生徒と保健医
※環くんが彼女持ち、暗い

 体育の授業で擦りむいたとか、睡眠不足で仮眠を摂りたいとか。四葉くんは、他の生徒と同じような理由で保健室へやって来る。アイドルなんだから怪我には気をつけるよう再三注意しても、やんちゃ盛りの彼には右から左。睡眠不足は仕事を考慮して多めに見ることがあり、特別にベッドを貸し与える。
 でも、今日はいつもとは様子が違った。

「どうしたの、四葉くん」
 四葉くんは丸椅子に腰掛け体を左右に振るばかりで、軽快なおしゃべりが飛び出す口から何も発さなかった。時計はまもなく昼休みが終わる時刻を指す。サボりに目をつむり和泉くんに怒られる事態を避けるべく、そろそろ退室を促そうとしたところで、彼はようやく口を開いた。
「夢子せんせ〜はさ、」
「ん?」
「エッチ、したことある?」
「ん!?」
 あらぬ方向からの質問に一瞬身を固めたが、保健医として、大人として動揺を悟られてはいけない。何より四葉くんの表情からは、興味本位とか揶揄ってやろうとか、そう言った男子高校生にありがちな感情は読み取れず、真面目に向き合わなければならない気がした。
 プライベートな質問の回答は一旦控えるとし、まずは普段通りを演じながら優しく問う。
「何かあった?」
 表情にも声音にも細心の注意を払っていることに、きっと彼は気付いていない。逡巡ののち、四葉くんは再び口を開いた。
「彼女が痛いっつって、最後までさせてくんねーの」
 四葉くん、彼女居るんだ。この学校の子かな。いや、芸能人かも。アイドルや女優と出会う機会なんていくらでもあるんだし。
 四葉くんに彼女。四葉くんの彼女。
「そっ……かぁ」
「いや、やっぱいーや。変なこと聞いてごめん、忘れて」
 話題がまずいと思ったのか、恥ずかしくなったのか、四葉くんは逃げるように席を立った。
「四葉くんはさ、エッチしてる時、ちゃんと彼女のこと見てる?」
「……恥ずかしがって、顔見せてくんねーし」
 唇を尖らせる横顔が可愛くてつい微笑んでしまう。大人びて見えることがあっても、やっぱりまだ子供なんだなあ。
「ごめん、言い方が悪かったね」
 手招きして椅子に呼び戻し、膝を突き合わせる。
「たとえば、キスした時、指で触れた時、どんな反応するかちゃんと見てる? ってこと」
「んー……見てねえ、かも」
「じゃあ、今度からちゃんと彼女の反応を見てあげて。そしたら、どうしたらいいかわかるようになるし、女の子の体も自然と準備が整うよ」
「そしたら痛くねえ?」
「そうだねえ……最初はどうしても痛いかもしれないけど、その前にしっかり愛を伝えてあげたらきっと大丈夫だから」
「……うす」
「とにかく大切にね。ちゃんと避妊具もつけるんだよ」
「ん。わかった。あんがと」
 緊張が解けたのか、四葉くんの眉間から皺が消えた。
「夢子せんせーに話してよかった。他の誰にも、こんなこと言えねーからさ」
「また何かあったら話においで。さあ、昼休み終わっちゃうよ、行った行った」

 ◯

 数日後、職員会議の帰りに大きな声で呼び止められた。
「夢子せんせーっ!」
 視線を上げると、遠くで腕を振る四葉くんの姿がある。四葉くんは頭上でピースサインを掲げると、弾けるような笑顔を見せた。
「うまくいった!」
 その瞬間、全身の血が引いていくような感覚に襲われた。なんとか手を上げて反応を返し、保健室に戻るとドアに背を預けて座り込む。
 彼の悩みに触れることで、彼に寄り添える存在になりたかった。そうすることで、彼の特別になりたかった。どんな形でもいいと思っていたのに、今の関係に満足していない自分に気がついてしまった。
 IDOLiSH7の四葉環はみんなのものなのに、四葉くんはみんなのものじゃない。そんな当たり前の現実を突きつけられて、わたしは一人、泣いた。

20241206