!クラスメイトの片想い

「こら、苗字」
 突然名前を呼ばれ、現実に引き戻された。教師が半ば呆れ顔、半ばしたり顔でわたしを見ている。
「四葉に見惚れるのもいいが、授業を聞けよ」
「み……っ見惚れてません!」
 教室にどっと笑いの波が広がり、顔に熱が集中する。恐る恐る環くんへ目線を向けると、とうの本人はつまらなそうに横目でちらりとわたしを見、直ぐに逸らしてしまった。
 四葉環。今をときめくIDOLiSH7、そしてMEZZO"のメンバーで、抱かれたい男五位に君臨する駆け出しのアイドル──世間で知られる彼はそんな風だけど、わたしが知っている環くんは、ちょっとぶっきらぼうで、でも優しくて、たまにデリカシーのないことを言うけれど、不思議と嫌味がなくて、甘いもの……特に王様プリンが大好きで。どこにでもいる男子高校生だ。少し前まではクラスメイトとして談笑する事もあったのに、IDOLiSH7の人気上昇に伴い、すっかり遠い人になってしまった。前のように気軽に声を掛けるのも憚られ、こうして授業中に盗み見るのが常になってしまい、とうとう先生に指摘されたと言う訳だ。
 環くんは肘をつき、つまらなそうに授業を受けていた。大きなあくびの後、くりっとした瞳に反射する光の粒が大きくなる。近くで見たら、きっと湖のように綺麗に違いない。



 放課後、友達と空き教室にたむろしていたところ、見回りの先生に「早く帰れ」と追い出されてしまった。わたしたちは取り止めのない会話を続けながら靴箱を目指す。ところが、校舎を後にしたところで、机に仕舞い込んでいる課題の存在を思い出してしまった。喋り足りないのでファミレスに移動するつもりだったものの、提出期限間近の課題と天秤にかけ、泣く泣く一人引き返す事にした。
 夜の陰りを見せ始めた廊下は人の気配がない。無人と信じて疑わない教室へ一歩踏み込んで、わたしは息を呑んだ。
「た……っよ、四葉くん……」
「おー」
 窓枠へ寄り掛かるようにして外を眺めていた環くんが、感情の読めない瞳でわたしを捉えた。夕陽の残滓が床へ濃い影を落としている。
「あ、えと……なに、してるの?」
「仕事まで時間あっから、暇潰し。寮に戻ったら、もう外出る気起きねーし」
「これから仕事なんだ、大変……だね」
「みせーねんは十時までって決まってっけどな、いちおー」
 昼間の出来事が頭を過ぎり、お菓子やジュースで甘ったるく濡れた唾液を飲み込む。恥ずかしさで今すぐ逃げ出したい衝動に駆られたけれど、顔を合わせてしまった以上、このまま引き返すのは不自然だ。居心地の悪さを振り切るように、「わたし、課題忘れちゃって」なんて訊かれてもないことを口走りながら、自分の机へいそいそと向かうしかなかった。
 同じクラスなので、環くんにも同じ課題が出ている。でも、学校と仕事の合間に課題をこなす時間なんてあるんだろうか。現に今から仕事だと言うし、歌やダンスのレッスンだってやっているだろう。その生活はきっと想像以上に多忙に違いない。
「あんたさ、俺のこと見てたの」
「えっ」
 反射的に顔を上げると、視線がかち合い、ノートを数冊とりこぼしてしまった。窓枠のフレームに収まる環くんはただそこに立っているだけなのに、宵闇を従える主人のように堂々とした佇まいで、どうしようもなく絵になっていて、アイドルになるべくしてなった人なんだと思う。
「昼間。授業中」
「え……っと」
 わかりやすく狼狽えたわたしをよそに、環くんは視線で返事を促した。本当の事なんて言えず、かと言って嘘もつけず、逃れるようにしゃがみ込む。言い訳を考えるべく、出来るだけ時間をかけて拾おうと緩慢に伸ばした指先に影が落ちる。やがて影はわたしを覆い、踵の潰れた上履きが視界に入った。
「なあ、見てたの」
 顔を上げられず、ノートの表紙を引っかく指先が震えた。何でそんなこと聞くんだろう。あなたを見ていた、そんなわかりきったことを。
「…………うん」
「なんで」
 環くんは知らない。なぜわたしがあなたを見ていたのかを。今、わたしの鼓動が跳ね上がっていることを。それはアイドルへの憧れからではなくて、四葉環と言うクラスメイトを好ましく思う下心がそうさせているということを。
「……環く、四葉くんが、その……かっこいいから」
「俺がアイドルになってから、あんた、あんまし話してくれなくなったから」
 環くんの大きな手が伸びて、次々とノートを拾った。最後に伸びた手は、わたしの手を少し強引に掴んで引き上げる。
「嫌われたのかと思ってた」
「嫌……ってない、嫌ってないよ!?」
「よかった」
 至近距離で覗き込む瞳はやっぱり綺麗で、目を逸らしたいのに逸らせなくて、何だか泣きたくなってきた。
「仲直りしよーぜ」
「ケンカしてたの? わたしたち」
「ケンカじゃねえから、仲直りはおかしいのかな。じゃあさ、今日からまた友達な」



 いつものホームで電車を待つ。ふと顔を上げると、大きな看板の中で環くんの笑顔が弾けていた。手にされた清涼飲料水から噴き出す水飛沫が、彼を一層きらめかせる。
「近くて遠いって、こういうことを言うんだなあ」
 さっきまで二人きりだったのが嘘みたい。でも、わたしは環くんはクラスメイトで友達だ。明日も会える。いつもの教室で。

20240906