リクエスト作品
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雲ひとつない晴天の中、中庭には穏やかな風が吹いている。ただいま三限、飛行訓練の時間だ。時間割組んだ奴は生徒が昼食をお腹いっぱい食べて飛行訓練なんてしたら空中が地獄絵図になってしまうと考えなかったのだろうか。1度痛い目を見た可哀想な生徒達はあちこちでお腹を鳴らしている(多分クラッカーか何かを少量だけ詰め込んだのだろうが、それじゃ足りるはずもない)。私は怖いから一食抜いた。この授業が終わったらこっそり厨房に忍び込んでサンドイッチを作ってもらう予定だ。
「あー、今日も良い天気!絶好の飛行訓練日和だね、セブちゃん」
「その呼び方はやめろ。というか僕の隣に来るな!!」
「え〜だって授業中にしか捕まえられないんだもん。いつもどこいるの?」
「お前には関係無い」
「良いじゃん良いじゃん」
「うるさい」
「辛辣辛辣ゥ!ケッ、これだから一途ちゃんは!女の子には優しくしてあげないとダメなんだぞ!」
「うるさいって言ってるだろ!」
「こら、そこ!お喋りしない!」
ギクッ、と肩を強ばらせて声の方を見ると、マダム・フーチがギロリとこちらを睨んでいた。すみませんすみません、と日本人の得意技である平謝りをしてお茶を濁す。良い歳して無駄話で怒られるなんて…と肩を落とすと、セブルスはドスッと無言でどついてきた。マジですまん。
「やーい!怒られてやんの!」
「なにやってんだよ!」
ワハハと笑い声が向かい側から聞こえ、なんだなんだ、喧嘩売ってるのかグリフィンドールオラァ!ツラ貸せ!とヤンキーの気持ちで向かい側を睨みつけると、離れた場所にいたはずのジェームズとシリウスが腹を抱えていた。やっば、と慌ててセブルスを見る。プライドが高い彼は唇を噛み締めて(そんなに強く噛んだら血が出てしまうんじゃないかと心配だ)、握り拳をワナワナと震わせていた。あちゃー、こいつらとセブルスが絡まないように敢えて離れた場所に来たはずなんだが。これからここは戦場になる。止めたいのは山々だが下手にこいつらの喧嘩に介入するとこっちにまで被害が飛んでくる為、私はぽん、とセブルスの肩を叩き「セブルス、君に決めた!」と叫んでそそくさと逃げた。
「おい、待てよナマエ!」
否、逃げようとしたのだが、急に腕を掴まれぐいっと後ろに引かれる。ぐえ!と色気もクソもない悲鳴をあげながら流れのままに倒れると、背中がぽすんと何かにぶつかった。体制的に腰がきついが犯人の顔を一目見てやろうと見上げると、豆粒くらい小さい時(…誇張した)から知っている顔があった。
「シリウス、どうしたの?」
「どこ行くんだよ」
「いや、君達がセブちゃんと喧嘩するのに巻き込まれたくないなーなんて思ったから…どこか遠くへ…」
「しねえよ喧嘩なんて!なあジェームズ!!」
シリウスが声を張ると、ジェームズが「当たり前じゃないか!」と妙に胡散臭い笑みを添えて賛同した。
「さ、ナマエも一緒に練習しよう!」
「おいジェームズ気安く触んじゃねーよ!」
「おお、怖い怖い。ナイト様に怒られちゃった」
セブルスそっちのけで傍に来たジェームズが私の腕を掴んで進もうとすると、何故かシリウスが怒った。お姉さんを取られたくないというフクザツなオトウトゴゴロというやつだろうか。可愛かったからついうっかり頭をなでなでしてしまったが、いつもと違いシリウスは少し…ほんのちょびっとだけ嫌そうな顔をした。
「……子ども扱いするなよ」
「えっ、い、嫌だった?ごめん」
慌てて手を引っ込めて謝罪を口にする。子ども扱いしていたつもりはなく溢れ出る思いがついうっかり表に出てしまっただけなのだが、本人が嫌がるならやめた方が良いだろう。そうか、嫌だったのか。もしかして昔から嫌だったのかな。何も考えず撫でてしまっていた自分が嫌になる。ちゃんとシリウスの気持ちを考慮すべきだったのに。う、やばいやばい気分よ沈むな。私は繊細なお姉さんなのだ。ガラスのハートの持ち主なのだ。お願いします優しくして!
