01
閑静な住宅街のある場所に停止されたキッチンカー。叔父さんがその車でクレープ屋を趣味で開いているのだが、私はそこで週に三回程アルバイトをさせて貰っている。
大学三回生である為時間に余裕があり、火曜と木曜に開店の十一時から十四時まで働く早番と、土曜日に早番の人と代わってラストの十八時まで働く遅番に入っている。
ワゴンの前に簡易的なベンチを設置しているので、一応その場で食事も出来る。近くにゴミ箱が無いのでついでに回収してあげるのだ。
この近所の人々に結構人気で、売り上げも悪くない。知る人ぞ知る店みたいなものだ。
そして、この店には常連の方が何人かいる。その方々とは世間話とかもして交流しているのだが、それが存外面白い。その中の一人、ここ二ヶ月前に通い始め、見事常連になった男性がいる。
その人は私と同年代くらいに見える外見で、週に二回程クレープを食べに来る。甘い物が余程好きなのか、トッピングが山程乗った一番高価格なクレープをいつもチョイスするのだ。
その人はクレープを受け取ると目の前のベンチに座り、ほんの数分で食べ終えるとゴミを私に渡すのがルーティーンである。
「ごちそうさま」
薄く笑いを浮かべてそう言う男性の名前は伊藤ふみやさんというらしい。ダウナーな雰囲気を纏ったイケメンだ。
この人の名前を知ったのは今から一ヶ月前のことだ。いつの日か、私がいつも通り働いていると、その人が現れた。
「こんにちは」
「どうも」
目の前のメニュー表を眉を顰めて真剣に見ている姿は本当にギャップを感じる。
偏見だが、外見からだと「甘い物? そんなの興味無いね。酒と煙草のが好きだよ」とか言ってそうだから。失礼過ぎるので本人には口が裂けても言わないが。
「お兄さん、またいつものですか?」
今までの統計より、比較的よく頼むのは"アイスチョコバナナアーモンドブラウニークリーム"であったから今日もそれにするかと思って問いかけたのだが。
彼は悩んでいたのを顔を上げて、私と目を合わせるとあ、と口を開いた。
「俺、伊藤ふみや」
「え?」
そんなクレープのメニューあったっけと固まってしまった。突然のことに思考が追いつかなかった。数秒して頭が正常に動き始め、この男性の名前を教えられたんだと気づく。
文脈無しにいきなり言われたことに、やはり困惑してしまうが。どうして今なんだろうって。
その男性と初めて会ってから今までずっとお兄さん呼びだった。そして今、名前を伝えられたってことは、もしや名前で呼んで欲しいのかも知れない。
「い、伊藤さん?」
「うん」
お兄さんこと伊藤さんは満足そうに頷く。良かった、合っていたみたいだ。
突然教えて来たのは気まぐれだろうか。とりあえず正解を引けたことにほっとする。
「今日はアイスいちごキャラメルアーモンドケーキクリームで」
「はーい。八百円です」
「はい」
伊藤さんは基本キャッシュで支払う。今日も一枚紙幣を渡して来たので、それを受け取って二百円のお釣りを渡した。
「伊藤さんはこの後お出かけですか?」
「そんな感じかな。ナマエちゃんはバイト終わったら何かするの」
胸元につけている名札をちゃんと確認するタイプらしい彼は、出会った頃から私をそう呼んでくる。"ナマエ"と書いて周りをとんでもなくデコった名札を私は付けていた。
呼ばれた当初は爆速で詰められる距離感に少し驚いたがもう慣れた。多分、親し気にすぐ名前を呼ぶタイプなんだろうと勝手に納得した。偏見である。
「今日はですね。明後日提出のレポートが終わってないので、カフェでパソコンと睨めっこかな」
「うわ。お疲れ様」
「本当ですよ。終わるかなぁ」
「終わる終わる」
「他人事だからって適当言ってますよね?」
「え? そんなことないよ」
「どうだかな〜」
