アイドルと酔っ払い
その人は、飲屋街の外れで見つけた。酔いつぶれているのか、ビールのボトルクレートにしなだれるように身を預け、タイトスカートから覗く両足が際どいラインを攻めている。ところどころ伝線したストッキングから垣間見える素肌が、何と言うか艶めかしい。
肩が上下しているので死んではいない。まあそのうち起きるだろうと傍を素通りした直後、思い直して足を止めた。この辺り、治安は悪くないとは言え、深夜に女の子が酔いつぶれているのを見て見ぬ振りをするにはあまりにもリスキーだ。百はため息をついて踵を返した。
「おねーさん、おねーさん。おーい、聞こえる?」
「んー」
かろうじて意識を取り戻した彼女は、そのとろけた目を百に向けた。これは出来上がってるなあと苦笑してペットボトルを取り出す。
「水、飲める? 俺の飲み掛けで悪いけど」
彼女は促されるまま手を伸ばした。ところが、力が入らないのか、手からすり抜けたペットボトルの水が、彼女の胸元からスカートまでを盛大に濡らしてしまった。肌に張り付いたブラウスが、なだらかなふくらみと下着を露わにしたのを見て、百は「あちゃー」と悲喜交々な声を上げる。
自身の惨状に気付いていない彼女は、転がったペットボトルを拾おうと前傾になり、百の胸に寄りかかって動かなくなった。
「ちょっとちょっと、ここで寝ないで! 起きてぇ!」
「ん゛〜」
肩を揺すられ再び目を覚ました彼女は、ようやく眼前で眉を下げる百の存在を認識したようだった。アルコールで潤んだ瞳でじっと見つめ、やがて吐息のような声を漏らした。
「もも……」
「え、」
「りばぁれ」
街中で正体に気づかれた時、たいていのファンは節度を守って知らないふりをしてくれる。中には熱心な子も居て、巻くのが大変なこともあるが。この子はどちらだろう……推し量ろうとして、直ぐに考えるのをやめた。ここまで酔っている子相手に杞憂だ。そう思うと、今度はむずむずとイタズラ心が湧き上がるのを感じた。
「君、俺のこと知ってるんだ」
マスクを下げイタズラっぽく笑う百を見て、彼女は目を一層とろけさせ、呂律の回らない舌で言葉を紡ぐ。
「知ってるよぉ〜りばーれの百ぉ……かっこよくて、かわいくてぇ……だぁいすきなんだぁ……」
◯
目が覚めると、知らない部屋の天井が広がっていた。昨晩は仕事の後、同僚と愚痴を肴に飲んで、飲んで、飲んで……店を出てからの記憶が、ない。身を起こして見渡すと、いかがわしいホテルではないもののどう見ても男の部屋だし、自分はオーバーサイズのTシャツを着ているし、極め付けは隣で誰かが寝ているし。完全にクロだ。
「うあぁぁ」
頭を抱え、なんとか昨晩の記憶を呼び起こそうと呻いてみる。ダメだ、何も思い出せない。
「もしかして、頭痛い? きのう相当飲んでたっぽいもんね」
聞き慣れた声に顔を上げると、Re:valeの百が片肘をついて、心配と愉悦を混ぜた表情でこちらを見上げていた。え、なに、ここ百の寝室? やだ、信じられないくらいリアルじゃん。夢は願望の現れと言うけれど、これはさすがに五感に訴えかけるものが多すぎる。
「あ、さては夢だと思ってるな? 水持ってきてあげる。目、醒めるよ」
そう言って百が持ってきてくれたペットボトルは、キンキンに冷えて水滴をまとっていた。えいっと頬に当てられ一気に目が醒め、同時に喉が開く。酒焼けした悲鳴は、それはひどいものだった。
「カーテンは開けないでね、週刊誌に載るとマズイから」
「あの……もしやわたし、」
「あは、見事につぶれてたよ。住所も名前もわかんないし、連れて帰っちゃった」
酔いつぶれたところを推しに介抱される阿呆なファンが、この世のどこに居るというのだろう。後悔と羞恥に苛まれ、どんな顔をしたらいいかわからない。
思い切って、もう一つの懸念を聞いてみる。
「わたしたち、その、シて……」
「ないない。百ちゃん、そのあたりちゃんとしてるから。ちょーっとトラブルがあって、君のスーツが濡れちゃったから着替えさせたけどね」
じゃあこのTシャツは百の……! 思わず自分を抱きしめそうになり、はたと我に返る。寝起きの今、髪も化粧もボロボロで、顔も絶対むくんでいる。こんな姿、百に見られただなんて。
「なかったことに、出来ませんかね……」
「なにを?」
「今、この瞬間を……」
「面白いこと言うね」
百は歌うように「出来ないよ」と言いながらベッドに片膝を乗り上げた。
「酔っ払った君から散々愛の告白を受けて、百ちゃんキュンキュンしちゃった。俺ばっかり知られてるのは不公平でしょ? 君のこと、教えてほしいな」
これは夢、と再び横たわったわたしの頬にペットボトルが当てられる。飛び起きても、そこはやっぱり百の部屋だった。
20241008