「そんな暗い顔するなよ!別に嫌じゃねえよ!」
「うっ、うっ、優しい…フォローありがとう…」
「だァァ違う!!嫌じゃねえってば!!嫌じゃねえけど、こう、分かるだろジェームズ!」
「困った時僕に振るのやめてくれない?ナマエ、つまりシリウスは『可愛い』じゃなくて『カッコイイ』が良いってことさ」
「……可愛いじゃなくて、カッコイイ?」
「そ。ナマエがシリウスを撫でるのはシリウスが可愛い、ちょっとまってシリウスが可愛いって、ぶは、面白、ふふふ、あははは!!」
「ジェームズ!!!」
「あははごめんてシリウス、怒らないでくれよ!ゴホン、話を戻そう。ナマエはシリウスが可愛いと思ってるんだろう?そうじゃなくて、カッコイイって思って欲しいってことさ!フクザツなオトコゴコロってやつだね」
「へえー、通訳ありがとうジェームズ!シリウスもごめんね。でもシリウスはいつだってカッコイイよ!」
「お、おう」
「ほらほら、練習しようよ。マダム・フーチがさっきから僕達に熱烈な視線を送ってくるんだ」
「ゲ、やばいじゃんさっき怒られたばっかなのに」
「よし、空に逃げるぞ」
「はーい!」
良かった、可愛がられるのが恥ずかしかっただけだったのか。ホッと息を吐き、頬をパンと叩いて気合を入れる。よし、切り替え切り替え。そういえば頬を叩くと気合が入るのは何故だろうか。痛いのは痛いんだけど気持ちがスッキリするんだよね、これ。心理学的なホニャララがあれなのか、皮膚の痛みがあれでそれなのか。誰が言い出したのかはわからないけど素晴らしい発見だと思う。あっぱれ、発見者。とりあえずパチパチと手を叩いて名も知らぬ発見者に拍手を送ると、ジェームズが可哀想なものを見る目でこちらを見てきた。
「…何?」
「いや、ナマエって変わってるなあと思って」
「ジェームズに言われたくないんだけど」
「今更だろ。ちっちゃい時から変わってたぞ」
「ちょ、シリウス!?裏切り者め!!」
「ほら、こういう所」
「こういう所だね」
二対一で私が不利になってしまった為、ゴホンと咳払いして箒に跨る。これ以上話しているとマダム・フーチによる鬼減点を喰らってしまうだろう。そうなる前に早く空に逃げなくては。
柄をグッと握り、トンッとつま先で軽く地面を蹴る。すると勢いよく箒が上昇し、あっという間にホグワーツ城の屋根と同じ高さまでたどり着いた。その場でゆっくり回りながら辺りをぐるりと見渡す。どうやら他の生徒達は既に好きなように飛んでいて、クィディッチのミニゲームをしたり捻り回転を決めたりと遊んでいるようだ。ろくにマダム・フーチの話を聞いてなかったせいで何をするのか分からなかったが、どうやら今日は自由飛行で良いらしい。いかに周りとぶつからずに自分のやりたい事をできるかがチェックポイントなのだろうか。
……よし、いっちょ誰も見た事がないような回転技でも生み出してやるか。
足元から「ナマエ!そんなに高く飛ぶと危ねーぞ!」とシリウスの声が聞こえたような気がするがまあ大丈夫だろう。免許無しでも飛べる箒だ、多分なんとかなる。悪戯心(?)に火がついた私を止められる者は誰もいない。柄をぐっと握り締め、箒がジェットコースターのようなスピードで前進するイメージを思い描く。勢いに乗ったままUターン大捻り2回転。いける、いけるぞ私…!!カッと目を見開き、魔力を解放した。
バチッ、バチチチチ
「えっ、嘘ミスった!?うぎゃぁぁぁ!!!」
慌てて力を弱めようとしたが時既にお寿司、いや遅し。ブンと音を置き去りにして私の箒はスーパーカー並の速さで前進した。人間生身でスーパーカーなんかに乗ったら勢いで放り出されてそのまま複雑骨折ルートだからスーパーカーというのは誇張かもしれないけどあながち間違ってないと思う。ジェットコースターが可愛く思えるくらい速く箒が動く、動く、動く。風がキィィィンと鳴り耳が痛い。というか風に振られて箒がガクガク上下に揺れる。めちゃくちゃ怖い。でも手を離したら死ぬ。まさにデッドオアデッド。ホグワーツ城が上下左右目まぐるしく回転している、あ、いやこれ回転してるの私だ!!怖い!助けて!
