夢のようだと思う。否、夢なんじゃないかとすら思ってしまう。だって、野球部の新主将が、女の子なんて選り取り見取りであろう先輩が私で妥協してくれたのだ。御幸先輩がどういう心境で妥協してくれたのか分からないが私は"御幸一也の一介のファン"から"御幸一也の彼女"に昇格したというその事実だけで舞い上がっていた。名前すら付けられない村人Dから大きな進歩である。浮かれ過ぎて友人に顔が気持ち悪いことになってると指摘されたがそんな小言も今の私には些細なことだ。
「あんたいい加減その緩んだ顔、どうにかしてよね」
 こっちが見てらんないと今日の弁当のおかずである唐揚げを口に放り込んで嚥下する友人の言葉に、そんな酷い顔してるかなと頬を手に当てて言った。
「じ、実はね……! 付き合えることになったの!」
「は……? まじで」
 ほんとの本当!と言ってハンバーグを咀嚼する。いつもより美味しく感じられるのは気のせいではないだろう。
「だったらあんたさあ、なんでこんなとこで弁当食ってんの? 普通、付き合うようになったら一緒に食べるもんでしょ? 約束は?」
 息継ぎをせず矢継ぎ早に問い質す友人に返す言葉も無かった。
「……してない」
「まじでか」
 だって、迷惑だと思ったから。
 もし、先輩に一緒に昼ご飯食べる相手がいるとしたらその人との時間を奪うことになる。先輩の楽しいひと時を先輩の時間を私は邪魔なんてしたくない。
 そう伝えた私に友人ははあーと呆れたように溜め息を吐いた。
「付き合うってさあ、そういうことでしょ? 今まで連んでいた仲間との時間を今度は恋人に費やすってこと」
 箸の先をくるくる回して語る声に二の句が継げない。分かっている、そんなこと。
 周りの子が照れたようにはにかんで彼氏が出来たと報告して、そして付き合いが少しずつ減っていく。お昼に教室で机をくっつけ一緒に食べる人数が、駅まで並んで向かう道のちの足跡がだんだん消えていく。それでもメールはするし休み時間になれば話もする。付き合いが完全に無くなったというわけではない。優先順位が、変わっただけだ。
「先輩はね、私で妥協して付き合ってくれてるんだ」
 教室の喧騒が遠ざかっていくように感じる。ノイズが消えて無音な脳漿に私の言葉が重たく響く。自惚れるなと。
「だから迷惑なんて掛けたくないし我が儘を言うつもりも無いの、」
 傍に居させてもらえるならそれで十分だから。

 そう小さく呟いた声に「ふうん」と納得してないような声音を吐いて。「ま、あんたがそれでいいならそれでいいんじゃない?」と納得してないような声音で言った。
 心做しか空気が重たくなったように感じられて思わずペットボトルに手を伸ばす。いつもは爽やかな芳香と甘味のあるスポーツドリンクの味が今日は随分どろどろしたなにかに思えた。温いそれを口腔に含んでごくりと嚥下する。蟠りを飲み干すように。
「……何かあったら連絡しなよ」
「うん」
 一見、辛辣そうに見えて優しい言葉を投げかけてくれる友人に頷く。優柔不断な私と打って変わって冷静で物事を素早く決めてしまう彼女は口下手な私の理解者でもある。
 教室の喧騒が徐々に蘇ってきて私はいつの間にか残り少なくなっていたおかずを箸で挟んで放課後、御幸先輩の練習姿を見に行こうと心に決めた。

'14.09.22

のみこむだけ吐き出すだけ

AiNS