羨む程の長い睫毛を俯きがちに落とし、伸びた前髪の間隙から憂いた表情を見せる御幸は本職からそういった職業に転職した方が良いんじゃないかと思ってしまう程様になっていた。スポーツ選手では無く俳優かモデルか、と一見本職を忘れ去られてしまう程の出来である。
 半端に開いた分厚い口唇と晒された耳朶、其処から延びる首筋から鎖骨にかけてのラインそして肌と対照的な白いワイシャツのコントラストが厭に雄っぽい。
 感嘆の吐息を漏らしながら次頁を捲ると鍛えられた大円筋と広背筋が眼を刺激する。シャープな横顔を映しながらユニフォームを着ようとしているのかはたまた脱ごうとしているのか、その狭間を映した一瞬であった。多くの女性達はこの背中を抱き締めたいと鍛え抜かれた躰に抱かれたいと思い夢を見るのだろうか。
 そう考えた瞬間、胸の奥がざわりと何かを撫でた。
──嫌だ。
 嫌だな、と思ってしまう。この背中は私が何時も見続けていたものなのに。小さい頃からこの背中だけを見て追い掛けてきた。時折振り返り、呆れ返ったように困ったように笑いながら私が置いて行かれないペースで歩んでくれたのに。
「…………遠いなあ」
 茫洋とした声音が落ちる。何時の間にか追い付けない程にまで距離が広がっていた。肩の描く曲線を指先で辿り頁の切れ端でぴたりと止まる。
 どれも知らない表情だ。姿形は確かに御幸一也を形成しているのに遠い他人のように思える。今まで私の知らない、見たことの無い表情をその双眸に口許に携えている彼は、青春時代を共に過ごした面影が消え失せているようだった。
 知らない。こんな顔を魅せる彼を、私は知らない。知らなかった。何時も不敵で内心の読めない笑みを浮かべていた彼と似つかわしくない。野球をしている時にだけ覗く分かり難いが無邪気な表情とも全く違う。
 この男は誰だろうか。
 女性の視線を一手に惹き付けるような蠱惑的なかんばせを浮かべて視線を此方に向ける男の誰何を問うて、結論は出ず。
 泣き出してしまいそうだと他人事のように考えて、結局涙なんてものは出てこなかった。
 雑誌を閉じて傍らに置いてある少し温くなったチューハイを口に含んで飲み込む。この液体が消化され無くなってしまうのと同じように、胸につっかえる蟠りも消えてしまえば良いと思った。

 *

「OB、会……?」
 電話越しに響くあの頃より低くなった声が発した言葉を反芻する。
「ああ、久し振りに集まろうぜってゾノと企画してな」
「私マネージャーだったんだけど良いのかなあ」
「別に気にする奴なんざいねーよ。 強制参加じゃねえから暇だったらで良いぜ」
 分かった。行けたら行くねと返事をして日程と場所をメモに取る。じゃあまた、と通話を切ろうとすれば嗚呼そういやと思い出したように紡いだ言葉に一瞬息が詰まった。
「──今度のOB会、御幸も参加するってよ」
「そ、うなんだ。 へえ、珍しいね」
 声は可笑しくならなかっただろうか。普通に、答えられただろうか。聡い倉持に気付かれないよう慎重に言葉を選ぶ。
「だよなー。 アイツこういう集まり全然参加しねえし」
「きっと忙しいんだよ。 この間もテレビとか雑誌の特集組まされてたしね」
「そう言うお前も全然参加してねーだろ」
「──、」
 休みがなかなか合わなくて。それに全くではないと苦笑気味に告げれば「前回がやっとだけどな」と痛いところを突かれた。
「アイツが居ねえと来たくないか」
「そんなこと……」
 咄嗟に否定して、遮られる。
「お前、御幸にべったりだもんな」
「……べったりってなによ」
 言葉通りの意味だと笑うその声に、あどけない顔をして特有の声で笑う倉持を見た気がした。最後に「兎に角来いよ」と念押しして切られた通話画面をホーム画面へと戻しながら、思う。
 ──"べったり"か。
 確かに、端から見ればそう映るかもしれないがあの頃の私達の距離感というのはそういうものだった。思春期の真っ只中、男女が四六時中一緒に居ればやれ彼氏だの彼女だの囃し立てられる。御幸は他人の言うことを気にしない性質だし私は私で幼い頃から後を付いて回ったのに今更離れるだなんて考えてもいなかった。
 先行く御幸を追い掛ける私は、確かにべったりしているように見えるなと今更ながらに苦笑する。もしかしたら迷惑だったかもなんて考えて、私が追い付ける距離で歩んでくれた御幸を思い出して打ち消す。
「どうしてるかな、一也くん」
 卒業してプロの道へと進み忙しいだろうと思ってしまい段々電話やメールの頻度が減っていき今では私から気軽に送れなくなった。そうすると御幸からの音沙汰は何も無くなって、十何年の付き合いがこれぽっちで終わってしまったような気がする。そんな軽い付き合いだったのかと落胆してしまう。御幸にとって私はその程度の存在だったのかとも。
 閉じたばかりの雑誌を開いて御幸一也特集と銘ずられた頁を捲る。カメラ目線で微笑みを寄越すそのかんばせを幾ら見詰めて輪郭を指でなぞっても、交わらない双眸があるだけだった。

臆病者はワルツを踊る夢を見るか

AiNS