「助けて下さいウワァァァァ!!」
すみません調子乗りましたごめんなさい許して下さいと誰に対する謝罪なのか分からないままとにかく言葉を垂れ流す。なにか言ってないと気が狂ってしまいそうだ。シリウスは私の異常に気づいているだろうか。風の音が邪魔して周囲の様子が全く把握できない。ああ、手汗がやばい。これは死亡フラグ……
「あ」
ツルッ、と手汗のお陰で両手が簡単に柄から離れた。
終わった…!
スローモーションを見てるかのようにゆっくりと空が離れていく。これが走馬灯…!!
雲ひとつない空が憎たらしい。箒に乗った生徒達が皆動きを止め、唖然とした表情でこちらを見ているのがくっきりとよく分かる。人間死にかけると思いがけない力が発揮されるらしい。せめて意識が無くなる前に愛しの弟分の顔を見たかったが、残念な事に視界の範囲内にはシリウスはいなかった。
ああ、ちくしょう。瞳から零れた涙が空に登っていく。
私は何故この世界に転生させられたのか分からないまま死ぬのか。何の成果も残さず死ぬのか。それは嫌だ、嫌だけどこれはもうどうしようも無いんじゃないかな!!目をぎゅっと瞑る。なるべく痛みを感じないまま即死できますように!
「ナマエッッ!!!!」
誰かに名前を叫ばれると同時に何かにドシンと乗っかった。
「なにやってんだ馬鹿!!!死ぬ気か!!!!」
「シリ、ウス」
どうやらシリウスが天空から落ちるシータを受け止めるパズーよろしく私を両腕で受け止めてくれたらしい。大丈夫か、腕を傷めてないか。私の体重に重力加速が追加されて無事な訳がない。シリウスの腕が私のせいで使い物にならなくなったらどうしよう。まるで心臓が耳の前までせり上がってしまったかのようにバクバクと鼓動がダイレクトに耳に伝わってくる。は、は、と浅い呼吸を繰り返し、私は震える手でシリウスのローブにみっともなくしがみついた。
「シリウス、腕、大丈夫?傷めて、ない?」
「馬鹿野郎俺なんて良いんだよ自分の心配をしろ!!」
「怖かった、死ぬかと思った、無理、死んじゃう」
「ああ俺も怖かったよ馬鹿ナマエ!!!」
ゆっくりと地面に降ろされぎゅうううと力いっぱい抱きしめられた。怖かった、本当に怖かった。もう箒トラウマになりそう。
シリウスに背中をとんとんと優しく叩かれ、「落ち着け、息をゆっくり吸うんだ」と言われたからすー、はー、と言われた通りシリウスに合わせてゆっくりと深く呼吸をする。
「落ち着いたか?」
「うん」
「よし、保健室行くぞ」
「うん……って、あれ?」
足にグッと力を込めて立とうとしたが全く力が入らない。どうやら腰が抜けてしまったらしい。なはは…と笑いながらシリウスを見上げると、シリウスは頭をかいてはぁぁぁぁと長いため息を吐いた。迷惑かけちゃったかな。絶対かけてるよね。お姉さんなのに情けない、と俯く。すると何を思ったのか、シリウスは私の背中と膝の裏に手を入れよいしょと立ち上がった。
「っ、ちょ、シリウス!!?」
「暴れんなよ!落ちるだろ!」
「だっ、だってこれ、お姫様だっこじゃん恥ずかしいよ!!普通に運んでよ!!」
「うるせぇ文句言うな!!」
「今日私の扱い雑だね!!?」
身体がシリウスと密着して妙にこそばゆい。な、なんだこの胸のトキメキは。前世はこういう乙女体験とは無縁の生活だったせいで耐久力が無いんだ。そう、それが例え弟のような存在でも。
そういえば落ちる私を受け止めてくれたのもシリウスだった。弟のような、いつまでも私より小さい存在だと思っていたけど、シリウスだって男の子なんだ。さっきの箒デッドレースとは違う意味で心臓がぎゅうと痛い。馬鹿野郎私、いや野郎じゃないわ。心の中で漫才してる場合ではない。これは所詮吊り橋効果…!!
