!ES警官パロディ
「イタズラ仔猫が迷子なんだと」
寝てたんじゃなかったのか、と凛は相棒を見下ろした。背もたれを深く倒し、制帽を顔に載せて、すっかり眠り込んでいるものと思っていた。
平和な街に平和ボケした人々が行き交う、いつもと変わらぬ昼下がり。そんな日常に時折り現れる悪しき者を成敗するのが彼らの仕事だった。パトカーの中で風にそよがれながら昼寝をしたり、冷えた炭酸飲料を片手にぼーっと景色を眺めるのが本業ではない。
「仔猫ってあれだろ? この前捕まえた悪ガキ共」
「あれは囮さ。親分気取りの仔猫が一匹残ってる」
宗介は、アイマスク代わりの制帽を浮かせ、横目で通りを見た。鋭い視線が、足速に過ぎる女を射抜く。膝丈の黒いワンピースが俊敏な黒猫を思わせる風貌の女は、さっと辺りを確認したかと思うと路地裏へと身を滑り込ませた。
「んな話訊いてねえぞ、どこの情報だ? ガセネタじゃねえだろうな」
「本人に訊けばわかるさ。まあ試しに可愛がってやろうぜ」
また悪い癖が出たな、と凛はため息を吐いた。相棒は、さながら小鳥を見つけた猫のように、容疑者をいたぶる節がある。事実、犯人の検挙に繋がっているので、多少の悪さは上も大目に見ており、それをいい事に興が乗れば凛も片棒を担ぐのだが。
真偽の程は定かでないが、今回は面白い事になりそうだと、仔猫が消えた路地裏を眺める。
「算段はついてんのか?」
*
「ちょっと失礼」
路地を右に折れたところで、男に行手を阻まれた。壁に手をつきわたしを覗き込むエメラルドグリーンの双眸は、全くもって「失礼」とは語りかけてこない。硬派な見かけによらず軟派な物言いは、どうせお茶か何かの誘いだろう。
「ごめんなさい、わたし急いで……」
軽く流そうとして、男の服装が警察のものだと気づき、咄嗟に後ずさった。
「おっと」
タイミング悪く、後ろからやって来た人にぶつかり肩を掴まれた。振り返った瞬間、太陽に透ける赤毛に目を奪われる。と、こちらの男も濃紺の制服をまとっているではないか。遅れて気づく。挟まれた。
「なにか用ですか?」
「そう怖い顔すんな、かわい子ちゃんが台無しだぜ?」
正面の男が馴れ馴れしく頬に手を伸ばした。顔を背けるが、背後から赤毛の男に拘束されている。顎を捕まれ、正面を向かされると、彼は少し驚いた顔をして笑った。
「おい凛、イタズラ仔猫もちょっとは賢そうな顔してるぜ」
「宗介、あんまり虐めてやるな」
わたしの面は割れていないはずだ。百と愛が喋るはずもない。どこから情報が漏れたのだろう。宗介と呼ばれた男は、わたしが内心狼狽えていると見透かしているようだった。
「思い当たる節はあるんだろ、お嬢ちゃん。話、聞かせてもらおうか」
本題を持ち出された瞬間、背後の凛を支柱にして宗介を蹴り飛ばした。拘束が緩んだ隙に脇をすり抜け、目的とは反対方向に駆け出す。幸いここは入り組んだ路地だ、角を曲がり続けていれば直ぐに巻ける。
しかし、背後の足音は思ったよりも速く、しつこかった。焦っていたわたしは、ここで一つ大きなミスを犯す。足音の〈数〉に注意を向けていなかったのだ。
「……っ!」
遠心力に任せて角を曲がったところで、再び宗介が待ち構えていた。わたしは、凛という犬に追い立てられた羊だったのだ。なんとか勢いを殺して踵を返したが、右腕を掴まれバランスを崩した。
振り解こうともがいているうちに両脚が地面を離れ、ワイン樽のように担がれてしまう。
「おろしてっ!」
「大人しくしてくれたら、俺たちだって悪いようにはしねえさ。それとも、大人しく出来ねえ理由でもあるのかな」
宗介の背を叩きながら顔を上げた先に、赤毛を陽に透かす凛の姿が在った。目が合うと、凛は狩りに満足したように笑う。とんでもない男たちに目をつけられてしまった。
*
人よりこの街に詳しいと自負していたが、街外れにこんな廃アパートが在るとは知らなかった。建物の様子から、打ち捨てられて久しいようだが、連れ込まれた一室は綺麗なもので、頻繁に手を入れていると伺える。床には酒瓶やトランプ、オセロの石、貴金属などが無造作に散らばっているが、わたしたちの根城よりも余程整頓されている。ここへやって来てからの手際の良さから、彼らの溜まり場である事は明確だった。
ソファへ乱暴に放られ、隣に腰掛けた男を睨み付ける。彼の視線は、ワンピースが捲れて露わになった腿に向けられていた。慌てて裾を引っ張り肌を隠す。
「さて、何から訊こうかな」
宗介は職務質問と言ったが、その瞳は職務を遂行するようにはとても見えない。扉を閉めた凛が向かいに腰掛けた。
「さて仔猫ちゃん、教えてくれ。名前は」
「こんな扱いを受けて、教える筋合いあると思う?」
「嫌われてんなあ宗介。あんまり虐めてやるなって言ったろ」
炭酸飲料の瓶を傾けながら凛が笑う。宗介のたくましい腕が、背もたれのフレームに沿うように置かれた。後頭部に位置する手のひらが髪をすくい、指先に巻き付けて遊び始めた。やめてほしくても、肘掛けに阻まれこれ以上離れようがない。
「一般市民を拐って脅すなんて、許されると思ってるの」
「一般市民ねえ」
宗介の茶化すような物言いに再び凛が笑った。苛立ったので、何か言い返そうと上体を起こした瞬間、ぐるりと視界が反転した。近距離に宗介の顔がある。背景は所々剥がれ落ちた壁紙の天井だ。ただでさえ逃げようのないシチュエーションで、押し倒されては分が悪すぎる。完全に奴らの手の内だ。
吐息が触れる距離の宗介に顔を背けると、耳元で小さく囁かれた。
「百太郎に愛一郎、だったかな」
息を呑むわたしを、ガラステーブルの向こうの凛がじっと見つめている。同情するような眼差しをしているが、その奥に宿る獣性を隠しきれていない。宗介が続ける。
「おまえは賢いからわかるよな? 大人しくしてたら見逃してやるって言ってんだ」
「ひゃ……っ!」
耳を舐められた。肌が粟立ち、全身に力がこもる。いつの間にか手首をソファに縫い付けられ、身動きを封じられていた。耳朶を這う舌の感触と熱い吐息に背がしなった。凛は、恥辱に顔を歪めるわたしから眼を逸らさない。
顔の両脇で捕われていた手首が頭上でひとまとめにされる。胸元のボタンが外されていく中、何とか逃げ出す隙を突こうとわたしは必死に思考を巡らせた。
20140810
20211209加筆修正