飽きずに毎日毎日あたしに喧嘩を売れるもんだと感心すら覚える。無駄なことと頭ゆるゆるな人間が大嫌いな奴にとって、両方の性質を持つあたしが存在することさえ許せないのだろうか。前に気になって一度聞いてみたが、「君みたいな馬鹿には一生分からないよ」と鼻で笑われてしまった。腹が立ったから奴のサラサラな黒髪をあたしの馬鹿力で引っ張ってやった。完全にあたしのことを舐めてやがるんだ、奴は。

だが、奴は別にあたしのことをわざわざ手元に置く必要は無いのだ。あたしは入学初日から今日まで毎日奴とご飯を食べ、授業を受け、談話室で別れるを繰り返してきた。その為あたしには奴以外日常生活を共にできる友人がいない。寝室仲間は皆奴をスターか何かと勘違いしてるから、そんなスターと一緒にいるあたしは奴の情報を渡してくれる便利な情報屋にしか思っていないのだ。なんか自分で言ってめちゃくちゃ悲しくなってきた。
そう、だから、奴が切ろうと思えばあたしなんて簡単に切り捨てられるちっぽけな存在なのだ。奴は着々と部下を増やし、いつか世界を混沌に陥れる為の準備を進めている。その部下にひと言、「あ〜ナマエうぜぇな」と言えば従順なる部下はあの手この手を使ってあたしをこのホグワーツから追い出すだろう。奴は平穏無事に悪業に勤しめる環境を手に入れ、うるさいあたしにストレスを抱えることなく優雅な学生生活を謳歌できる。

だから、どうして奴があたしを捨てないのかが分からない。


「ほら、いつまでボーッとしてるんだマヌケ。とっとと部屋に戻って教科書取ってこいよ」

「あ、うん。ごめんね」

「……君が謝るなんて珍しい。午後は空から槍でも降るんじゃないのか?」

「失礼だな!あたしだって謝れるわ!!」


ほら、早く行けよと手を振られイラッとしながらも談話室から女子寮に向かう。ふと気になって振り返ると、奴は談話室のソファに座り、パチパチと燃える薪を親の敵でも見るような目で睨みつけていた。

どうして奴はそんなにも世界を憎むのだろう。

気になったが、あまりに遅いと本気で置いていかれてしまう。あたしは慌てて教科書を取りに走った。




授業を真剣に聞くふりをしながら、そっと隣を盗み見る。奴は温和な紳士の顔を貼り付け、とても美しい字で授業の内容を羊皮紙に書き写していた。


「何?僕の顔に何かついてる?」

「なんでもない」

「ふーん。変なナマエ」

「痛ッッ!!!なにするんだこの野郎」


周りが見てないからと奴は思いっきり私のつま先を踏みつけてきた。最低だ。女の子の足を踏んでグリグリするなんて男の風上にも置けない最悪な屑だ。
だけど、あたしをいじめる時だけ奴は年相応な顔をするから、あたしはどうにも本気で怒れない。だって、いつものお澄まししている顔より百倍マシだ。絶対に教えてやらないけど。




「ほら、起きてよ馬鹿ナマエ」

「ん……?うお、寝てた……」

「はぁ…全く。君はいつも自分勝手だ」

「えっ、なに悪口?酷くない?」

「まあ良いや。ほら、立って。図書館行くよ」

「ええーあたし別に用事無いんだけど」

「僕があるんだよつべこべ言わずに着いてこい」

「チッ」


どうせ今日も図書館で一歩間違えたら禁書扱いになる闇の魔術でも調べるのだろう。逃げ出さないようあたしの右手を掴む奴の左手の温もりを感じながら、あたしは小さくため息を吐いた。


あたしはどうして奴がそこまでマグルを嫌うのかが理解できない。奴とは頭の作りが違う。きっと神様はあたしの頭に綺麗なお花をたくさん入れてくれたが、奴には泥や芥をぶち込んでしまったのだろう。ほんの少しでもお花を入れてもらえたら、こんなひねくれた性格にならなかったかもしれない。そう考えると少し面白くて、ひとりクスクスと笑ってしまった。




「リドル!」


図書館に入る前、誰かが奴を呼び止めた。一体誰だと振り返って見ると、ホグワーツ一二を争う美人であるラベンダが、頬を真っ赤に染めて奴を見つめていた。奴はあたしをちらりと一瞥すると、完璧な笑顔を顔に貼り付け、普段のあたしに向けるより何倍も優しく甘い声を出した。