「何顔隠してるんだよ」
「み、見ないで!!今すごく情けない顔してるから見ないで!!」
「耳、真っ赤だけど」
「ああああああああもう!!!!」
分からない、分からないよ。こうなるなら免疫つけておくべきだった。急にシリウスを男と意識したせいで頭の中がぐるぐるでぐちゃぐちゃだ。相手は12歳、私はアラサー。何トキメキ感じちゃってるんだよいつでもエスカレートかよ!胸のドキドキはサイダーというより温水ジャグジー並の威力だ。何を言ってるのか分からないと思うが私も何を言ってるのか正直分からない。あ、色々考え過ぎて眠くなってきた。トンデモ体験続きのせいで脳がキャパオーバーを起こしたのだろうか。
…もういいや、考えるのをやめよう。シリウスが何か言ってるがまるで水の中にいるかのように音が遠くで聞こえる。どこか安心できる香りに包まれたまま私は、ふっと意識を手放した。
*
「で、何か言うことは?」
「申し訳ございませんでした」
ツンとする薬品の香りが充満した保健室の一角、与えられたベッドの上で正座をした私は、仁王立ちでこちらを睨むシリウスに震えながら深々と頭を下げた。保健室の長であるマダム・ポンフリーはグリフィンドールのクィディッチチームで事故が発生したらしく、応急処置をする為そちらに駆り出されている。私達の他に患者は誰もいない為、他の人がいるから静かに作戦は使えなくなってしまった。さて、どうやって般若の表情をいつもの可愛い顔に戻そうか。
「えっと、結局私は何時間寝てたんだっけ…」
「3日。魔力を使い過ぎたんだとよ。なんであんな危ないことしたんだ」
「誰も見た事のないUターン大捻り2回転を決めたくて…はは…」
「はぁ……馬鹿だ、本当に馬鹿。ナマエの危ない飛行でスリザリン10点減点だぞ。五体満足で生きてることに感謝しろ」
「はい…本当にごめんなさい二度としません…」
もう一度頭を深々と下げ反省の意を伝える。シリウスがいなかったら即死だったと考えるだけでゾッとする。
「助けてくれてありがとう。シリウスがいてくれて本当に良かった」
えへへ、と笑うとコツンとおでこを軽く小突かれた。何するんだよもう。シリウスの手を軽く払おうとすると、ローブの隙間からちらりと白いものが見えた。
ギュッと心臓が嫌な感じに潰れる。
「シリウス…腕…」
「ああ?大袈裟なんだよマダム・ポンフリーは。大した事ねえよ」
誤魔化すように髪をわしゃわしゃと両手で撫でられ、私は犬じゃないぞと心の中で怒りながらも心地よいそれに身を任せる。私のせいで怪我をさせてしまうなんてと申し訳なさで胸がいっぱいだ。お姉さんなのに情けない。
お姉さん…?
チク、と胸が小さな針で刺されたように痛む。トンデモ飛行への恐怖やシリウスの腕への罪悪感から来る痛みよりも鋭利で、小さな痛み。これは何なんだろう。
「そんな悲しそうな顔するなって!俺は平気だっつーの」
「本当…?痛くない?」
「大丈夫だって。だからほら、いつもみたいに笑ってろ」
身体をこしょこしょとくすぐられ、あはははと勝手に笑い声が飛び出す。
「あは、あはははシリウスやめて!くすぐったいってば!!あはははは」
「これはどうだ!」
「あ、駄目首は駄目あはは!!ひー!!あはははは」
「はは!やーっと笑った」
「はは、ひー、苦しい、ギブギブ!」
ベッドの上でひっくり返り、両手を上げて降参するとシリウスはあっさり引いてくれた。あー、笑い過ぎて口が痛い。腹筋も痛い。一体なんてことしてくれたんだとシリウスを睨むと、シリウスは私の頭をポンポンと軽く叩いた。
「笑ってた方が可愛いぞ」
「……へ??」
免疫がないせいでチョロい私はシリウスからの不意打ちにやられ、ボッと顔から火が噴きそうなくらい真っ赤になってしまった。かわ、可愛いって言ったぞこいつ。いや現世の私は確かに可愛いけど。顔か?顔の話か?人に可愛がられるのは嫌な癖に可愛がるのは良いのか生意気な奴め。もう頭の中はパンク状態、自分が何を考えてるのか分からない。そんな混乱状態に陥れた犯人はニヤッと笑うと、「もう少し寝とけよ、お大事に!」と言い残してさっさと出ていってしまった。とんだ置き土産だ。
「ど、どういうことなの……」
モソモソと布団に潜り、手をパタパタと振って火照る顔に風を送る。ちくしょう、耐性無さすぎだろ私。
情けなく弾む心臓が憎い。明日からどんな顔してシリウスに会えば良いんだ。
ああ、せめて茹でダコのようになっている私の顔が落ち着くまで誰も入ってきませんように。マダム・ポンフリーが帰ってきて「まあ、熱があるじゃないの!」と勘違いして叫ぶまで、私はひたすらパタパタと顔に風を送っていた。
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