追想I
夜も少し遅い住宅街は、静まり返っている。カツカツと二人分の足音が広い道に反響するように響く。いつの間にか掴まれていた腕は自由になり、お互い会話もなく名前は泉と家に向かって歩いていた。あの角を曲がれば、もう名前が住んでいる家だ。学校から徒歩二十分、通い慣れた道である。角を曲がり、家の前に立つ。ここです、立ち止まった名前に、泉も立ち止まって家を見上げる。結構普通じゃん、そんな感想が漏れて、結構普通の家ですよ。と名前が返す。
「家、暗くない?」
「えっ、あ、ほんとだ」
「ガチの一人暮らしって訳?」
「いえ、うちの執事の高岡が………あ」
「なに」
「あいつ今日有給取って家に居ないんだった…まぁいいか」
家に入ろうと鍵を出した名前の腕が、再びつかまれる。なんですか、と振り返れば、泉が顔を顰めていた。
「良くないでしょ、今日天祥院に電話して家に帰りな」
「嫌です」
「はぁ?なんでそんな頑固なわけ?」
「本邸に帰るのはちょっと、嫌です」
「じゃあどうするの。ちなみに今ここで家に入るのはナシだからねぇ?」
「……学校に戻って、朔間先輩の棺桶借りて一晩過ごします」
「朔間先輩……?あぁ、くまくんの。ハイ却下」
「えー」
「えー、じゃないでしょ。じゃあ桃くんの家は?」
「一応外面があるので、本邸に帰りたくないから泊めてとは言えないです。桃くんには言えても、桃くんのご両親にはちょっと……司も同じです」
「なるくんは…ちっ、電話繋がらないしぃ、チョ〜うざい」
スマホを何度かいじった泉が、そのまま歩き出す。腕を掴まれたままの名前は、引き摺られるがまま、強制的に歩かされる。先輩?どこ行くんですか?前行く背中に問いかければ、泉は立ち止まって名前を振り返った。
「俺の家。パパとママには言ったから今夜一晩泊まってって」
「パパとママ……」
「なに?」
「いえ……さすがに泊めてもらうのは、申し訳ないというか」
「じゃあ天祥院に今から連絡して迎えに来てもらうけどぉ?」
「喜んで泊まらせていただきます」
じゃあ今度はちゃんと横歩いてね、手を離され、名前は泉の横に並ぶ。名前の歩幅に合わせてゆっくりと二人は歩き始めた。
「そう言えばあんたが天祥院と二人で登校する所見たことなかったねぇ。ほんとに別々に住んでるんだ」
「さっきの見たじゃないですか」
「はいはい、って言うか仲悪くないのに、なんで離れて住んでる訳?」
「兄とは悪くないんですけど、家とちょっと」
「なぁにそれ、いらない子とかそういうのじゃないよねぇ?」
「……………、」
「ちょっ、なんでそこで黙る訳!?まさか本当なのぉ?」
「分からなかったんです」
「…………話しなよ、聞くから」
何か抱えてんなら、吐き出した方が早いでしょ?そう優しく促されて、名前はポツリポツリと話し出した。
♪
天祥院家は、男系家系だ。そのため家は男子しか継げない。何をそんなに旧時代的なと思うのだが、連綿と続いた家のしきたりであるため、そう簡単に覆すことも出来ない。そんな家に、次代の後継として生まれた英智は、今でさえまぁ何とか学校生活を楽しめるようになったのだが、生まれた当初は絶望的体が弱かった。そしてそのスペアにと男子を望もうとしたのだが、そうやって生まれてきたのは、天祥院家にしては久々に生まれた女の子である、名前だった。