微笑みながら否定する伊藤さんを尻目に、鉄板で生地を焼いてトッピングへと移る。生地も素早く焼けたから薄くモチモチだし、上手くトッピングも盛れたので今回も良い出来だ。紙で包んで、目の前で待っている伊藤さんに手渡した。
「今日のも上手く出来ました。あとまたサービスで、いちごちょっと多めですよ」
以前、仕込み過ぎてしまい使用期限が近かったのでいちごを多めにトッピングして出した時がある。
その時の伊藤さんの表情が、他人の私が見ても分かる程嬉しそうに「本当だ、多い」とクレープを見つめるものだから。喜ぶイケメンの顔を見たい下心で、最近私は予め店長等にバレない程度に結構多めに仕込み、使用期限を建前に何かしらをちょっぴりおまけして出しているのだ。
今日も多めに盛られたいちごを伊藤さんは見ると、口角を少し上げて笑った。
「いつもありがとう」
「いえいえ。こちらこそいつもありがとうございます」
「頂くよ」
「はーい、どうぞ」
伊藤さんはベンチに座って食べ始めた。豪快に食べられるクレープは、みるみるうちに無くなっていく。
「ん、ごちそうさま」
「いえいえ、お粗末様でした」
「美味かった」
「それは良かったです。またいらしてくださいね」
「うん。また来る」
と、まぁ。こんなことがあって以来、伊藤さんのことは名前で呼ばせて頂いている。
今日は火曜日。平日に伊藤さんが来る場合は大体が午前中だ。そんな時間帯にラフな格好で来るから勝手に彼は学生なのかと思っている。
知り合って少し経つが、彼の本当の年齢や職業等様々なことが不明だ。私生活が謎に包まれているのだ。聞こうにも上手くはぐらかされそうであるし、そもそも店員の客の関係で聞くようなことでも無い。
そんな今日の時刻は十三時過ぎ。もう伊藤さんは来ないだろう。
お客さんも来ないし暇で、ぼうっとそんなことを考えていたらあの特徴的なオレンジ色が遠目に見えた。
あれは伊藤さんのジャケットの色だ。珍しい、こんな時間に来るなんて。
「伊藤さんこんにちは」
「どーも」
やはり伊藤さんだった。彼は私の挨拶に返事をすると、すぐにメニューの吟味を始める。
「今日はどれにします?」
「うーん。ナマエちゃんはどれが良いと思う?」
この返しは初めてだ。質問を質問で返されたことに一瞬呆気に囚われたが、気を取り直して考える。伊藤さんは生粋の甘い物好き。多分何でも喜んで食べてくれるだろう。
「あ。伊藤さんって大体アイス付きのやつ頼まれますけど、ホットクレープは頼んだことないですよね」
「無いね」
「ホットクレープも美味しいですよ。スナック系も美味しいですし、甘いやつでしたら私はアップルシナモンカスタードとか好きです」
「じゃあそれにしようかな」
思わぬ即決に、お気に召すかなとちょっと不安に思うが会計の準備をする。
「五百円です。すぐ作っちゃうので、トレイに置いておいて下さい〜」
ここ最近は伊藤さんがお金の準備をしている間にもう作り始めてしまっている。信頼出来る常連さんだからこそ可能な行動だ。
早く食べたそうだから商品を素早く提供してあげたくてこれを始めた。最近はもっぱら食べ終えた後に世間話をする、というパターンと化している。
鉄板で生地を焼いて、その上にトッピングを乗せていく。横目で伊藤さんの様子を見るが、何故だか彼は自身の服をわさわさと探っている。いつもなら私のことを観察するようにガン見してくるのに、何だか今日は変だ。
そう疑問に思いつつも、出来上がったクレープを折りたたんで紙で包む。とりあえず会計をする為にそれを置いてレジの前へと行くと、ジャケットを脱いでひっくり返している伊藤さんが目の前にいた。
「伊藤さん、大丈夫ですか?」
「えーと、うーん、うん」
「クレープ出来ましたよ! お会計しちゃいますね」
トレイに目を向けると置かれているお金が無かった。あれ、と伊藤さんを見れば、彼はジャケットを着直して気まずそうにぽりぽりと頬を掻いている。
