追憶II
時間は緩やかに、時には光の速さで流れていく。春が過ぎ、夏が来る。あれから足繁くチェスのライブに通うようになった名前に英智は何も言わなかったが、会う度にまだ行ってたのかい?なんて言われていては、すこし名前を辟易とさせていた。今日もチェスのライブを見に行こうと夢ノ咲学院の門をくぐろうとした名前に、声がかかった。
「よぉ、今日も来てたのか」
「…ん?あ、れーくん。うん」
「ちなみに聞くけど、坊主はまだけーくんなのか?」
「けーくんはけーくんてしょ」
「ははっ、そりゃ間違いね〜や」
ぽふぽふと頭を撫でられて、名前は目を細める。
「それよりれーくん、こんな炎天下で外にいるなんて、平気?」
「平気じゃね〜よ、なんだ?生気を分け与えてくれるのか?」
「いやそれはさすがにちょっと。これからライブ見に行くし」
「あ〜?あー、なるほどなぁ」
俺はこれからまた海外だ。楽しんでこいよ。ぱちん、と小さなハイタッチを交し、零はひらひらと手を振って学院を出ていく。夢ノ咲学院の制服を着ていたのには驚いていたが、小さな頃から常人離れした美貌を持ち、多くの大人を心酔させ、従わせる力さえあったあの零だからこそ、こういう活躍をしていても間違いないだろう。家出のアドバイスを授けてくれたのも、実は零だったりするのだ。遠ざかっていく背中をしばらく眺めた名前は、もうすぐライブの時間だと気付いて、パタパタと奥に向かって走っていった。
♪
中学時代最後の夏休みが終わった。あれだけチェスのライブに通いつめていたが、成績が全く落ちず、更には上がった名前に対して、英智はもう何も言わなくなった。しかし何かと意味深な顔をするので、名前は戸惑うばかりである。朝のホームルームで配られた進路調査表を眺め、周りを眺める。まだ締切はあるが、この良家の子女が集まる幼稚園から大学まであるこの学校では、みんな揃って付属の高校へ内部進学するのだろう。名前も三年生に上がった日はそう思っていたが、どうも最近はそう書くのが気が進まない。幸い締切はまだ少し先で、名前はそれをそっと机の中に仕舞った。声をかけられて、慌ててそちらを向く。
「名前さん」
「なにかしら」
「名前さんは、進学は如何なさいますの?やはり内部進学で高校でしょうか」
「そう、かもしれませんね。実はちょっと迷っていますの」
「あら」
「最近色々なものを見て体験する機会がありまして、果たしてこのまま前に進んでいいのか、お恥ずかしながら悩んでいますのよ?」
「お兄様と関係あったりしますの?」
「どちらかと言うと、お兄様が縁を繋げてくださいましたわ」
「素敵な出会いをされたのですね」
「えぇ、そうですわね。とても素敵な出会いでした」
初めて『チェス』のライブを見た日のことは、忘れられない。あの日から名前はレオの、『チェス』の、作曲家『月永レオ』の虜になったのだ。家の稼業の一部だからと、小さな頃からありとあらゆる芸能に見て、触れては来た。伝統芸能の歌舞伎、海外からやってきたミュージカル、大衆にウケがいいポップチューンに昔懐かしの歌謡、演歌。もちろん、兄が進んで行ったアイドルも見たが、ここまで名前の心を震わせたのは、レオが初めてだったのだ。
「確か英智様は、夢ノ咲学院にいらっしゃるのですよね」
「えぇ」
話しかけてきたクラスメイトに、深名前頷く。何かしばらく考え込んだクラスメイトは、又聞きなのですが、と前置きをして、話し始めた。
「最近の夢ノ咲学院では、大きな改革が行われているらしいんですって。それで、校内の一大勢力が空中分解して、あれこれやっていたらしいんですけど、どうやらそれも決着が着いたらしく」
「……………、」
「名前さんは、ご存知でしたか?」
「…………い、いえ。最近は、家の事で少し忙しくて」
「確かに、最近よくパーティでお会いしますし、お父様もお仕事で名前さんとお会いする機会が何度かあった、と仰ってましたわ」
「話してくれて、ありがとうございます」
「名前さん?如何なさいましたの?顔色が悪いですわ!」
