隣に座ったレンくんから、甘い香りが漂ってきた。
「香水変えた?」
「そうそう、渡そうと思ってたんだ」
トランプが入っていそうな四角い箱を開けると、透明なガラス瓶が現れた。中には僅かに粘度を感じる液体が揺れている。
「まだ試作品らしいけど、俺は気に入ってる」
試作品ということは、シャイニング事務所とレイジングエンターテインメントが発売すると言っていた香水に違いない。ST☆RISH、QUARTET NIGHT、HE★VENSのアイドル十八人・十八種類の香りが用意されるそうで、宣伝も大々的に行われている為、もう何度も広告を目にした。キャッチコピーは【ドラマチックな365日を君に】だったか。各アイドルが自身の香水をプロデュースするとあって、ファンも大いに賑わっているようだ。今手渡されたのは、発売前の貴重な試作品という事になる。
「つけてみてもいい?」
「もちろん。貸して」
瓶を渡すと、レンくんはわたしの髪をかき上げ、耳の後ろでシュッとプッシュした。たちまち芳醇な香りに包まれ、くらりと目眩がしそうになる。反対側にもワンプッシュ。よく確かめようと呼吸を深めると、ふと違和感を覚えた。
「……レンくんのと少し違う?」
「俺は今、ミドルが香ってる時間だからね」
「ミドル?」
「ああ、ごめんごめん。普段香水をつけないなら知らないか。香水には、トップ、ミドル、ラストって言ってね……」
香水の基本的な知識と、レンくんがプロデュースした香りをそれぞれ教えてもらっているうちに、纏う香りがだんだんレンくんと重なってきたような気がする。
「すごい、本当に変化するんだね。不思議」
「体臭も混じって演出されるから、俺と名前の香りも少し違うはずだよ」
言いながらわたしの耳元に顔を寄せ、深く呼吸する。熱を感じる距離と慣れない香りが、心拍数を容易に跳ね上げた。恋人の贔屓目を抜いたって、彼はトップアイドルの神宮寺レン。ドキドキしない訳が、ない。
必然的にレンくんの耳元が鼻先に寄せられるので、躊躇いつつもこっそり吸い込んでみる。香りは鼻腔に滑り込み、毒のように感覚を麻痺させて、頭の芯をとろけさせてゆく。幸せを香水に変えたら、きっとこの香りになるんだろう。
「こうしてると、なんだかレンくんと一つになったみたい」
「大胆な事を言うようになってくれて嬉しいよ」
「そ、そう言う意味じゃなくて」
慌てて離れようとすると、背に回された腕がぐっと上体を引き寄せ、心臓を重ねるように胸同士が密着した。自身の双丘が平らな胸板に押しつぶされるのが恥ずかしく、両腕で距離を取ろうと力を込めてみる。レンくんはそれを分かっていて、さらに力を強めてくる。仕方なく、胸の間で折り畳んだままどうしようもなかった腕を、そっと背中に回してみた。
耳元や首筋にキスがたくさん落とされる。レンくんが身動ぐたびに、甘い香りで満たされる。真似して耳にキスしたら、くすぐったいと引き離された。
「名前」
頬を包む手のひらに、甘えるようにすり寄せたのが合図。唇に落とされたキスが、きっと世界で一番甘い。
20200820
香水よかった。