「ごめん、財布忘れた」
「え。作っちゃった」
あの行動はそういうことか。お財布が見当たらなくて探していたんだ。彼の行動の謎が解けてスッキリした気分になる。状況は俄然変わらないが。
「じゃあキャッシュレスにします? 電子マネーとQR決済、どっちも出来ますよ」
意外と小さな店だが電子決済にも対応しているのだ。今まで伊藤さんがキャッシュレスで支払いをしているところを見たことないが、多分何かしら持っているだろう。若いし。
伊藤さんはまたわさわさと服を探り始めた。
――まさか。
「……スマホも忘れた」
「あらぁ」
まさかまさかの事態にそんな言葉しか出なかった。財布も大概だがスマホを忘れるって、現代人でそんなことあるって感じだ。まぁ起こってしまったことはどうしようもない。
初めましてのお客さんだったらちょっとナイが、相手は常連の伊藤さんである。元はと言えば先に会計をしていればこんなことは起きなかった筈なので、出来る限りの対応をしてあげたい。
「ごめん、どうしよう」
伊藤さんは結構しょげた雰囲気である。イケメンにそんな顔をされたら、何とかしてあげたい気持ちが余計に湧き上がって来てしまうじゃないか。
「えー、うーん。じゃあ私が代わりに払っとくので。今度返してくださいね」
そう言って私は自分のスマホを取り出し、電子マネーで決済をする。機械からピピッと音が鳴った。
置いていた完成しているクレープを手に取って、落ち込んでいる様子の伊藤さんににっこり笑いながら渡す。気にしないでって。
「ごめん。ありがとう」
「人間誰しもミスはあるものですから。そんなことより、美味しいんで是非早く食べて下さい」
「じゃあ早速食べようかな」
伊藤さんはベンチに座ると、いつも通り五口くらいで食べ終えた。結構まだ熱い筈なのに、よく冷たいクレープと同じように食べられるな。咀嚼をしている伊藤さんの横顔は満足そうで何よりである。
一息をついたらしい伊藤さんはゴミを小さく纏めると、こちらへと寄ってくる。私はそのゴミを貰った。
「ごちそうさま。美味かった」
「いえいえ。中々ホットクレープもいいですよね」
「あぁ。クレープといえば生クリームって思ってたんだけど、概念が覆されたよ」
「ふふ、それは良かった」
先程のアクシデントのせいで常連さんが気まずく思って来なくなってしまう事態は避けたかったので、伊藤さんがクレープの方に意識がいってそうで良かった。
「今日って何時に上がる?」
「え?」
突然伊藤さんから投げられた質問に動揺して声が上擦る。知ってどうするんだろう。
「えーと、早番なので後十五分後くらいには上がりますね」
店内に備え付けてある時計を見ながら答える。時刻は十三時四十五分過ぎ。十四時上がりだからもうすぐで終わりだ。
困惑しながら伊藤さんを見るが、当の本人はいつもと変わらない表情である為考えが読めない。一体全体どうしたんだろう。
「俺の家来る? お金返すよ」
「え? 家ですか?」
家、即ちハウス、住んでいるところ。
私が伊藤さんの家に行く? 何故? どうして? 突然何で?
衝撃発言に口をあんぐりと開けて固まってしまう。いきなり家に誘って来たんだけど、もしや伊藤さんってちょっとヤバい人?
私が言葉を失っていたからか、伊藤さんは早口気味で訂正して来た。
「シェアハウスだから。そんなやましいこと何もしないし。ここから近くにあるからどうかな思って」
なるほど、シェアハウスなのか。それならとんでもない事態が起きる可能性は低いな。納得して口を閉じる。
伊藤さんは「大丈夫そう?」って聞いて来るが、正直あんまり大丈夫ではない。
「ちょっとびっくりしただけです、はい」
「そっか」
でもそんな近くにあるならこの十五分の間に取ってくれば良いんじゃ?
