何処か違和感はあった。朝のSHRで縦横無尽に跳ね回る癖っ気な髪を撫でたとき。ペロペロキャンディーを指先で挟んだとき。
 小さな違和感が蓄積され、その違和感に気付いたのは6限目の国語の授業。朗読する低くやる気のない間延びした声が教室を包み眠りへと誘うなか、眼前まで近付いた銀八の教科書を支える左手になんとなく視線を向けたときに陽光が其れに反射して煌いた。
(あ……)
 声に出す寸前で思い止まり良かったと胸を撫で下ろす。
 銀八が教室を一周し教卓で解説をしているが、全く耳に入らず私の視線は銀八の左手薬指に嵌められた銀色に輝く指輪に囚われていた。

***

「先生結婚したんですか」
 その問いかけに銀八は素っ頓狂な声を上げて「なんで?」と返答した。
「……その左手、」
 そう呟くと私の意図を汲んだらしい銀八が嗚呼、と納得した声を出し私に指輪が見えるよう机に左手を置いて。
「どう思う?」
 悪戯めいた声音で問う。顔を上げると硝子に隠れた双眸が読めない色をして見下ろしていた。
「質問に質問で返すのはどうかと思いますが」
 顎を下ろし簡潔に答えて書きかけの日誌を埋める為手を動かす。銀八は「冷てぇな」と笑うだけで答えなかった。
 ライターで煙草に火を灯したらしい紫煙の香りが鼻腔を擽って「此処学校」とぼやく。銀八から質問の返答はなかったが尋ねたのはただの世間話のようなものだしまあいいか、と自己完結した。
 この、二人しか居ない教室で場を繋ぐ為の会話。特に深い意味はない、と誰かに言い訳をするでもなく心中で呟き書き終えた日誌を銀八に渡す為立ち上がる。
「どーも」
 教卓の上に行儀悪く腰掛け煙草を燻らせて受け取った銀八に背を向け帰宅の準備をしている最中、ぼそりと声が聴こえた。
「……この歳になると“結婚はしないのか”だの“相手は居ないのか”だの周りが煩いんだよね」
 思わず振り返ると銀八は先程と変わらず紫煙を揺らしているだけ。
「“コレ”も気休めで効力がいつまで持つか分かんねぇけど、してないよりかマシだ思ってな」
 いつの間にか薬指から指輪を抜き取っていたのか宙に投げて遊んでいる。傾いた太陽に反射して煌きながら落下していく其れに眼を向け息を吐いた。
「安心した?」
 左指で煙草を挟み問い掛けられる。宛ら、何も付けていないことを見せ付けるように。
「どう思いますか?」
「質問に質問で返すのはどうかと思いますゥ」
 その返答に真似しないでくださいと苦笑して、がたついた教室の扉を開ける。顔だけ振り向くと煙草を灰皿に押し潰しているのが見えた。その姿に向けて口を開く。

「安心しましたよ。……とても」

'13.7.24

虚偽で飾られた左手

AiNS