追憶I
兄が再び入院したと知ったのは、名前が中学三年に上がった、少し後だった。何を間違えたのか、ほかの入院患者と同じ大部屋に放り込まれたという話を聞いた時はそれは顎が外れるほど驚いたが、しばらくするとあまりの面白さにしばらく腹を抱えて笑った。如何なさいますか?問いかけてきた高岡に、名前は笑う。
「見舞いに行くに決まってるじゃない!」
「かしこまりました、お車お出ししますね」
兄が入院したのは、進学した夢ノ咲学院の近くの丘の上にある病院らしい。見晴らしはいいが、いかんせん丘の上だ。名前のように車で来る分には問題は無いが、徒歩で来る人はさぞ疲れるのだろう。兄と同じ色の制服を纏った生徒をチラホラと見かける中、名前は面会手続きを行い、兄がいるという大部屋にたどり着いた。眼鏡をかけたもじゃもじゃ頭の人とすれ違った名前は、中に入る。窓際にいるらしい兄は、遠目から見てもわかるように、少し不貞腐れていた。
「ごきげんようお兄様、最愛の妹がお見舞いにやって来ましたわよ」
「あぁ、名前か。いらっしゃい」
「大部屋に移されたって聞いてきたんだけど、ずいぶんとまぁ、参ってるね」
「まぁね、話を聞き付けて見舞い客が来るかもと思うと、憂鬱だよ」
「さっきすれ違った人は?」
「あぁ、青い鳥くん」
「たまに思うけど、兄さんは名付けのセンスがないよねぇ」
「もしかして僕、バカにされてる?」
「ううん?人間欠点の一つや二つあった方がいいと思う」
そんな軽口を叩きながら、名前は高岡から袋を受け取る。見舞いの度にいつも何かしら持ってくる名前は、英智にとってはどうやら救いの女神らしい。
「口寂しいかなって思って。来る前に実家に寄ってフルーツゼリーとかクッキーとか作ってもらってきた」
「助かるよ。家から持ってきたのはいくら食べてもいいからね」
「でも食べ過ぎには注意してね、取り上げられちゃうから」
「うん、大事大事にして、ちょっとずつ食べるよ」
「よしよし♪」
「いい子いい子されてもねぇ、これでも僕はお前の兄なんだけどな」
苦笑する英智に、これでも私は兄さんの妹だよ、と名前が茶化す。しばらく何か言いたげに名前を見ていた英智は、名前の制服のリボンに目を止めた。
「そっか、名前ももう中学三年生か」
「そうよ。三年生。ちなみに昨日進路説明会があったの。進学先どうしようかなって悩んでる」
「確か内部進学できる学校だよね?嫌だったらここの近くに女子校があったはずだけど」
「それを言うなら夢ノ咲学院には普通科があるでしょ?」
「普通科はちょっと。兄としては許可できないかな」
「むぅ」
ぷぅと頬をふくらませる名前に、家に寄ったのに制服できたんだね、と英智が今気付いたらしい。対して名前はそれを聞いては変な顔をしている。
「当たり前じゃないの、寄ったのは実家、帰るのは家だよ」
「……家に戻る気はないの?」
「ない。というか今になってもそうって言ってるの、兄さんだけよ」
「…………」
俯いて黙ってしまった英智に、えっと、と名前が慌てる。血の繋がりはあるし、同じ天祥院を名乗っているが、深月は中学に上がる頃に自分の執事である高岡を連れ、本邸を出て暮らしている。理由はなんてことのない、寂しさを募らせた子供によるボイコットである。すぐさま事態の深刻さに気付いた二人の両親があの手この手を尽くし、和解もし、現在の家族の関係も良好だが、いくら誘っても名前は本邸に戻って四人で暮らすことを頑なに拒否をしている。高岡に言わせれば、一人であることに味をしめてしまった、らしい。なんとなく暗くなった雰囲気のそこに、人が騒ぐ声が耳に届いた。
「アホ〜!セナのアホ〜!ば〜かば〜か!死ね〜!」
聞こえてきた罵詈雑言に、二人してギョッとして声の発生源を見る。明るいオレンジ色の髪の毛を小さくたばねた人が、窓の外に向かって叫んでいた。
「骨折してるのに、元気だなぁ…」
「だね」
コソコソと話す二人の声に気づいて、その人がばっと振り返った。月永レオ、そう名乗った彼は破天荒、自由奔放と表現するにふさわしく、英智曰く青い鳥さんの持ってきたフルーツの盛り合わせを友達に投げそうになったり、いきなり目の前で歌を歌い始めたりなど、退屈で死にかけていた英智を、すぐさま虜にした。
♪
「レオくんこんにちは」
「お!名前だ!」
「今日も作曲ですか?」
「そうだ!見ろ、いい曲だと思わないか!」
「ですねぇ、心がウキウキします。もうすぐ退院ですか?」
「ぬ!?よくわかったなお前!褒めてやろう!これはな、『退院できて嬉しい!』の歌だ!」
「ふふ、褒められちゃいました」
似た者兄妹だと思う。名前も英智も直ぐにレオが気に入った。英智がやっと手続きを終えて特別室に移動になっても、名前は相変わらず大部屋へと通い、レオと交流を続けている。そのまま英智を見に行くのを忘れることもしばしあり、不貞腐れた顔をした英智がこちらに出向くことも。
「そっかぁ、でもレオくん退院しちゃうんですねぇ」
「そうだな」
「寂しくなるなぁ」
「そうか?これで会えなくなる訳じゃないんだけどな」
「えっ」
「ん?まさか、このままお別れするのか!?」
「そ、うだね?」
別に死ぬわけじゃないし、そうだよねぇ、ブツブツと呟く名前に、レオが頭を傾げた。
「なんならライブ、見に来るか?」
「えっ?」
「およ?知らないのか?」
「いえ、夢ノ咲学院ってことは知ってましたけど……」
「あはははは!名前は知らなかったのか!」
「お恥ずかしながら」
申し訳なさそうにした名前に、こほん、とレオが咳払いをする。これから自己紹介するから、耳の穴かっぽじってよーく聞けよ!ふんぞり返ったレオが、ベッドの上で立ち上がった。
「おれは月永レオ!夢ノ咲学院アイドル科二年だ!『チェス』に所属している!覚えて帰れよ〜、名前!」
「はーい」
「なんだその信じてなさそうな声は、ぬぅ〜、特別出血サービスだ!おれがここでライブを開催する!」
グラグラと病室のベッドが揺れる。ステップを踏み始め、歌い出したレオに、名前は慌てた。
「レオくん!レオくん!!危ないからやめよ!!」
「あはははは☆」
「こらー!!!危ないからベッドの上で踊るのはやめなさい!!」
「うわーん!看護師さん、助けてーー!!」
ライブ会場とかした病室は、混沌にまみれていた。やっぱり今日も月永くんの所にいるんだね、と病室を訪ねてきた英智があまりの混沌っぷりにドアを開けたまま立ち尽くすまで、あと少し。