私が訝しげな表情をしているのが分かったのか、伊藤さんはまた口を開く。
「スマホ忘れて連絡先交換出来ないし、すれ違っちゃうかもじゃん?」
「そ、そうですかね」
「そうだよ」
「そっか……」
上手く丸め込まれたような気もするが、そうして私の伊藤さん家訪問は決定したのだった。
時間になって遅番の人に引き継ぎをした後、タイムカードを切って待っている伊藤さんの元へ向かう。
いつもはキッチンカーから見下ろしている為実感が無かったが、同じ視点に立つと案外私と身長差がある。隣に並ぶとそれは余計に際立ち、頭一個分程上に彼の顔は位置していた。
「お待たせしました」
「じゃあ行こうか」
「はい」
キッチンカーで隔てている距離感が今は無くなり、触れようと思えば触れそうな距離で何だかむず痒い。
視点が逆転しているのがやはり物珍しくて、何度も伊藤さんを見上げて彼の顔を見てしまっていた。下からアングルの伊藤さんも普通にカッコ良いから、目の保養である。
「俺の顔になんか付いてる?」
じっと見ていたのがバレてたみたいだ。
「いや、いつも見下ろしているので見上げるのは新鮮だなと思いまして」
あとは普通にカッコ良いなって。これは心の中に留めておくけど。
伊藤さんも思い当たる節があったのか「あーね」と気の抜ける同意をしていた。
「てか同年代だろうしタメ口でいいよ。呼び方もふみやでいいし」
これまた爆速で詰められる距離感にちょっとドギマギする。もう店員と客の距離感では無い気がするんだけどいいのかな。まぁいいか。小さいことは気にしないに限る。
「じゃあそうしようかな……ふみやさんで」
落ち着いたオーラが歳上に感じるので呼び捨てにするのは躊躇ってしまった。なんかもう百戦錬磨、今まで様々なことやって来ました、そこら辺の悪い奴ら全員友達、みたいな雰囲気醸し出してるもん。
実際は私に良くしてくれるからいい人だとは思うんだけど。まぁ滅茶苦茶偏見だ。ディスってるつもりはないけど、これ悪口かもしれない。
伊藤さん――もう今はふみやさん――は、少し残念そうに口をへの字に曲げる。
「まぁいいか、今は」
今は!?
目をかっぴらいてしまったが、必死にそっぽを向いて聞こえなかったふりをした。何だか追い込み漁をされている気分だけど。気のせいかな。
二人で歩いていると、左手に豪邸が現れる。ここ、私も家に帰る時よく通るのだが、いつも大きいなという感想を抱く。こんなところに住む人はとんでもないお金持ちに違いない。
その豪邸の門の前を通った時、ふみやさんは立ち止まってその門を押した。
「え。ここ?」
「うん」
「嘘でしょ。ドッキリ?」
「いやいや。本当」
こんなところに住んでいるだなんて、ふみやさん物凄くお金持ちってこと? 放蕩息子とか?
動きがぎくしゃくし始めた私をふみやさんは門を開けて中へと招き入れる。え、大丈夫かな。不法侵入じゃない?
「来たことある?」
「まさか! ないよ。いつもここ通るんだけど、その時豪邸だなぁって思ってたから」
「デカいのは元は大使館別荘だからかな」
脳内に大使館というワードが散りばめられる。大使館って、あの大使館? その大使館しかあり得ないよね、うん。ちょっとしたゲシュタルト崩壊を起こしていた。
元大使館の建物に住んでいるってふみやさんって何者なんだろう。ますます謎だ。
「そう言えばシェアハウス何だっけ。何人で?」
「七人」
告げられた人数に納得する。七人じゃあ普通の一軒家じゃ狭いよね。その人数でもこの豪邸だったら部屋は余っているだろう。その七人は何故こんなところでシェアハウスを。謎だ。
すっかり及び腰になっている私にふみやさんは意地悪気な視線を向けてくる。その表情、絶対ビビっている私を見て楽しんでるでしょ。
「その人数でも豪邸過ぎて、部屋が有り余ってるんじゃない?」
「じゃあ住む?」
「え!?」
ズザッと地面を蹴ってフリーズした。私を揶揄うための冗談だよね?
