サマーライブ
熱い夏はまだまだ続く。往年ならばさっさと荷物を集めてスイスなりモナコなりカリブなりへと避暑に出かけていたのだが、夢ノ咲でプロデューサー見習いの仕事を始めて迎えた夏休みは、割と散々だ。一ヶ月半しかない貴重な夏休みは、一ヶ月丸ごと仕事で埋め尽くされる。残りの二週間のうち、一週間は天祥院の家の仕事をしていたり、サマーパーティーに招待されていたりと、空き時間はあるが、ゆったりと過ごせる時間はない。スケジュールを詰めに詰めて開けた一週間が、名前にとってはもはや神様のように見えてくる始末だ。朝に兄から連絡を貰い、今日も今日とて制服で生徒会室にやってきた名前を、英智は笑顔で出迎えた。
「おはよう、名前」
「おはよう、兄さん」
「目が死んでるね」
「スイス、スイス行きたい。スイスじゃなくてもいいから、どっかに避暑に行きたい」
「…………残念だね?」
「暑いじゃん……やだよ。暑いのなら綺麗な暑いところにして欲しい。なんで学校への通学路で暑さを体験しなくちゃならないの」
「校門から正面玄関まで歩くだけなのに?」
「気の持ちようが違うじゃない!カリブで車から降りてホテルのエントランスまで歩くのと、見慣れた景色から車を降りて学び舎に行くのとじゃあ、違うでしょ!」
「確かに、言われてみれば」
あーあ、なんだか僕もバカンスに行きたくなってきちゃったよ。残念そうな顔をした英智に、ほらね!と名前が勝ち誇ったように胸を張る。ところで、今日呼び出してなんの用事?いつもは敬人が座る位置に座った名前に、Trickstar関連だね、と英智は手に持っていた資料を渡した。
「『合同ライブ』かぁ、『Eve』?」
「最近有名になってきたEdenの片方さ」
「ふーん、あ、日和くんだ」
資料の中で笑顔を振りまく日和をみて、名前が微妙な顔をする。仲は悪くないが、良くもない。たまに社交場で見かけるが、挨拶して当たり障りのない会話をする程度。少し自己中心的で、名前は表情には出さないが、日和の事が少し苦手だった。その性格も、もしかしたら兄を立てるために作られたものかもしれないが。で、私は何をすればいいの?合同ライブの概要を読み終えた名前が英智を見ると、英智は首を横に振った。
「なにも」
「……もう一度お願いしても?」
「何もしなくていいよ、名前は今回、見てるだけ」
「何もしなくていいのに、わざわざ呼び出したの?」
「詳しく言うと、【サマーライブ】が終わるまで、何もしないで」
「……………何があっても手出すなって釘を刺された訳?」
「もちろん」
だったら何も言わずに合同ライブのあることさえ教えなきゃいいじゃん、むくれた名前に、そうすると風の噂を聞きつけて手助けに来るだろう?と英智が微笑む。全くの図星にむっつりと黙り込んだ名前は、いいもん!と席を立った。
「いいもん!いーもーん!お兄様なんて嫌い!校庭でスバル先輩見かけたから大吉と散歩してくるもん!」
「日焼け止めと日傘は忘れないでね」
「ふーんだ!」
べー!と英智に向かって舌を出した名前が大きな音を立てでドアを閉めながら外に出る。それからしばらくして生徒会室に北斗が来て歓談とは言えない歓談を交わしていれば、予定の時刻より大幅遅れて日和がやってきた。片手には荷物、もう片方の手には、ぶっすりとむくれた名前が。
「うわぁ英智くん!本当に英智くんだねっ、久しぶりだね!意外だねっ、まだ生きてたったぁい!僕の足を踏んで痛がらせてしまうなんて、僕をなんだと思ってるんだねっ!」
「はぁ〜?日和くんこそ、許可もなく私の腕を掴んで引っ張るなんて、私を何者だと思ってんの?というか、人の兄を勝手に殺さないでくれる?あと百年生きてもらうつもりなんだから!」
泉先輩風に言うと、チョ〜うざぁい!英智と喧嘩別れした挙句になかば強引に引きずられて戻ってきた名前に、北斗は大変だったなと声をかけた。ふんと腕を振って日和の拘束を解いた名前は、素早く北斗の後ろに隠れた。ありゃ、今回はどうやって仲直りしようか。考え込んだ英智に、英智くんも相変わらずだね、と日和が首を傾げた。