「やあ、ラベンダ。どうしたんだい?」

「あ、あの、夕食後って空いてる?魔法薬学でわからない所があるから、私教えて欲しくて」

「大丈夫、特に予定は無いよ。じゃあ、夕食後談話室で」

「ありがとう!」


ニコニコと笑いながら去るラベンダに、1ミリも変化しない笑顔のまま手を振り返す奴。
「さ、行こうか」とあたしに向ける声は既に低く、素敵な笑顔も不機嫌そうな顔に逆戻り。奴はあたしに優しさを与えるくらいならふくろうに食わせてやる方がマシだとでも思ってるのかもしれない。もう少しあたしにも優しくしてくれないかな。いや、それはそれで気持ち悪いからやっぱ良いや。そういえば、手はラベンダと話している間も繋いだままだった。恋人だと勘違いされないと良いけれど。そんなことを考えながら、あたしは入り組んだ本棚の隙間をどんどん進む奴の背中を一生懸命追いかけた。


奴はあたし以外にはとても優しい。困っている子は寮を問わず手を差し伸べる。あまりにその姿が自然なものだから、皆勘違いしている。奴の成績が優秀なのは、奴が夜遅くまで勉強しているからだ。奴が優しいのは、優しくしておけばうっかりボロを出しても疑われないからだ。

あたしだけだ。あたしだけが奴の本性を知っている。

理由は全く分からない。孤立してるから平気だと舐めているからかもしれない。頭が愉快だから意味を理解できないと高を括っているのかもしれない。
だけど、あたしは奴に理由を聞くことができない。
あたしは狡猾とは縁の遠い、明るく素直な子だ。そして、とても臆病だ。この関係が途切れてしまうのを、あたしはとても恐れている。あたしの前で見せる素の顔を、もう二度と見せてくれなくなってしまうかもしれない。そしたら、奴は自分自身でさえ偽って生きることになってしまう。それはとても悲しいことだ。




あたしの向かい側で夢中になって本を読む奴の顔をじっと見つめる。今、奴は腹の中で何を考えているのだろうか。マグルに対して憎悪を燃やしているのだろうか。崇高な計画を完璧に成功させる為の作戦を練っているのだろうか。

……それは、本当に奴がやらなければならないのか?


「ナマエはさ、」

「うおっ!急に喋らないでよビビるじゃん」

「ナマエはさ、自分の親について気になったことある?」

「は?」

「だからさ、ナマエは親のこと知らないだろう?自分が純血なのか混血なのか、それともマグルなのか。気になったことはないのかい?」

「えっ、うーん。どうだろう。あたしの家族はおじいちゃんとおばあちゃんだけだし、2人ともホグワーツを知らなかったから純血は有り得ない。でも、別にどっちでも良いんだ。あたしが混血だろうがマグルだろうが、あたしはあたしだ。それは変わらないよ」


そう答えてからあたしは、今目の前にいる奴が血にコンプレックスを抱えていることを思い出し、答えを間違えたと冷や汗をかいた。今すぐ殺されてもおかしくないと震えるあたしに対し、奴は「ナマエらしい愉快な考えだよ」と心から楽しそうに笑った。

あたしはこの時気づいたのだ。

あたしは奴の年相応な顔を、ただのトムを引き出さなければならない。崇高な計画がいかに馬鹿馬鹿しい考えなのか教えてやらねばならないのだ。そう、世界中を探しても、あのダンブルドアでさえも奴を止められない。あたしだ。あたししかいないのだ。この世にたった一人、何故か対等に扱われているあたしだけが、奴を止められる人間なのだ。

あたしは臆病だ。今だってこの関係が壊れてしまうことを恐れている。それでも、腹をくくるしかないんだ。勇気を出せ。本性を知るあたしが止めなくてどうする。


「もしも……もしもあんたが間違った道に進むなら、あたしはあんたを地の果てまで追いかけてアズカバンに送ってやる」

「へぇ、ナマエが?闇祓いでも目指す気かい?」

「いや成績的に無理でしょ。ボランティアだよ」

「ボランティアかよ」

「やめて欲しいならマグル殲滅作戦を破棄しろ」

「嫌だ。何年かけて計画を進めてきたと思ってるんだい?今更引けないよ」

「だよねー。あたしも知ってるし」


机に突っ伏してはぁぁ、とデカいため息を吐く。いくらあたししか奴を止められないとはいえ、知力が月とすっぽん並に離れたあたしに奴をなんとかできるとは思えない。恨みを込めて奴を見つめてみると、奴は何故か嬉しそうな顔をした。


「でもさ、それってプロポーズだよね」

「は?頭沸いてんのか」

「だってナマエに僕が捕まえられると思えないし。君の一生を僕に捧げてくれるんだろ?」

「気持ち悪い解釈やめろ!あたしはあんたと真反対の誠実で優しい人間を旦那に迎え、晩年はたくさんの子どもと孫に囲まれて暖炉の前でロッキングチェアに座りセーターを編むという夢があるんだ!」