ふみやさんを凝視するが、当の本人はほくそ笑みながら私を見下ろすではないか。絶対楽しんでるよ、この笑み。
揶揄われたんだとじっとりと彼を睨む。
「はは、冗談だって」
「揶揄わないで下さい」
「面白くてつい」
「酷い」
酷い人だ。イケメンじゃ無かったら絶対許してないんだから。顔が好みだから許してること、結構ありますよ、えぇ。
大きな玄関へと着いた。本当に大きい、馬鹿デカ玄関だ。私の家の三倍くらいはありそう。ふみやさんと共に中へ入り「ここで待ってて」とそのまま置いてかれた。
目の前に広がる格調高いエントランスホールに、少し居心地悪さを感じてそわそわとしてしまう。
数分経った頃だろうか。誰かが階段を降りて来た。ふみやさんではない。
「ふみやさんの御客人ですか。こんにちは」
「お邪魔してます」
現れたのは紫髪の体格が良い男性だ。落ち着いた雰囲気からだいぶ歳上のように感じる。シェアハウスの住人の一名なのだろう。
ふみやさん、こんな方と一緒に暮らしてるんだ。自分には経験しようもないことしている彼が妙に遠くに感じた。
紫髪の男性は私の近くに寄ると、鼻をすんすんと鳴らす。クレープの匂いが服とか髪とかに染み付いているから、そう嗅がれると恥ずかしいのだが。
「うーん、この甘い香り、何ともセクシーですね。どうです? このワールドセクシーアンバサダー天堂天彦と共に、セクシーダンシングします?」
「え?」
日本語の筈だが異国語に聞こえて理解出来なかった。何を言ってるのかわからない。理解出来ない私が悪いのか、ここの家はこれが普通なのだろうか。
困惑して言葉を失ってる私に、紫髪の男性は恍惚とした表情をする。
「困った顔もセクシーですね」
何て反応すれば正解なのだろう。多分褒められている筈なのでよくわかってないが感謝を述べておいた。どうしよう、早くふみやさん帰って来て欲しい。私を早く助けて。
そんな私のいじらしい願いが通じたのか、奥の階段からふみやさんが降りて来る。
良かった。本当に本当に助かった。
「天彦、あんまり絡むな」
ふみやさんは私と紫髪の男性――天彦さんというらしい。勝手にそう呼ばせて貰おう――の間に入ると、非難するように少し眉を寄せてそう注意し始める。
その注意された天彦さんは大袈裟に肩をすくめて両手を上げた。何もやってないですよアピールだろうか。
「あぁ、ふみやさん……その手に持っているものは?」
「ちょっとね」
二人の会話に釣られてふみやさんが持っている物に目線を向ける。そこにはお財布が握られていた。きっと、私にお金を返す為に見つけてきたんだろう。
「ちょっとふみやさん! それは大瀬くんの財布だと言っているで、えぇ!? じょじょじょ女性!? 何故!?」
何だか騒がしい方がエントランスホールに降りて来た。白髪の眼鏡をかけた男性は物凄い早足でふみやさんに詰め寄ったが、その後ろにいた私に気づくと飛び跳ねた後バックステップで二メートル程距離を取った。
顔色を青白くしたり赤くしたり忙しない。わなわなと震えている。
「あぁ、俺が連れて来た」
さらりとそう言ったふみやさんに、白髪の男性は首から下げていたホイッスルを鳴らす。
家の中で笛って、ここの家だと普通なのかな。
「この家は不純異性交友禁止です!」
「そんなんじゃないって」
私の名誉の為にも、もっと強く否定して欲しい。そもそも私達は店員と客なのであって、恋人は勿論、友人でもないのだから。白髪の男性の勘違いにすぎない。
「ふみやさん、また大瀬くんの財布をどうするつもりですか」
「俺の財布見当たらないし、お金返す為にちょっと借りようかなって」
「本末転倒ですよ、それ」