産まれた当初は久々の女の子である事もあり、多くの人が関心を持ち、名前にあれこれと世話をした。しかしそれも英智の虚弱体質のために減っていく。名前が物心着いた時には、周りはみんな体の弱い次期天祥院跡取りのために奔走していた。腹を痛めて産んでくれたはずの母も英智、抱き上げて優しく頭を撫でてくれるはずの父も英智。だがそんなふたりの関心を集める英智だけは、たまに体調の良くなった体を何とか動かして、名前と一緒に遊んでくれた。それと今傍に付いてくれている、高岡の父しか、普段名前の傍にいなかった。
英智に連れられて、名前が初めて外に出たのは幼稚園に上がった年だった。幼稚舎に進級した英智が、学校の帰りに名前を迎えに来てやってきたのは、山の上にあるお寺だった。
「敬人、紹介するよ。妹の名前」
「お前、妹なんかいたのか」
「いるよ、普段あんまり外に出さないけど」
ほら名前、挨拶してご覧。そう兄に促され、名前は制服のスカートをつまんだ。
「天祥院名前です、よろしくお願いします」
「あ、あぁ。蓮巳敬人だ、よろしく」
「敬人さん」
「さんはいい、好きなように呼んでくれて構わない。それと」
敬人は少し屈んで、名前と目を合わせた。
「かしこまらなくていんだ。友達には、かしこまらなくていい」
「………」
「敬人のこと、好きな呼び方で呼んでごらん」
「けーくん」
「あぁ、けーくんだ」
家の外、山の上、お寺。初めて見るものばかりで、どれも新鮮で興味を惹かれる。名前は敬人がくたくたになるまでお寺の中を連れ回し、あれはなに、これは何と質問攻めにした。疲れた顔をしながらも、敬人は一つ一つ丁寧に答え、分からないものは通りすがりの大人に聞いて、遊び回った。英智はそんな生き生きと動き回る妹を、嬉しそうな目で見ていた。それが最初だった。
英智が体調を崩した日も、名前は敬人のお寺へと通った。しばらくする頃にはもうすっかりお寺の作法を学んだ名前は、可愛がってくれる住職に気にいられ、小さな巫女服を着て境内を小さなほうきを持って掃き掃除をするなどと、お手伝いをすることも始めた。雑巾を持って廊下を走り抜け、檀家さんの手伝いで荷物を運ぶ。そして幼稚舎から少し遅い時間に帰ってくる敬人に相手してもらい、夕飯時には家に帰る。朔間零と会ったのは、そんな暮らしをしていた時だった。
その日は法事があったらしい。多くの人が本堂に集まって、敬人の祖父がお経を唱えている。いくらお寺の手伝いが楽しいといえど、この時間にばかりは名前は苦手だった。だんだん眠くなってくるのに耐えられず、名前は敬人に手を引かれながらそっと本堂を抜け出す。名前に紹介したい人がいるんだ、そう敬人に手を引かれてやってきたのは墓地だった。そこにいる、と指をさした方を見れば、黒い服を着た、大勢の人に囲まれた男の子が、墓石の上に座っていた。話は終わったらしい、まるで蜘蛛の子が散るように去っていった人々とすれ違いながら、二人は零の前に立った。
「よぉ坊主」
「蓮巳敬人だ。今日は紹介したい人がいるんだ。名前」
「天祥院名前です!お兄ちゃん、お名前は?」
「朔間零」
「じゃあれーくんだ!」
「名前!?」
「ははっ。いいよ、れーくんで。初めてそう呼ばれたなぁ」
腹を抱えて笑った零が、ひらりと墓石から降りる。よろしくな、名前。ぽすぽすと深月の頭を撫でた零は、俺にも弟がいるんだけどいつか会わせてやる、と言ってニッと笑う。
「んで、なにか相談か?」
「いや、ただ二人に顔を合わせたかっただけだ」
「へぇ、そいや天祥院つったな、お前の妹じゃないのか」
「幼なじみの妹だ。よく遊びに来るから、みんなに可愛がられてる」
