それは平行世界
眩しさにゆっくり目を開けると無機質な冷たい天井が視界に広がる。巨大なファンが無いことから一係のオフィスではないことはすぐにわかった。それにどうやら自分は医務室のベッドに寝かされているらしいということも。しかし、どうしてここにいるのか、ららに心当たりはない。
「おはよう」
この声は誰だろうか。少し鼻にかかった低い声。聞き覚えがあるような、無いような…少なくとも一係にはいない誰かだ。他部署の人が見舞いに来た?一体なぜ?ららは声の主を確かめるべく、ベッドに寝たまま声のするほうへ顔を向けた。
「…!」
声の先にいた人物――顔をちゃんと見るのははじめてではあったが――誰なのかすぐにわかった。そうだ、さっきの声も聞き覚えがあると思ったら、つい最近監視カメラの音声を聞いたからじゃないか。ららは体が強張るのを感じた。恐怖だけが理由ではない。その人があまりにも美しかったから。そして、あまりに優しい表情だったから。背筋が寒くなると同時に現実感のない美しい顔立ちと、この世の穢れをすべてはね除けるかのような神聖な雰囲気。しかし、この男は危険だと彼女自身の直感が告げる。
その男はベッドサイドの椅子に座って読んでいた本を閉じた。
「唐之杜が言うには軽い貧血だそうだ」
優雅な動作で足を組むと視線がららのほうへ向けられる。黄金色の瞳に映されたららの顔は恐怖と戸惑いとが入り交じっていた。
「何で…マキシマがここに…」
マキシマ――…つい最近、桜霜学園の監視カメラの音声からその存在が明らかになったばかりの、狡噛が追い続けている男。狡噛を変えてしまった男。それが今、ららの目の前にいる。目を見開きベッド上でどうにかマキシマから距離をとる。どうやってこのビルに忍び込んだのか、病室の監視カメラはどうなってるのか、もしかして襲撃されたのか。様々なパターンが過るが、マキシマは聖母のような笑みを浮かべるだけだった。
「まだ寝ぼけているようだね。僕が何でここにいるか、だなんて。部下を見舞ってはいけないという決まりはないはずだが」
「部下…?一体何を…」
自分は一係の執行官だ、それがなぜマキシマの部下になる?ららはもしかしたら自分は何か重要な記憶を無くしてしまったのでは、と不安になった。そのとき、病室の扉が開いた。
「おお、紅月。目が覚めたか」
「征陸さん!!」
現れたのはららもよく知るベテラン執行官の征陸だった。征陸なら何か知っているはずだ、きっと助けてくれる。しかしホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、征陸はららではなくマキシマのほうへ歩み寄った。
「槙島、伸元が連絡しても繋がらないって怒ってたぞ」
「ああ、すまない。本を読んでいて気付かなかった」
「しっかりしてくれよ、監視官殿。もうすぐコウガミの尻尾が掴めそうだっていうのに」
ららは目の前で会話をしている二人の様子に目を瞠る。なぜ当たり前のように話しているのか、なぜ征陸はマキシマに対して監視官殿などと言ったのか。そしてなぜ狡噛を探しているのか。しかし、着いていけていないのはどうやら自分だけらしいとわかり、ららは質問責めをしたくなるのをぐっと堪えて征陸のほうを向いた。
「あ、あの…征陸さん。その…コウガミ?何で追ってるんだっけ」
「何でって…おい、本当にもう大丈夫か?コウガミはシビュラに楯突く危険分子の親玉って噂だからだろう」
「危険分子?」
「複数の事件に関わっている疑いがある」
愕然とするというのはこのことだと思った。狡噛がシビュラに楯突く危険分子?確かに彼は執行官、即ち潜在犯だからシビュラから見放されたと言えなくもない。が、そのシビュラの下で刑事をしているではないか。ららは再び瞼が重くなってきたのに合わせて、この現実と言い難い状況から目を背けるように眠りについた。
「また眠ってしまったか」
「よっぽど疲れてたのかねぇ」
二人のららを見る表情が至極優しいことなど、彼女は知る由もなかった。
次に目が覚めたとき、やはりららはベッドにいた。サイドテーブルにはマキシマが読んでいた本が置いてあり、ららは落胆した。すると病室の扉が開いて宜野座がやってきた。目覚めてすぐというタイミングの良さから分析室で様子を見ていたようだ。リモコンを操作してベッドをリクライニングし、宜野座に目線を近づけた。
「どうだ、具合は」
「まぁまぁです」
「まったく…貧血とは情けなさすぎるぞ」
宜野座は眼鏡のブリッジを指で押し上げると大きくため息を吐いた。ららはそのいつもと同じ様子にひどく安心し、意を決して聞いてみることにした。
「あの、宜野座さん。変なこと聞いても良いですか」
「何だ」
「その…マキシマ、さんは…いつから公安局にいましたっけ」
縋るような気持ちで聞いた。いつもの冷たい目でお前は何を言っているんだ、と言われることを期待していた。マキシマが公安局にいるなど夢でも見ているのか、と。しかし、現実は冷たい目では見下ろされていたもののその言葉は期待外れのものだった。
「いつからも何も、槙島が俺の同期だという話は前にもしただろう」
ららは信じがたいことが起こっていることを確信せざるを得なかった。狡噛とマキシマの立場が入れ替わっている。しかも、狡噛が執行官に降格されていなければそうなっていたであろう立場に。それはつまり一係に常守朱がいないということでもある。なぜこんなことが起きているのか。その受け止めがたい現実に一眠りして冷静になりかけていた頭が再び混乱する。ららは過呼吸になりそうになるのを必死に堪えた。
「じゃ、じゃあ…3年前の事件は?藤間幸三郎は?桜霜学園にいたのは?」
捲し立てるように言うと宜野座は心底うんざりしたような顔でため息をつく。
「はあ…意味のわからないことを聞くな。俺はもう行くぞ」
「あ、待って!」
「今度は何だ」
「私を執行官にするってなったとき、面会室に来たのって…だれですか?」
これは大事な思い出の一つだ。今でもはっきり思い出せる、あの日のことを。あの日、狡噛と初めて会った日のこと…
『君に執行官の適性があるという結果が出た』
『俺は人を見る目には自信があるんでな』
退屈で気が狂いそうな施設の生活からららを抜け出させたのは狡噛だったのだから。
「槙島だっただろう。俺はもう行くぞ」
宜野座は呆れたような顔をして病室を出て行った。
時間軸は桜霜学園の事件後くらい。
常守を越えるメンタルイケメン監視官!オリジナル色は強めです。
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