追想II



「お、今回はトマトか」
「れーくんトマト好き?」
「まぁ、好きだな。ありがとう、家に帰って食うわ」
「うん」

つやつやとした大きなトマトを受け取った零は、名前を見る。知り合ってからそろそろ十年、ことある事に相談事をもちかけていた敬人は、ある時から寄り付かなくなったが、名前は特にそんなことも無く、吸血鬼などと名乗る零を怪しいとも思わず、短いスパンで会ってくれている。素直に嬉しいと思う分、複雑な気持ちもある。

「学校はどうだ?」
「普通」
「クラス替えがあっただろ、友達と同じクラスとかにならなかったのか?」
「……友達、いないし」

みんな天祥院って名前につられて寄ってくるの。だから友達になっても、本当の友達じゃないんだよ。ぱちぱちと瞬きを繰り返す目は、少し沈んでいた。

「ねぇ、れーくん」
「なんだ?」
「お悩み相談、聞いてくれる?」
「…………、」

小さ友達から聞こえた言葉に、零は少し躊躇って、あぁ、と返した。

「私って、いらない子なのかな」
「………」
「みんなみんな、何かあったらお兄様の話しかしないの。お兄様の体調はいかがですか?機会がございましたら、お兄様に会わせて貰えませんか?家でもそう、何かしようにも、英智様のことが済みましたら、とか、お兄様のあとでいい?とか」
「そうか…」
「お兄様の体が弱いのは知っているの。よく入退院するし、何かあるとすぐ倒れちゃう。そしたらみんなお兄様に掛かりっきりになっちゃうの。たしかに、お兄様は将来天祥院のお家を継ぐのだから、大切に大切にしなければならないのは私でも分かっているのよ?でも私は?私も天祥院よ。この間ね、私は本当に天祥院のなのかなって思って、みんなに内緒でDNA鑑定してみたの。ほら、テレビとかでもよくやってるでしょ?」
「なっ……、」
「そしたら、100%血縁ですってでたの」

でもね、嬉しくも、悲しくもなかったの。安心だけ、した。血だけは、ちゃんと繋がってるんだなぁって。目に涙を滲ませた名前は、堪えるように唇を噛む。

「もうあんなおうち、出ていきたいよぅ……」
「ほら、お兄ちゃんか抱きしめてあげるから、泣きなさい」

両手を広げた零に、涙をこぼした名前が思い切り抱きつく。わんわんと大声を上げて泣き出す名前の背中を擦りながら、零は言う。

「外で暮らすか?」
「…出来るの?」
「みんなには黙って出ることにはなるけど、出来る」
「やる」
「そうか、春になればもう中学生だもんな、時間が経つのって早いな」
「そうだよ、名前もう子供じゃないもん」
「ばーか、まだ子供だよ」

目元が赤い名前のおでこをぴんと弾き、零は少し離れていたところに立っている高岡を呼び寄せた。手ぇだせ、と言われるがままに手を出した高岡の手に、鍵を落とす。

「これは?」
「相談に乗った人がな、とある一帯の地主で。相談に乗ったお礼にと、ちょうど開発していた住宅街にある家を一棟くれた。そこに名前を連れて住め」
「しかし」
「持ってけ。お前だって心のどこかで思ってたんだろ、こいつを連れ出せないか」
「…………有難く、頂戴します」
「あぁ」

今から家具を揃えておけ、名前が中学に進学して、あいつの兄が入院した時でいい。その混乱に乗じて二人で家を出ろ。今日だってバレなかったんだろ?お前らならやれるさ。零の言葉に、高岡はしっかりと頷いて頭を下げた。

「ありがとうございます」
「礼はいい。俺だって名前と付き合いが長いからな。情が湧いた、力になりたかった、それだけだ」
「はい」

それから長い冬が過ぎ、暖かな春が来た。やはり季節の変わり目の気温の変化に耐えられず、英智はまた倒れてしまい、いつものように病院に運ばれていった。名前はと言うと、初等部から中等部へとそのまま上がって行った。落ち着いた臙脂色のリボンとレースのついた大きな丸襟が可愛らしい白いワンピースは、スカートの丈が少し長く、大きい気もするが、これから身長も伸びるでしょうしと言われて買ったものだ。屋敷に帰れば、慌ただしく動き回る使用人。今回も長期入院になるからと、あれこれと物を揃える彼らを尻目に、名前は自分の部屋に入った。

「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいま、高岡。荷物は?」
「全て家に運んであります」
「そう、じゃあ今日はこっちに帰ってこなくても良かったのかな」
「いや、俺置いてくなよ」
「えぇー」
「えぇーじゃないでしょう。じゃあ行きますよ」