賢いしなんでも出来るからな、そう敬人にも頭を撫でられた名前は、えへへ、と笑う。それに顔を顰めたのは、零だ。こいつの兄は?そう聞かれて敬人は顔をしかめる。病弱だからな、来るには来るけど、あまり来ない。ふぅん、と目を細めた零は、名前と目を合わせるようにしゃがんだ。
「名前、何かお兄ちゃんに相談したいお悩みはあるかな?」
「零さん!」
「お悩み?」
「そうだ。何かあるかな」
「ある!」
「!」
「あるのか。なにかな、言ってご覧なさい」
お兄ちゃんが知恵を振り絞って解決してあげよう。ゆったりと笑った零に、名前はにへらと笑い返した。
「れーくん、どうしてそんなに綺麗なの?わたしも、どうやったられーくんみたいに綺麗になれる?」
「…………ははっ」
そのまま笑い始めた零に、名前は頭を傾げる。どうしたの?これ、お悩みじゃなかった?しょんぼりと眉を下げた名前に、いんや、と零が返した。
「立派なお悩みだ。そうだな、血を吸わせてもらったら、考えてやらんこともない」
「血?」
「そう、お兄ちゃんはね、吸血鬼なんだよ」
零の目が、妖しく光った。零さん、名前で遊ぶのはやめてください。呆れた敬人のことばに、名前が目を瞬かせる。違うの?立ち上がった零を見上げた名前に、零は笑う。
「さぁ、どうかな」
しばらく月日が経ち、名前も幼稚舎に進学して数年経った。歳が一つ増えるにつれ、抱えていた違和感もむくむくと膨らむ。両親は相変わらず名前にさほど関心をかけず、何かあれば英智とばかり。大きな変化があったとすれば、高岡が若い高岡になったぐらいだろうか。本日も部屋で食事を済ませた名前は、部屋着からワンピースへと着替え、厚手のポンチョを羽織る。肌触りがいい高級な素材でできたそれらを着ても、ちっとも心が動かない。こういう家に生まれたからとかとは関係がない。そう気付いたのは、最近だった。部屋を出ようとする名前を、高岡が引き止める。
「どちらに行かれますか、お嬢様」
「……れーくんのところ」
「ついて行きますよ」
そうして二人で屋敷を出る。冬もそろそろ終わり、春がやってくる。日の入りの時間も遅くなってきたのは、地球が自転と公転をしているからだと、名前もついに知るようになった。決してお日様の気分で今日は早い遅いと、決めていない。誰にも引き止められず、誰の目にも止まらず。長い坂道をおりて街に降りれば、日々の暮らしを営む喧騒が耳に届く。
「朔間さんに何か買ってくのか?」
「なにがいいかな」
「この間はトマトジュースだったんだろ?喜んでくれた?」
「うん、ありがとうって、笑ってくれた。から、なんか今回は別のにしたいなぁ」
「トマトとか?」
「直じゃん」
「なかなかいいと思うんだけど」
「いいと思う」
自然に接してくれる高岡と他愛ない会話を交わしながら、人が多く出入りするスーパーに入る。トマトのコーナーで多くのトマトとにらめっこした名前に、買い物に来ていた見知らぬ女性が声をかけた。
「お嬢ちゃん、お使いかい?」
「うん、お兄ちゃんにトマトスープ作ってあげたいんだけど、美味しいトマトで作りたくって。お姉さん、どのトマトが美味しいかわかる?」
「まぁ!口達者ねぇ、おばさんのことをお姉さんだなんて、嬉しいわぁ。おばさんが選んであげるね」
これとこれとこれ、ぽいぽいと名前のカゴにトマトを入れた女性が、こんなもんかなとにっこり笑う。美味しいトマトスープが作れるといいね、応援してるよ。そう言って去っていった女性に頭を下げて、名前はレジに向かい、請求された金額を払う。ずっしりと重いトマトが三つ入ったレジ袋を提げながら、名前はいつも零と会っている公園に向かった。