「仕事、嫌い?」
背後から差し出されたコーヒーと共に、そんな声が掛けられた。紙コップは受け取らず、台本に視線を戻す。あからさまに拒絶したにも関わらず、彼──千はわたしの正面に回り、空いた椅子に腰を下ろした。余ったコーヒーを通りすがりのスタッフに渡し、彼は改めて口を開く。
「この仕事、嫌いなの?」
「仕事が好きな人なんて居ます?」
視線も上げずに一般論を投げ返す。
「そうね」
苛立ちを覚えたのは、相槌が人を小馬鹿にしたような口調に聞こえたからだ。嫌味のひとつで言ってやろうと顔を上げ、息を飲んだ。千は確かに口元に笑みを携えていたが、それは決して人を馬鹿にする類のものではない。それどころか、慈愛すら感じさせる微笑みだった。
視線に促され言葉がこぼれる。
「……ママが勝手に仕事の約束してくるのよ」
「でも、選ばれたからここに居るんでしょ?」
「わたしのママを知らないなんて言わせないから。ママに頼まれて断れる監督が居る? ……誰が好き好んで、演技のプロに混じりたいと思うのよ」
「それで拗ねてるんだ」
「拗ね……っ」
「下手だと自覚してるなら、まずは真剣に向き合うところからじゃない?」
痛いところを突かれ、言葉に詰まる。
「君が親の七光りかどうかなんて、僕には関係ないよ。何でもママのせいにしないで、自分で考えてみたらどう?」
親の七光り──わたしが一番嫌いな単語をサラッと吐いて、千は席を立った。
演技が下手なことは自分がよくわかってる。演技力を期待されていないことも。ママの知名度が話題を呼ぶから、娘のわたしに仕事が舞い込んでくるだけ。それも実力に見合わない仕事ばかりが。「演技力は遺伝しなかった」と陰で嘲笑されるのはもうたくさんだ。こんな仕事、大嫌い。
やり場のない感情が、台本に深い皺を作る。
◯
新作の発売を心待ちにするほど好きな探偵小説の実写映画化。最悪なことに、その話を耳にした時にはすでにママが監督に話を通し、わたしの出演が確定していた。さらに最悪なことに、決まったのは千演じる主人公の助手兼恋人役だった。アイドルの相手役なんて、ただでさえファンから槍玉に挙げられるのは必至なのに、親の七光りでその座に着くのだ。キャストが発表されれば、火炙りの刑に処せられる魔女の如くネットで燃え盛るのだろう。
それでも、作品に泥を塗るわけにはいかないと原作と台本を読み込み、ママに頼んで練習に付き合ってもらい、指導を受けて撮影に臨んだ。
が、クランクインして早々に心が折れる出来事があった。
周囲の俳優陣に比べ、明らかにレベルの低いわたしの演技に対し、リテイクが掛けられないのだ。わたしがママの娘と知らない人は居ないから、共演者も何も言わない。手を抜こうが真剣に向き合おうが、わたしの演技なんて誰も気にしない。大女優の娘というブランディング、スクリーン映えする容姿。ただそれだけが、わたしがここに立つ理由だった。
原作小説では、主人公と助手の間に明確なラブシーンは描写されていない。それどころか、注意深く読まなければ、恋人同士であることすら見落としてしまいそうなほど淡白な関係だ。ところが実写化に際し、サービスシーンを欲しがった監督は、強引にラブシーンを捩じ込んだ。千のファンのみならず、原作ファンまで敵に回すのは愚行としか言いようがない。わたしが気乗りしない理由はここにもあった。主人公にメロメロ恋する助手に、心をうまく重ねられない。
◯
「僕のこと、嫌い?」
「はい?」
まったくこの男は突拍子もない。わたしが受け取らないとわかっているのか、今日は紙コップをひとつだけ手にしていた。さも当たり前のように眼前に腰を下ろし、コーヒーを優雅に一口啜る。
「この前お説教してから、どうにも避けられてる気がしてね」
説教する側は余裕があって羨ましい。自分で掴んだ地位と名誉の上に腰掛けるのは、さぞ気持ちいいことだろう。
「別に、避けてないですよ」
身を乗り出した千がわたしの台本に指を乗せ、するするとすべらせた。
「ここ」
白魚のような指がなぞったのは、取ってつけたようなラブシーン。簡単なト書きとオリジナルのセリフが連なる一節だった。
「カメラが回ってる間だけ、僕のこと本気で愛してみてよ」
「……どう言う意味?」
「役のことは一旦忘れて、僕自身を愛して。気持ちが本物なら、それは見てる人にも伝わる」
「千さん、を……」
ああ、そのすべてを見透かしたような涼しい顔が気に食わない。だけど、もしこの作品をより良いものにしたいと言う気持ちが、あなたを愛すことで伝わるなら。
「わたしを惚れさせる自信、あるんですか」
「僕を誰だと思ってるの」
わたしはあなたのそう言うところが気に食わないのだけれど。
「……乗った」
「そうこなくちゃ」
千は立ち上がり、手を差し出した。
「さあ、見せてくれるかな」
自信満々のその顔を本気で狼狽えさせてやりたい。まずはわたしがあなたを愛す。
20250310