時刻は二十時を少し廻った。無人駅のホームで部活帰りの男子に混ざり電車を待ちながら、イヤホンから流れる曲に耳を傾け手持ち無沙汰に携帯を弄る。残り四十八%という通知に眼を向け、携帯用充電器のバッテリーは大丈夫だったかと思案しスクリーンを閉じた。
 遠くで電車の来る音が聞こえる。近付くライトに眼を眇めスクールバックの持ち手を抱え直した。

 人が疎らな車内を見渡し手近な席に座りスクールバック床に置いて足で挟み込みリュックを両腕に抱え携帯を開く。
「ご乗車ありがとうございます。 次は──駅です」
 女性の車内放送を聞き流し私が下車する駅まであと四十分。三十分は寝れる、と計算して目覚ましアプリを開きマナーモード・バイブレーションオン、時刻は三十分後に設定したアラームを保存し、カウントダウンの始まったそれを見届けてスクリーンを閉じる。瞑目し耳許で鳴り続ける音楽に集中すると意識が遠退いていきそこで意識は途切れた。


***

 ふと眼が醒める。アラームを確認すると残り三分を差していたので解除した。
 軽く周りを見回すと疎らだった人は何時の間にか居なくなっている。違和感を覚えながらも携帯を操作しネットに繋げようとしたところでトンネルに入り、圏外になって読み込めなかった。

(……何か可笑しい)
 トンネルに入って凡そ五分は経過した筈。それなのに何時まで経っても抜ける様子はない。私が利用する路線にこんな長いトンネルはない筈だ。田舎なので路線は一つしかないため電車を乗り間違えたという線もないだろう。
(この電車は何処に向かってるの?)
 一抹の不安が胸を過ぎる。未だに電波は回復しないため外部と連絡する手段はない。耳許で鳴り続ける曲が耳障りになりイヤホンを外した。前に抱えていたリュックを背負い、床に置いていたスクールバックを肩に掛ける。揺られながらも席を立ち二車両目を見ると人っ子一人いなかった。
「──ッ!」
 可笑しい。幾らなんでも、これは。
 私が寝ていた約三十分の間で何があったのか。途中の駅で降りたとしても普通はここまで減らない。
──車掌は。
 電車が動いているということは居る筈。振り向き揺れる車体にバランスを取りつつ走る。何時の間にかトンネルを抜けていたが相変わらず外は真っ暗で何も見えなった。
「あの、すみません!」
 ブラインドが下ろされ中が見えないので窓を叩いて声を張り上げたが返答はない。
「すみません! あの、訊きたいことがあるんですけど!」
 返答は、ない。
 結構な音で叩いたのに係わらず。
──本当に其処に車掌は居るのか?
「……き、気付いてないだけだよね」
 震える唇で呟く。嫌な予感が頭を過ぎるが気付かない振りをした。
 人生十七年。この路線を利用し続け二年と少し経つがこんな経験は今までに一度も、そして誰かから聞いたこともない。
 私は今何処に居るのだろう。何処に向かい私はどうなってしまうのか。そんな考えがぐるぐると頭を埋め尽くした時、思考を中断させるかのように車内放送が響いた。
「……間もなく、きさらぎ駅に着きます。 降り口は──」
 低い男性の声。ノイズだらけで上手く聞き取れないが
“きさらぎ駅”という単語は聞き取れた。
 終点、とは言っていないのでこの先にも幾つか駅があるんだろうと考えたところではたと気付く。
──低い男性の声?
 最初私が乗ったときは女性の声だった。
 この声はきっと車掌のだよ、と無理矢理自身を納得させ降りるか否かを考える。
(……降りよう。 きさらぎ駅なんて聞いたことない駅名だけどこのまま乗ってたら嫌な予感がする)
 唇を噛み締め携帯を握り締める。出入り口に近い席に座り一分も経たないうちに停車し、駅のホームに降り立つと尋常じゃない冷気が身体に纏わり付く。電車は音もなく発車していった。
「どうしよう……」
 電車の消えた方向を見つめ呟く。帰れる確証もなしに降りてしまった。これから、どうしよう。
 “きさらぎ駅”と擦り切れた字で書かれた看板を見つめる。前後の駅は更に擦り切れていて読めなかった。気味悪さを感じながら駅の消え入りそうな灯りを頼りに駅構内へ向かう。
 駅構内を一言で表すと不気味、に尽きる情景だった。
 改札口や券売機は一切動いておらず路線図や時刻表は風化し過ぎて元の状態を留めていない。改札を人差し指でなぞり埃を息で吹き飛ばす。
(埃が溜まってるということはかなりの時間、此処に人の手が触れられていないということ)
 それはこのきさらぎ駅が廃れて幾年経過したことを示す。となるとこの場所に人気はないに等しいと判断出来る。
(……無闇に遠く出歩かない方が得策、か)
 兎に角情報探しだ、と閉ざされた改札を飛び越えた。