「そんな夢本気で叶うと思ってるの?ナマエの素敵な友人なんて僕しかいないのに出会いなんて無いよ。断言しよう、無理。トロールと付き合う方がまだ現実味があるよ」


前言撤回、あたしに奴は救えない。もう手の施しようがないくらい重症だ。というか人生を奴に捧げるなんて冗談じゃない。ひらひらと両手を上げて降参のポーズをとる。


「やっぱあたしには荷が重いわ。どこか飲食店で雇ってもらうことにするよ」

「は?」

「え、なんでそこ怒るの」

「ガサツなナマエに飲食店なんて務まるわけないじゃん。3日で追い出されるに決まってる」

「じゃあどうすりゃ良いんだよあたしは…」

「僕に着いてくれば良いじゃないか。どうせナマエ1人じゃなんにもできないんだし」

「あたしの親両方マグルなの知ってるだろ喧嘩売ってる?逆にお前が着いてこいよ」

「それでも良いけど」

「……は?」

「そうか、僕がナマエに着いていけば良いのか。なんで気づかなかったんだろう。ナマエに気付かされたのは癪だけど」

「……は?え、ちょ、リドルさん…?」

「4年も一緒に居て今更僕から離れようだなんておこがましいと思わない?絶対離さないよ。君が死ぬまで付き纏ってやる」

「リドルさん、顔怖い、というか近い机乗り越えんな馬鹿」


背中から黒いオーラを出した奴は机に乗り、どんどんあたしに顔を近づけてくる。なんなんだ、情緒不安定か。てか近い、めちゃくちゃ近い。そんな奴は慌てるあたしの左手を掴むと、左指の付け根を口に含み、力強く噛んだ。噛みやがった。


「痛ァ!!!し、信じられない!!変態だ!!」


なんてこった。付け根の周りが赤黒く変色してしまったではないか。信じられない。今日の奴はちょっと、いや大分変だ。全く奴の考えていることが分からない。理解不能だ。頭が変になってしまったに違いない。
どうにかして正気に戻せないものかと脳みそを必死に回転させて考える。駄目だ、分からない。助けてダンブルドア。不思議系甘党爺さんだと笑って悪かった。謝るから今すぐ奴を止めてくれ。


「分からないって顔をしているね。良いんだ、君みたいな馬鹿には一生分からなくて良い。でも、僕はどうでも良い相手のことなんて面倒みないし、寝てるのを起こしてやったりもしない。絶対に僕の本性を見せたりしないよ」

「あ、そう…へえ…」

「自惚れなよ。僕は君を手放したくないと言っているんだ」

「全然ありがたくねぇ…指噛まれるし…最悪…」

「これは印だよ、君が僕の所有物だというね。誰ひとりとして君に近づく者は許さない。今までも、これからも」


奴は目を赤く輝かせ、恐ろしいほど綺麗な笑みを浮かべた。闇の帝王として君臨するのに相応しい、ゾッとするほど冷たい笑みだった。恐怖で膝がプルプル震えているし、涙もちょっと出た。


それでも。
それでも、あたしが止めなければいけないんだ。
奴が禁忌を犯してしまう前に、あたしが止めなければ。


「あたしは、あんたと共には行けない。行かない。あんたの計画なんて邪魔してやるし、あんたが人の道を外れないように首輪つけて見張ってやる。あんたが真っ当な人として生きるようになるまで、絶対邪魔してやるんだから」


奴を正面から睨みつけてやる。これはあたしの決意表明。どうして奴があたしを傍に置きたがるのか分からないけれど、あたしはそれを利用して奴の計画をぐちゃぐちゃに潰してやる。
すると、奴は顔を抑えてあは、あはははと笑いだした。図書館だということを忘れてしまったのだろうか。優等生が机の上に乗って高笑いしている姿を皆が見たら気絶してしまうかもしれない。あたしは慌てて奴に「早く降りないと誰かに見つかるぞ!」と忠告した。


「馬鹿じゃないの。とっくに人払いは済んでるよ」

「えっ、ええ…??」


奴は杖を取り出し、チッチッと上下に振った。ちょっとドヤ顔なのが腹立つ。どうやらあたしと話している間に人払いと防音は済ませておいたらしい。分かったから早く机から降りろ。そう言っても奴は降りない。そんなに机の上が好きなのかよ。奴はこんな時に限ってクリスマスにサンタクロースから欲しいおもちゃが届いた子どものような、心からの笑顔を浮かべている。情緒不安定にも程があるんじゃないか?


「やっぱりナマエ、それはプロポーズだよ」

「思考回路どうなってんの?」

「一生傍に居てくれるんでしょ?」

「居ません。なんでそうなるんだよ」

「僕はマグルは嫌いだし絶対滅ぼすけど、ナマエがもしマグルでも特別に生かしてあげる」

「話が通じねえ…」


よっ、と机を降りてあたしの隣に立った奴はそれはもう嬉しそうに笑った。あたしの左手を取り、愛おしそうに傷跡をさわさわと撫でる奴の目は、狂気だ。


「絶対に逃がさないからね、ナマエ」


その狂気があたしに向けられているのに気づいたあたしは、人生2回目のターニングポイントも選択を間違えてしまったのを悟ったのだった。


笑ってくれよ、神様
(あたしはいつも間違えてばかりだ)

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