n巡目

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イタリア男は女の子を口説かないと死んでしまうと聞いたが、それにしたってこの仕打ちは酷いんじゃあ無いのか。


よくある休日、朝からお洒落してメイクも頑張って、どれもこれも貴方に似合う女になりたくてした事なのに、肝心の彼は彼女放ったらかして道に迷ったらしき女性をぺらぺらとお世辞並べ立てて口説いている真っ最中。

ズズズ、と行儀悪くアイスコーヒーを吸い上げ、諸悪の根源である迷子女をカッフェのテラス席から睨みつけた。

これで何回目?とっくの昔に両手で数えられる回数超えてるじゃあないか。いつまでこの茶番に付き合えば良い?


ズッ、と最後の一滴を吸い上げた私はガタッと勢いよく席を立ち、シーザーと迷子女の元までズカズカと歩いた。

もう限界だ。


「別れましょう、シーザー」





「そんでよォ、どうして別れを切り出したナマエが泣いてる訳ェ?」

「だって、だって…」


別れを切り出した後、私が呼び出したのは私と彼の共通の友人であるジョセフだった。
別のカッフェで落ち合って、かれこれ2時間はメソメソ泣いている私に付き合ってくれている。


「我慢の限界だったのよ。いつもいつも私放ったらかしで別の女口説いて、私は遊びだったんだわ。でも、初めての彼氏で舞い上がってた私も私よ。よくもまあ騙されていた事に気づかないでいたわ。本当馬鹿ね…」

「別に騙してた訳じゃねえと思うんだけどなァ」

「うう…イタリア男嫌い…」

「シーザーちゃんが特殊なだけだって!な、いっその事あんな奴忘れてパーッと楽しく生きようぜ!」

「ありがとうジョセフ超愛してる…ひぐっ」

「ええ…俺ナマエちゃん妹にしか見えないんだわ。ごめんな!」

「冗談に決まってるでしょ!私だってそんな風に思った事無いわよジョセフお、兄、ちゃ、ん」

「ウゲー!実際に言われると鳥肌立つぜ!」

「なんですって!?」


涙でメイクが崩れ見るに堪えないであろう私の顔をハンカチで甲斐甲斐しく拭いてくれるジョセフは本当に良い人だ。くだらない掛け合いで笑わせてくれたお陰で、気持ちが晴れやかになったようだ。


「調子戻った?」

「ええ、お陰さまで。泣いてスッキリしたし、しばらくはフリーを謳歌するつもり」

「そーかよ」


大きな手で頭をワシワシと乱暴に撫でられた。
髪の毛が崩れるじゃあないか、何してくれるんだ。と思ったが、手のひらの温かさが心地良いから黙っていた。


「でも残念、お迎えが来ちゃったみたいだぜ?」

「へ?」


ほれ、とジョセフが指さした先、窓の向こうで顔面蒼白のシーザーがこちらを見て佇んでいた。


「なんでここに…」

「ごめんねェジョセフちゃん男の友情を取ったんだわ」

「はぁ!?」


携帯を見せびらかすようにブラブラさせてニヤリと笑ったジョセフ。いつの間に連絡を取ってたんだこいつ。

「とりあえずフリーを謳歌するならするって伝えてきた方が良い、あいつ直接伝えない限りずっと窓に貼りついてるぜ」と言われ、慌てて店の外に出る。今まで私の事放っておいたくせに何を今更、と思いながら。


「なんの用?生憎だけどさっき独り身を謳歌するって決めたばかりなの。縁を戻すつもりは無いわよ」

「……なあ、もう一度チャンスをくれないか」

「嫌よ」

「どうしても?」

「どうしても」


この世の終わりみたいな顔をして私を見ても決意は揺らがないわよ、と心の中で独りごちる。
そんなにショックを受ける事じゃあ無いでしょうに。
心配しなくても私より何倍も可愛くて愛想の良いシニョリーナがすぐに見つかるわよ。


「そうか…じゃあ、俺の家に置いていった荷物を取りに来てくれないか」

「…分かったわ」


2人で並んで歩くのもこれが最後ね、なんて思いながらシーザーのアパルトメントを目指して歩く。
互いに無言で重い空気が流れていたが、まあ別れ話をした直後の男女に明るい話なんてできないから、この空気は仕方ないものなんだろう。


三十分は歩いただろうか、何度かお邪魔したシーザーのアパルトメントに着き、ドアを開けてくれた彼の脇を通って室内へ足を踏み入れる。部屋へ入った瞬間シャボン玉の香りがフワッと広がって、なんだか泣きそうになってしまった。


「それで、私の荷物はどこにあるの?」


振り返ってシーザーに尋ねると、ガチャリ、と彼が後ろ手に鍵を閉めるのを見た。すぐ帰るつもりだったので少し驚いたが、この辺りは治安は良いとは言えないので防犯の為だと自身を納得させる。


「ねえ、荷物ってのはどこ?」

「…ああ、奥の部屋にある」


シーザーが指差した奥の部屋に向かおうとした時、背後でゆらりと気配を感じた。


「シーザー?」


ガツン、と後頭部に強い衝撃が走り、ドサッと音を立てて床に倒れ込む。ぶれる視界、ジンジン痛む頭、耳鳴り、そしてバクバクと鳴り響く心臓。


「すまない、わざと突き放して嫉妬を煽ろうとしたがまさか不安にさせているとは思わなかったんだ。大丈夫、これからは俺が居なきゃ駄目だと思うくらいに甘やかしてやるから。ああ、もう外に出る必要も無いか…足枷買ってこなきゃな…心配するな、ちゃんと世話してやる。なあナマエ、だから別れるなんて言うなよ。俺はずっとお前一人だけを愛しているんだ」


ゾッとするくらい甘い声が背後から聞こえて背筋が冷たくなるのを感じた。


やばい。こいつは正常じゃあない。狂人だ。


震えで身体に力が入らない。早く、早くここから逃げなければ。
どうやら脳震盪を起こしているらしい。眩暈がする。小さなアパルトメントの室内がゆっくり回転している。


「とりあえず準備が終わるまで寝てるんだ、良いな?」


もう一度頭部に衝撃。暗転。ああクソ、こうなるくらいならそこらの女を口説く事くらい我慢すれば良かった。


何処で道を違えたか

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