ふみやさんと天彦さんの会話にぎょっとする。私にお金返す為に他の方からお金借りるって。もうそこまで来たら数百円だし返さなくていいよって気持ちになってくるじゃないか。
どうしよう、と悩んだままふみやさんを見上げていたら「ん?」と微笑みながら見返される。
ん、じゃないって。困ってんだって、顔がいいな、もう。
「コラ、伊藤ふみや! 朝にテラくんのデザート食べたでしょ!」
また新たな人物が出て来た。金色の長髪で、モデルの方かと思う程綺麗な人だ。骨格的に男性だと思われるが、ジェンダーレスな雰囲気が何とも魅力的だ。そんな人も眉を吊り上げてふみやさんを問い詰めている。
「うん。食べた」
ふみやさんは何とも思ってなさそうなトーンでそう言い放った。それに金髪の美人も鬼のような表情になる。
「テラくんって名前書いてあったの見えなかったのかな!? このテラくんの物を盗むなんて、有罪だよ有罪!」
「まぁまぁまぁ」
言い争いが勃発しているこのシェアハウス。他人の私から見ても破茶滅茶だ。
その口論の渦の中心にいるふみやさんは、なんか色々とやらかしているみたいだけど大丈夫なんだろうか。
「目的達成したし、出ようか」
「え、いいの?」
全てを無視して私の方に声を掛けてきたふみやさんに肝を潰す。何にも解決してないみたいだけど本当に大丈夫なのかな。
「うん。いい」
動かない私にふみやさんは肩を掴むとそのまま押し始めた。家を出ろってこと?
強くない力だが押されてるのは押されているので、玄関の外へと足が進む。
「よくない! 伊藤ふみや! 話は終わってないぞ!」
「ふみやさん、あぁもう! 大瀬くんの財布を置いて行きなさい!」
「あぁ! まだセクシーダンシングをしていないのに!」
後ろがとても騒がしい。本当に大丈夫なのかと後ろを何度も振り返るが、ふみやさんは微笑みを崩さぬまま押すのをやめない。
「本当にいいの?」
「大丈夫大丈夫」
そのままふみやさんは後ろ手で扉を閉めてしまった。シャットアウトしちゃったよこの人。
まぁふみやさんがいいって言うのならとやかく言う必要はないか。掴むのをやめて先に歩き始めている彼に私も続く。
「なんか愉快な人たちだね」
「まぁ愉快だよ」
そう言ってふみやさんはふっと鼻を鳴らした。あんだけ癖が強い人達が集まってたら毎日騒がしいんだろうな。
「財布はちょっと見つかんなかったから、キャッシュレスで何か奢るよ」
先程ふみやさんが自身のジャケットにしまった財布は、大瀬さんという方の物だっけ。
結局返してないんだ。でも私にお金を返そうという気持ちは強いらしい。
「え、いいよ全然。後日返してくれればよいし」
それに別にもう返さなくてもいいかなと思ってる。とは、ふみやさんが返そうと躍起になっているみたいであるから黙っておいた。ご厚意は有り難く頂いておこうかなって。
「甘い物好き?」
「好きだよ」
唐突な質問に反射的に返してしまったが、私は自他共に認める生粋な甘い物好きだ。高校の時も別の店でだがクレープ屋でバイトしていたし、現在もしかり。甘い物好きだからそこでバイトしていると言っても過言ではない。
ふみやさんは私の即答に上機嫌そうに一つ頷いた。
「いい店知ってるんだ。行こう」
「え、うん」
私の"後日"という提案は無かったことになっているみたいだ。あれ、と疑問に思いつつも道を案内されるのでついて行く。私は友達に壺を勧めされられたら買うタイプとレッテルを貼られているので、そういうことなのかも知れない。
ファンシーな店の前に到着した。客層は女子中学生や高校生といった若めで、空気がキャピキャピとしている。
ふみやさんのような人が来る場所とは到底思えないが、お勧めと言って連れて来た場所なのだから贔屓にしているのだろう、多分。
二人で入ると店内中の視線が私達に集まり、何やらヒソヒソと話される。