たしかに、名前は自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。保健室へと向かいましょうか?気を利かせてくれたクラスメイトに大丈夫だと断り、名前は最近のことを思い返した。そろそろ高校生だから、と親に呼び出され、小さいけれどあれこれと家の仕事を任せて貰えるようになった。いや、この感じからするともしや、兄に乗せられた両親が名前に任せてくれたのかもしれない。そんな名前も名前で、任されたらやるしかないとあれこれ請け負い、大人の世界へと小さな一歩を踏み出した。忙しいが、やりがいのある仕事たち。その代わり、夢ノ咲学院へと出向く頻度は少しずつ、減って行った。『テンシ』の妹だしな!しょうがないな!なんてレオは笑っていたけど、その実、彼はどう思っていたのだろうか。『チェス』、ましてや『Knights』の隊長になってからというものの、生き生きとして活動していたのは最初の頃だけだと、名前も薄々気付いていた。でも、ただの一観客、ただのファンとして、彼らに口出しをすることは、躊躇われたのだ。
♪
「君が名前さん、だね?」
「え?えぇ」
そんな時だったのだ。名前が三毛縞斑と会ったのは。放課後、名前が校門をくぐり出すとそう短い会話を交わし、返事もし終わる前と同時に抱き上げられ、連れ去られた。慌てる級友の姿と、物陰で慌てふためく黒服をぼんやりと眺めながら、名前はされるがままに運ばれる。商店街の裏路地の奥の奥、知る人ぞ知るような小さな喫茶店でやっとこさ地面に降ろされた名前は、スカートをパンパンと叩いた。
「乱暴にしてすまん!」
「いえ、なかなか楽しかったです」
「自己紹介をしようじゃないか!俺は三毛縞斑、気軽にママって呼んでくれ☆」
「ママ」
「なんだい名前さん」
「マ・マー」
「ううむ、それはパスタだなあ」
「ふふ……」
「おぉ、笑ったなあ」
クスクスと笑い始めた名前に斑が席に促せば、店員が水を運んでくる。好きなのを頼めばいい、お金は俺が出すぞぉ!差し出されたメニューに目を通した名前は、メロンパフェを頼むことにした。数あるメニューの中でも、ちょっとお高めのやつだ。
「ううーむ、やるなあ名前さん」
「誘拐された請求費です。ちょっと無事だと家の者に電話しますね」
「あいわかった!」
電話をかければ、本邸の執事が直ぐに出てくれた。お嬢様!ご無事ですか!なんて鼓膜を突き破るかのような大きな第一声と共に、ザワりと大きな声が聞こえた。それを聞いた名前は頬をゆるめる。大丈夫よ、お友達なの。ちょっといつもやり方が雑だけど、お話するだけ。終わったら高岡に迎えに来てもらうから、車を回して貰えないかしら。小さく承諾が聞こえた名前は、電話を切り、斑に向かい直した。
「大丈夫です。ところで私になにか、用ですか?」
「うむ、手間をかけさせてしまったなか。実はレオさんから伝言を預かっていてね」
「レオくん!レオくんは大丈夫なんですか?」
「あー、まぁなんだ。結論から言えば大丈夫じゃない」
「そう、なんですね」
「あぁ、レオさんはちなみに今学校を休学して海外放浪中だ!」
「…………唐突過ぎやしませんか?」
「あっはっは!それが人生!」
「いや分からないです」
注文していたメロンパフェが届く。丁寧で繊細に盛り付けられたパフェに、名前は目を輝かせた。食べてもいいぞぉ!斑の言葉に、名前はスプーンを持ってパフェを掬う。クリームのまろやかさとフルーツの優しい甘さが、ふわりと口の中に広がった。
「おいしい!」
「良かった良かった!」
斑の注文していたコーヒーも届き、一口飲む。やはりここのコーヒーは格別だなぁ。機嫌が良さそうに言った斑が、ところでレオさんからの伝言だがなぁ、と名前を見る。
「『何も言わずに居なくなってごめんな、必ずまた戻ってくるから、待っててくれると嬉しい』だそうだ」
「……………はい。いくらでも、待ちます」
「それが聞けてよかったぞお」