 きさらぎ駅周辺を彷徨いて分かったことがある。
 一つ、この周辺に民家はない。あるのは畑や田圃のみ。
 一つ、自販機はあったが電源は付いていない。住所は削り取られていた。
 一つ、未だ圏外で電話は通じない。GPSの位置情報取得も無駄だった。カメラは起動するが撮影出来ず。
 一つ、現在時刻は十一時四十分過ぎである。
 これらの情報を脳内でまとめた。居場所を特定出来ず人気のない町、外部との連絡手段の遮断、私が乗った電車の時刻から計算しても一致しない現在時刻。明らかに私は、何処か別の場所に来ている。
 どうしよう、と呟いて手許の携帯を見やった。色々試した所為で携帯の残量は残り四十%になってしまいバッテリー温存のため省エネモードでポケットに入れる。
 携帯は使えない。人にも頼れない。頼れるのは私自身。
(……線路を辿って歩いて行こう)
 方法はそれしかない、と断定して元来た道を引き返す。
 線路に飛び降りて電車の消えた反対方向へ足を進めていく。と、何処からか風鈴のような鈴のような音が薄く聞こえてきた。足を止め耳を澄ますと太鼓やら尺八やらの音も混じって聞こえる。振り返り、音源を捜すと先程私が居た駅付近から聞こえてくるように感じた。
(私が周囲を探索したとき人影もなかったのに……。 移動しているようだし、音色が複数聞こえるということは人も複数居る?)
 戻って此処は何処か尋ねようかと思案したところで思い直す。
──この音、だんだん近付いてきてる。
 何処かへ逸れることなく、まるで私が此処に居るのを知ってるかのように。
 その考えに至ったとき私の脚は自然と走っていた。追い付かれたら、いけないような気がして。
 空気抵抗を無くすため肩に掛けていたスクールバックを前に抱える。ローファーによって引き起こされた靴擦れに痛みを覚えるが構っていられない。走っている所為で揺れ動く脳内にまだ、あの音が響いている。

 どれ程走ったのか分からない。いつの間にか音が消えているのに気付いて走るのを止めた。
 荒い呼吸を吐き出し限界寸前で鉛のように重い脚を引き摺る。一歩踏み出すたび踵に激痛がはしるが屈んで絆創膏を貼ろう、なんて気力はもう残っていない。少し休憩しようかなんて考えが頭を過ぎったけどすぐに打ち消す。いつ、またあの音が鳴るか分からないから。
 痛みを我慢しながら一歩脚を踏み出すのを繰り返しているとトンネルらしきものが見えてきた。私が電車に乗っているときに通ったトンネルだろう。あそこを通り抜けば帰れるかもしれない。
 泡沫の期待を抱きトンネルの前に辿り着く。トンネルの名前表記は錆びていたがなんとか読めた。
──“伊佐貫”
 トンネル内は当たり前だが真っ暗闇で一瞬後込みしたが迷っている暇はない。咥内に溜まっていた唾を飲み込み、スクールバックの持ち手を固く握り締め一歩を踏み出した。