「あれ絶対ヒモ男と飼い主だよ」
「えードラマみたーい」
今時のJKってそんな言葉知ってるの? とんでもない単語が聞こえて頭を抱えそうになる。ふみやさんは気にせずズンズン進んで席に座った。メンタルおばけだこの人。
「ふみやさん。私達ヒモと飼い主に見えるみたいだよ」
「え? ナマエちゃんがヒモ?」
「逆だよ」
何でそうなる。もしかして自覚ないのかなとじっとりと見つめるが、当の本人はメニュー表に目線を落としている。
「ナマエちゃんも見る?」
「うん。何がお勧め?」
「全部」
一番困る答えだ。半目でふみやさんを見てしまうが、本人は至極真面目に言ってるみたいだから責められない。
メニューの名前は普通のものもあれば、何のスイーツが出て来るのかわからない程個性的なものもある。
「ふみやさん。このお姫様抱っこでラブリーキスは何のスイーツ?」
「あぁ、これはいちごミルフィーユだよ。パイ生地が王子、カスタードが姫、いちごがラブリーキスを表してる」
「へぇ〜。このラブラブポーション大ちゅきチョコたんは?」
「これはチョコマフィンにいちごのチョコレートがかかっていて、上にハート型のクッキーも刺さってる」
ネーミングセンスが凄い。メニュー表に説明も何も載ってないので、詳細を知っているふみやさんは頼んだことがあると言うことだ。こんな名前のスイーツを頼まなそうな容姿であるのに、淡々と頼んでいるところが容易に想像出来るから不思議だ。
「私きゃぴるんにゃんにゃん大しゅきしゅきホールドケーキってやつにしようかな」
名前的に猫モチーフのケーキかなと思い、それを指差す。絶対可愛いし、今はケーキが食べたい気分だ。
「それホールケーキだけど、四号の」
「四号!? 結構大きいね……」
四号のホールケーキって、二人以上で食べるやつじゃないか。流石に一人で食べ切るのは難しそうだと戸惑ってしまう。
「俺と分ける?」
「いいの?」
「うん。どうせ食べようと思ってたし」
ふみやさん、まさかのホールケーキを一人で食べようとしてたんだ。流石にそれ頼んじゃったら、他全然入らなくなっちゃうよね。
「それだけでいいの?」
「うん。後は紅茶頂こうかな」
「おっけー。じゃあ、呼んじゃおう」
店員を呼んだふみやさんはそれはもう流れるように注文をした。大量のメニューの名前がつらつらとふみやさんの口から発せられ、店員さんはそれを慣れたように書き留めていく。
え、どんだけ頼むのこの人。
少し引きながら凝視してしまうが、ふみやさんの頼むスピードは止まらない。
多分、店のメニュー全部頼んでるレベルだと思われる。これに加えてホールケーキを一人で食べようとしてたの、この人。
「――後、きゃぴるんにゃんにゃん大しゅきしゅきホールドケーキを一つ。あ、取り分け皿も下さい。飲み物はアイスココアと紅茶で」
「はい、畏まりました。紅茶にはお砂糖やミルクなどお付けしますか?」
「ナマエちゃん、どうする?」
ふみやさんの問いかけにハッとする。現実とは思えない光景に少し意識が飛んでいた。
「ストレートで大丈夫です」
「ストレートですね。お飲み物はいつ頃がよいでしょうか?」
「えっと。ふみやさんどうする?」
「いつでもいいな」
「じゃあ食事と一緒で」
店員さんはメモに書くと、すぐさま離れて行った。そりゃ大量の注文が入ったんだもん、忙しいよね。
やはりさっきの光景が信じられなくて目の前のふみやさんを見つめてしまう。ふみやさんはスマホを弄っていたが、私の視線に気づくと顔を上げる。
「どうしたの」
「ふみやさんって甘い物好きなのは知ってたけど大食いでもあったんだね」
「え? いやいや。ナマエちゃんが少食なだけでしょ」
「そんなことは無いよ」
「そんなことあるって」