制服のままUターンし、高岡を連れて家を出る。いつもの通りに誰にも呼び止められず、屋敷を出て坂を降りる。そこから何駅か電車で移動すれば、これから名前が人生の大半を過ごすことになるだろう街が見えた。ここ数ヶ月で歩き慣れた道を歩き、家の前に着く。どうぞ、と数歩下がった高岡に、名前はポケットから鍵を出して、家の鍵を開けた。自分の好みに整えられた、自分だけの家。ただいま、そう声を出して家に入った名前に、お帰りなさいませ、お嬢様。と高岡が後ろからそっと声をかけた。

長期間の入院生活は、英智を辟易とさせていた。やっとの事で医師から退院許可がおり、家に着いた英智を、屋敷から全ての使用人が出迎えてくれる。ずらりと並ぶ人たちの顔を見た英智は、おや、と頭を傾げた。ねぇ、一番近くにいる使用人に声をかければ、なんでしょう、と返事が来る。

「名前は?いつもなら出迎えてくれるけど」
「名前様、ですか?そういえば、いませんね」

だれか名前様をお見かけになられた方は?その使用人が声をかけるが、返事をする人間は皆無だった。まさかの事実に、ざわりと玄関が揺れる。二階の、南向き。日当たりのいい角部屋に向かって走り出した英智を、走るのはお体にさわります!と使用人が追いかける。部屋の前に着いた英智は、震える手で、そっとドアノブを押した。なんの引っかかりもなくすんなりと空いてくれたそれにほっとしながらも、心臓は早鐘を打つ。少しの力を込めて奥に押し込めば、ドアはいとも簡単に空いてくれた。部屋の中は、暗かった。

「名前……?」

英智のちいさな声が、広い部屋に反響して何重にも聞こえる。部屋の中は、まるで新しく誂えたかのようにがらんとしていた。名前が気に入っていた家具はそのままにしているようだが、その上には埃が積もらないように白い布がかけられてある。その布も、埃が少し積もっていた。すぅと布の埃がを拭った英智が、部屋の前で顔色を悪くして狼狽える執事長を睨む。

「名前は、どこにいる」
「も、申し訳ありません、私共は、何も、何も知らないのです」
「探せ。これは命令だ」
「かしこまりました、英智様」

頭を下げた執事長が、つんのめりながら走り去っていく。話によると、中学の入学式の後に帰ってきた名前を見た人はいるが、その後に目撃した人はいないとのこと。英智が退院して帰ってくるまで二ヶ月、その二ヶ月間、使用人の誰一人、ましてや自分たちの両親でさえ、娘の不在に気が付かなったのである。部屋の明かりをつけて、使用人に部屋の掃除をしてもらう。これでは本当に新しく誂えた部屋だ。ぐるりと部屋を見回した英智の目が、机の上に止まった。青いロゴが特徴的な白い封筒には、鑑定研究所と名前が書いてある。心臓が嫌な音を立てるのを感じながら、英智はそこに手を伸ばした。そっと中に入っていた書類を取りだし、内容を確認した英智は、打ちのめされた気分になった。確率には99.999%なんてしっかりとした数字が書いてあるが、それを見て、名前は何を思ったのだろうか。話を聞き付けた、両親がやってきた。がらんとした部屋に、両親は固まったままに立ち尽くす。

「英智、これは」
「出ていったんだよ、名前が。あなた達、いや、僕たちに嫌気がさしてね」

こんな事までして、僕たちの繋がりを確かめたかった。手に持っていた父子、母子鑑定書を渡せば、両親は目を見開いた。母親なんて、わぁと泣き崩れはじめている。そんな母親を冷ややかに見下ろして、英智は部屋を出ていった。

名前が見つかったとの知らせが英智の耳に入ったのは、それからさらに一ヶ月後の三ヶ月目だった。季節はもう夏本番で、外の蝉が騒がしい。見つかったと言っても、使用人からの情報提供だった。名前に昔付いてくれていた壮年の使用人が、就寝前の英智に会いに来て、そっと囁いたからだ。名前お嬢様は元気に過ごしております、これ以上、お嬢様の平穏を崩されぬように。と。英智は顔を上げて、その使用人を見た。

「お前は確か」
「高岡でございます、英智様。現在は息子がお嬢様に付いております」
「そうか…名前は今」
「元気に過ごされております、息子によると笑顔も前に比べてずっと増えたそうで。先日はお嬢様の誕生会を開いたらしく、物が送られてきました」

