バレンタイン 前編



 14日、朝―――。
 名前は昨日から泊まりの任務で高専にはいなかったため、いつもの教室がすごく寂しく感じた。いつも隣にいるし、席も隣の名前がいないのは、こんなにも空虚な感じなのか、と改めて痛感させられる。

「名前って何時頃帰ってくんの?」

 悟の主語のない質問はてっきり硝子に向けられたものだと思っていた。だから「傑聞いてねぇの?」と付け加えられたので、その質問が自分に向いていることをようやく知る。

「昼過ぎとは聞いてたけど」
「へえ、じゃあチョコはそん時かな〜」

 そう呑気に言った隣の男に私は思わず耳を疑った。何故悟が名前からのチョコレートを期待しているのだ。名前と付き合っているのは私だ。名前の彼氏は私なのだ。

「ああ、そのチョコなら預かってるよ」

 そう声をかけたのは空席の机の更に向こうに座っていた硝子だった。足を組み携帯を片手にこちらなんて興味なさそうにしていたが、そういうや否や机の横に下げられていた紙袋から似たような梱包の小さな箱を取り出す。
 私は少し混乱していた。

「はい、こっちが五条の。んでこっちが夏油の」

 硝子は私たちの手前まできて丁寧に一人ずつに渡してくれた。その小さな箱は色こそ違えど、同じショップのロゴが入っていた。

「私と名前からの分だから」
「えー、それぞれ別にくれたっていいだろー」
「面倒臭い。貰えるだけありがたいと思いな」

 硝子は悟にそう言ってちらりと私の方を一瞥した。その表情は嫌な笑みを作っている。

「溢れ出す義理チョコの雰囲気を受け入れられないって感じだな?」
「………別に」
「かわいそー、傑ドンマイ」
「ちょっと黙っててくれるか」

 正直、硝子の指摘の通りだった。私たちは付き合っているから特別に用意されているとばかり思っていた。だが確かに任務が重なっていたことを考えると、そんなに欲張るのはわがままなのかもしれない。こうしてくれるだけでも、ありがたいと思わなければならないはずだ。
 じゃあ何故事前に甘いものよりもビター系のほうがいいよね、とか下着の好みとか好きなコスプレとかを聞いてきたのだろうか。あんなあからさまに事前に準備してます、と言ったアピールをされていてはチョコレートだって期待してしまうじゃないか。

 隣で既にチョコレートを食べる悟を模倣するようにラッピングを解いていく。硝子と名前両名からのものだと言い聞かせながらリボンを解いて、包装紙を剥がしていく。するとそこには一枚のカードが添えられていた。思わず隣の悟の机を見る。広げられたラッピングの中に同様のカードのようなものは見当たらなかった。

 白い厚紙に赤くHappy Valentineと印字されたカードを裏返してみる。

 その裏は確かに名前の筆跡だった。

 "今日の授業終わったら、わたしの部屋に来て"

 その文字を見るだけで私はひどく高揚してしまうのが分かる。そして先ほどとは打って変わって上機嫌になりながら、早速チョコレートを頬張った。

 ほんのりとほろ苦く、控えめな甘さのチョコレートに思わず頬が綻んでしまう。

「これめちゃくちゃ美味い。俺やっぱチョコは甘いのが好きだわ」
「お前はチョコに限らず甘いもんが好きだろ」

 そこで私は気付く。店や包装は一緒であれ、悟のチョコレートと私のチョコレートは別のものが選ばれていたのだ。とすると名前の事前の確認もやはりちゃんと準備をしているという裏付けになる。私はそこに名前からの愛を感じながら、更に事前準備で確認された内容のことを思い出して、一日の授業が早く終わらないかとずっと時計を眺めていた。

prev booktop next

index