Valentine



兵舎の所々から漂う甘い香りに、もうそんな季節かと思いを馳せる。異国にはこの日に大切な人、お世話になった人や好意のある人に甘味を贈る文化があるらしい。どこかの新聞社がそう記事を出して囃し立てたのが数年前だったか。

だとすれば今頃二ファはいつもより多く届く手紙や差し入れの仕分けに火を吹いているに違いない、と結論建てて今来た道を引き返す。直属の上司は違えど副長になって約一年、振り回される苦労は多少なりとも理解できるし、今の私には急ぎの仕事もないのだから。

匂いだけでこの部屋に辿り着けてしまうのだから、相当なのだろう。覚悟して扉を開けようとすれば、中から悲鳴が聞こえた。
恐る恐るドアノブを捻り様子を伺うと、床にまで散乱した手紙が見える。目線を机の上にずらせばひと目で現状を理解した。あぁ、これは積みすぎて崩れたな。
絶望を味わっているだろう彼女がゆっくりと振り向く。手伝おうかと声をかけると、彼女の可愛らしい真ん丸な瞳が光を取り戻した。

格闘すること数時間、最後の一枚を仕分け終えて、彼女が大きく伸びをする。去年の倍はあるだろう枚数に達成感も溢れる。

「あとは配るだけね、お疲れ様」
「本当にありがとうございました!リアさんが来てくれなかったら丸一日手紙とお菓子に埋もれてるところでしたよ」

日が傾き出した窓を見て、思うより時間が経っていたことを知る。
暗くなる前に終わって良かった。配るのは自分でやると聞かない彼女に、ならばどうせ顔を合わせるからと彼宛ての束を抱えて部屋を後にする。
まさか大荷物になるとは。改めてすごい量だったなと感嘆する。

世間的に見れば調査兵団の支持母数はかなり限られている。でもこうして熱心な手紙が届くのは何も今日に限った話ではない。流石に毎回山になる程の量ではないけれど。
その度に仲間が褒められて認められて、そんな言葉に頬を緩ませる姿を見ると、こちらまであたたかい気持ちになる。この為だけに調査兵をやっている人はいなくても、自由を求めて戦う理由の中に"彼ら"はいるのだ。

執務室に戻ると、彼もちょうど会議から帰ってきたばかりのようだった。私の手荷物の多さに気付くと、何だそれはと声なき声が聞こえた気がして、全部兵長宛ですと答えれば彼は顔を顰める。

「頭が痛くなりそうな量だな」
「大変だったんですよ?仕分けるの」
「だからお前から甘い匂いがするのか」

そう言って髪を掬われる。その手つきと目線に心臓が跳ねた。この人は私の好意を知ってか知らずか、いや知ってるならタチが悪いが、たまにこういうことをするから困る。

「紅茶を用意してきます」

見惚れていたのを誤魔化すように目を逸らせば、彼は特に気にする様子もなく背を向けた。
相変わらず棚には茶葉がずらりと並んでいて、どれにしようかと悩むのも気付けばひとつの楽しみだった。

砂時計が紅茶の完成を知らせる。彼の目の前に香りを運べば、もう慣れたもんだなと口角を上げる。満足気にカップに手を伸ばして口許を綻ばせられたら、私の中で何かが弾けた。それはきっと副長である矜恃や誇りで、育ち続ける想いに蓋の役割を果たしていたもの。

彼の傍で着々と育った芽は、私が思うより大層な根を張っていたらしい。

今この瞬間、私の想いのままを伝えたら、彼はどんな顔をするだろうか。あぁ本当は一生言うつもり無かったのにな。なんて、誰に弁明しているのやら。未来の私は、多分一生は無理だったよと笑っていることだろう。

その日、私は甘い香りに乗せられて、はじめて彼への気持ちを音にした。