私はこれを届けに参りましたので。パスコードのかかっていないスマホを英智の手に落とした使用人は、それではおやすみなさい英智様、と声をかけて部屋を出た。静かになった部屋で、英智はスマホのロックをあけて、画像フォルダを開く。新しい家に着いたばかりの、四月の頃からの写真がずらりと並んであった。新しい制服を身に包んだもの、ご馳走をを前に目を輝かせるもの、本人がとったのであろう、道端の野良猫に、花屋の写真。料理を作る写真に、難しい顔で洗濯機を触る写真。所々には動画もあって、住んでいた地域の春祭り、近隣で行われた花火大会、雨上がりの虹。すごーい!きれい!と聞こえてくる声に、英智のほほも緩む。最後にあったのは、少し長い動画。サムネイルには、名前とケーキが映っていた。

『お嬢様、家には帰らないんですか?』

若い男の声がした。あの使用人が言っていた、息子のことだろう。小さなケーキを切り分け、頬張った名前は、もぐもぐとそれを咀嚼し、しっかり飲み込んでから口を開く。

『帰らないわよ。高岡だって、帰りたくないでしょあんなとこ』
『いやまぁ、あそこはお嬢様にあまりにも優しくないですからね』
『ふふ、そうね。今のところ、私があそこに帰ったとして、なんのメリットもないもの。いつか私が両手を叩いて大はしゃぎでさぁ帰りましょう高岡!って声高々に叫ぶようなメリットのある日が、来るのかしら』
『英智様がお亡くなりになられる日とか?』
『冗談をおっしゃい高岡、首にするわよ!あまりにも不謹慎だわ』
『ごめんなさいね、お嬢様』
『心がこもってないわね、いい?私の唯一の家族であるお兄様なんだから、そんなことを言ったら私、怒るからね』
『はいはい、承知しましたよお嬢様』
『わかればいいのよ。ほら、高岡もケーキを食べなさい』

動画はそこで途切れていた。最後の画面で止まったままのスマホに、水滴が落ちる。英智が自分の顔を触れば、目元がぐっしょりと濡れていた。

「ごめんね、こんなお兄様でごめんね。誕生日おめでとう、名前」



清潔感のあるエントランスを通り抜け、エレベーターに乗る。少し高い階層で止まったそれに、泉が出ていくのを、慌てて名前も後ろについて歩き出す。

「ここ、俺の家だから」
「……はい!」
「なぁに、その返事」

鍵穴に鍵を差し込み、ぐるりと回す。がちゃんと外れたロックに、泉は玄関のドアを開けた。

「ただいまー」
「おじゃまします!」
「あらぁ!見たぁ?パパ、泉が女の子連れてきてるー!」
「可愛い子だね〜、彼女かなぁ?」
「ちょっとぉ、後輩連れてくるって言ったじゃん!彼女って一言も言ってないんだけどぉ?」
「あ、あの!はじめまして、天祥院名前と言います、泉先輩には大変お世話になっていて、あの、今夜一晩、お世話になります!」
「いいのよぉ!気にしなくても、ねぇ、パパ」
「もちろん!泉が家にお友達連れてくるのは久しぶりだなぁ、今夜は美味しいものを沢山作らないとね!」
「あっ、えっと、?」
「ちょっと後輩が困ってるんだけど、ウザ絡みすんのやめてくんない?」

ほらさっさと靴脱いで上がる!そう促されて名前は家に上がる。差し出された可愛らしいスリッパに足を通して、泉の後ろを着いて追いかける。私、女の子が欲しかったのよー!キャッキャとはしゃぐ泉の母に、女の子じゃなくて悪かったね!と泉が悪態をつく。リビングに入れば、泉の母がくるりと振り返った。

「だから私の事、ママって呼んでいいからね!」
「おや、そうなると僕はパパだ。泉はお兄ちゃん」
「………ソウダネ」

ほらほら、呼んでみる?パチリとウィンクした泉の母に、名前は体の力が抜けた気がした。

「ママ」
「うんうん!」
「パパ」
「そうだよ!パパだ……ってえ!?名前ちゃん!?なぜ泣いてるの!えっえっ、泣き止んで!?」
「ちょっとパパ、"妹"虐めないでよねぇ、ほらおいで名前、"泉お兄ちゃん"がギュッてしてあげるから」
「泉、お兄ちゃん…」
「あ〜もうブッサイクな顔!ほら早く!はい、ギュー」

人に抱きつくのは、久しぶりだった。一時でも兄を演じてくれる泉の大きな手に、泉の服に縋りながら、名前はわんわんと大きな声で久しぶりに泣いた。こんなに泣いたのは、あの日、零に家出を提案された日以来だった。





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