***

 何十分歩いたか分からないがとても長い道のりのように感じる。悲鳴を上げている脚を何度休ませたいと思ったことだろう。それでも鞭を振るいひたすらに歩き続けたのはこんな気味悪い所に一瞬でも多く居たくなったから。
 苦痛に顔を歪ませ溢れ出る涙を拭い歩くと、上下左右闇しかなかった空間の前方に一筋の光が見えた。
──あそこを通り抜ければ!
 こんな訳の分からない世界から抜け出せるかも。
 そう思うと歩む脚が自然と早くなり駆け出す。痛みはいつしか忘れていた。
 近付けば近付く程光が大きくなる。光の向こう側は白い靄のような霧のようなものでぼやけているが迷わず飛び込んだ。
 瞬間、眼を開けていられない程の閃光。誘われるように瞑目し。
 そして。

 旋風が髪を撫でる。瞑目しても尚、視界を覆い尽くしていた白い光が消えたのを感じ目蓋を開いた。
 視界が明け双眸に飛び込んできたのは中世ヨーロッパ風の建物。
「…………。 へ……?」
 右を見る。同じような建物が並んでいるが所々崩壊しているものがあった。
 左を向く。先程見た右と同じだ。
 後ろを振り返る。閉ざされた門があった。
「此処、何処?」
 唖然として呟く。トンネルを抜けたら鬱蒼とした畦道に入るかと思っていた。そしてその先に町がある、と。
 だが私が地に脚を着けている此処は一体何処だ?
 五十mはありそうな門を見上げる。首を軽く振って観察すると壁が彼方まで広がっていた。前を向き直り顎を上げ天候を確認する。
(空は明るい。 太陽の日差しも強い、つまり今は昼頃)
 私が居たところは夜中十二時近く。トンネルに入っていた時間を考えても明らかに合わない。
 私はまた何処か知らない場所に飛ばされたのか。
 茫然として地面にへたり込んだ。それでも今、自分が何を為すべきか理解はしている。
──きさらぎ駅で行ったような情報収集。
 電波があるかの確認。それからこの場所の把握。昼なら人が活動しているので尋ねよう。半壊してるのが気になるけど街のようだし少なからず居る筈だ。建物を見たところ此処が日本だという線は低いがそれは誤解だと信じたい。ああでもその前に靴擦れをどうにかしよう。いい加減痛くて仕方がない。
 頭では為すべきことを理解しているのに身体が動かない。体力が限界だった。情けない話だが暫く此処から一歩も動けないだろう。
「……何で私がこんな目に」
 ずしん、と大地を揺るがす音が響いた。地面を見つめていた私の視界に陰が映る。不思議に思い緩慢な動作で顔を上げると巨体が見下ろしていた。
「は…………?」
 伸ばされる掌。その動きは確実に私を捕らえようとしているのに気付いたが避けようとする気力は尽きていた。
──嗚呼。 本当に、何で、私が、こんな目に。
 日常の筈だった。あの世界は日常で、滞りなく一日を終わらせるつもりだったのに。その日常が崩れ去り、また日常に戻るために私は躍起になって行動した。大して成績の良くない頭を回し体力のない身体を酷使し。
 その結果がこれか。
「はは、」
 渇いた笑みを浮かべ眼を閉じる。この巨体は人を喰らう、と脳髄が警鐘を鳴らしていたがもうどうでも良かった。走馬灯が脳内を駆け巡りそれを邪魔するかのようにずしん、と地が揺れ。

「──……?」
 痛みも衝撃もやってこないのを不審に思い瞠目する。私を捕らえようとした巨体が倒れているのが双眸に映った。そして、人。
 緑青色の羽織りが風に靡く。重ね合わされた翼の紋様が真ん中を陣取っていた。両の手に持つはカッターナイフの刃を数段大きくしたようなもの。
 呆気にとられたまま見やっていると彼は刈り上げられた黒髪を揺らし振り向く。
「……オイ。 餓鬼がんな所で何してる」
 宛ら猛禽類のような炯眼が私を射抜いていた。

'13.7.5

死を記憶せよ

AiNS