「ところで、少しお聞きしたいのですが」
「うむ、答えられる範囲で答えよう!」
「夢ノ咲学院は、今どんな状態になっているんですか?」
又聞きの又聞きで、ふんわりと今はあまり良くないって聞いて。レオくんが夢ノ咲学院が居なくなったし、なにかよからぬ事が起きているのではないかと。俯いた名前に、うぅむ、と斑が唸る。じっ、と見つめられて、名前は少したじろぐ。
「ところで名前さん」
「なんでしょう」
「苗字を聞いてもいいだろうか」
「……天祥院、名前です。やはり兄が、何かやっているのですか?」
「そうか……まぁ、そうだな」
♪
「家に着きましたよ、お嬢様。お嬢様?」
「…………えぇ、降りるわ」
「車をとめて来ますので先に家に入っててくださいね」
「えぇ」
ぼんやりと高岡が車を止めているのを、名前は玄関に立ちながら眺める。エンジンを止めて車を降りてきた高岡が、名前の前に立った。
「だから先に家に入っててくださいねって言っただろ?」
「うん…」
「考え事は家に入ってから!ったく、ほら、入る」
背中を押され、名前は家の中に入る。幾ら九月といえど、残暑厳しく、外で少し立っているだけでも汗ばむ。家を冷やしていた冷房の風がひんやりと冷たい。お着替えもお手伝いするか?聞こえてきた声に、名前は慌てた。
「そ、そんなことしたらクビにするわよ!?」
「じゃあ着替えて来い。考え事ははそれからだろ」
「ん」
部屋に戻り、制服から部屋着に着替える。斑の言葉が、脳内をぐるぐると駆け巡る。
『まぁなんだ、全体的に見れば、夢ノ咲学院はいい方に向かっているだろうな。腐敗した内部の膿は取り除かれ、綺麗な夢ノ咲学院になりつつある。表面上は平穏に見えるだろう。がしかし、その一方で始まるのは力をつけた生徒会による圧政だ。個人でも自由に活躍できないユニット制度、ドリフェス制度の始動により始まった半八百長。今の夢ノ咲学院は地獄の季節だと、誰かが評していたりもする』
『穏やかになった分、校内における活動は緩やかに停滞していってる。零さんが色々やって食い止めようとしているのだが、あれも時間の問題だろうと、本人が言っていた』
『現在の夢ノ咲学院は可もなく不可もなくって所だ。今年赴任してきた椚先生なんかは喜ばしいと褒めているのだが、それでも大部分の先生は腐敗したあの頃がまだ良かったという人もいる。まぁいずれは英智くんに見つかってしまうが、有志の先生達で来年はプロデュース科を設置しようなんて話も出ている。まぁこれは零さんが何か言ったのかもしれないけど、それは想像におまかせしよう』
『そこでだ名前さん、君、アイドルのプロデュースに興味はないか?まぁ来年からとなると正式なプロデュース科の生徒ではなく、一種のテストケースの扱いになるのだが、やってみる気は無いか?』
『もちろん、そこで英智くんの言いなりになって過ごすのか、それとも英智くんに反旗を翻して革命を起こすのかは、君の自由だ。ぜひ、名前さんの輝かしい未来の一つとして、検討して欲しい。なぁに、強制はしないさ、だってまだ決まってすら居ないのだからなあ!あっはっは♪』
『卑怯な手を使うみたいで嫌だが、これだけは言っておこう。英智くんがこのシステムを成り立たせるために、君の大好きなアイドルのレオさんを実験台にしたとだけ、伝えておこうかなあ。じゃあ俺はお会計して帰るから、名前さんも好きな時に帰るといいぞお』
着替え終わった制服を壁にかけて、リビングへと入る。メロンパフェをお召し上がりになられたとお聞きしたので、お夕飯の量は少し減らしましたが、いかがでしょう。先程の態度と一転、かしこまったように接してくる高岡に、それでいいわと返して名前は椅子に座った。
「高岡」
「はい」
「お父様に連絡してちょうだい」
「かしこまりました。ご要件は」
「理事会に働きかけて夢ノ咲学院にプロデュース科を作るの。私がテストケースになるからと伝えて」
「かしこまりました」
「あと、このことは秘密になさい。特にお兄様」
「かしこまりました」