「去年から変わってないね!ずっと妹のこと考えてるし、英智くんはシスコンだね!」
「悪いかい?」
君もお兄さんのことを考えていたじゃないか、それも熱心に。笑顔の英智に、日和も笑顔で返す。北斗の後ろで隠れるように二人を伺っていた名前を引っ張り出し、とつぜんのことで踏ん張れなかった名前がよろける。それを抱きとめた日和は、少し身を屈んで名前を見る。
「どうだね?僕と結婚するのは!そして一緒に打倒英智くんだね!」
「突然なんですか、財産目当てならお断りします」
「それは僕も反対だね。たとえ死んででも妹は渡さないよ」
というか私は首を突っ込むなとか言われてるんで、もうお暇しますね。日和の頭をおしのけた名前は、今度こそ失礼します、と言って部屋を出た。
♪
「あー、ほらもうお姉さま、泣かないでください」
「だって」
「もう、だっても何も無いんですよ、今回はちゃんと反省して、失敗を次に活かせればいいんですから!」
英智から言われた通り徹頭徹尾【サマーライブ】に全く関与しなかった名前は、知らされていたライブだけ見に行き、観客席でうわぁと声を上げてしまった。周りに座ってる人に随分と睨まれたが、何とか最後まで見切って楽屋に駆け込めば、そこにはこの世の終わりというような顔をしていたあんずと、あんずを必死になぐさめるTrickstarの四人が。ぎらりと名前に睨まれた英智はごめんと笑いながら謝り、更に名前を怒らせてしまった。ずっと泣き止まないでいるあんずをどうにか宥め、反省会と称して家に連れて帰ってきた名前は、あんずの背中をさする。
「本当にごめんなさい、お姉さま。今回ばかりは手伝わせてくれなかったんです。言い訳がましく聞こえるかもしれないんですが、お兄様にはお姉さまとTrickstarの皆さんの成長のために、今回の【サマーライブ】手は伝うなと言われてしまって」
「そ、うなんだ…」
「次こそは!次こそは必ずお力になりますから!だからお姉さま、ここは悲しさや悔しさをぐっとこらえ、ここで得た反省点を糧にして、次こそは勝ちましょう!」
果たして勝つという言葉選びが正しいか分からないが、それでもあんずはやる気を出したようで名前はほっと胸を撫で下ろす。気持ちが落ち着いたあんずをお風呂に送り、名前は自分の仕事を始めた。長期休暇はいつも稼ぎ時だ。家から任されている事業の売上傾向に、今後の経営方針。上がってくる報告書は分厚い上に内容がグダグダと長ったらしいからどうにかしたいと思っていたりする。その一方では届いたパーティーの招待状を吟味し、出席か欠席か回答して置かなければならない。巴家からも手紙が届いており、見つけたその場で破り捨ててやろうかとも考えたが、あなたのお宅の弟さんに求婚されたのですがどういう育て方をしているのでしょうか、という言葉を長ったらしく回りくどい言い方で書き、欠席に丸をした。後で兄にしこたま怒られればいい、そう名前は思っている。
それからなずなから送られてきたRa*bitsの練習メニューの確認、次に参加できそうなイベントをリストアップして相談するように伝達しておく。次参加出来そうな大きなイベントは、地方になるが大規模なライブだということもつけ加えておいた。さて次は、と次の仕事をしようとした名前に、電話がかかってくる。
「はい、天祥院」
『瀬名だけど』
「あっ、泉先輩でしたか。どうしたんですか?」
『うわっ、秒で声変わった。さっき電話かけて来たでしょ〜?』
出なくて悪かったね、なんの用?電話口から聞こえてきた泉の声に、大丈夫ですよ、と名前は笑う。
「お時間大丈夫ですか?寝る前とかではないですよね」
『大丈夫。で、何?』
「あのですね、私個人にKnightsの瀬名泉に依頼がしたくてですね」
『ふぅん?』
「夏休み明けでいいので、モデルの仕事をして欲しいんです」
『へぇ、どんな?』
「今読むお時間がありましたならば、資料をお送りしますが」
『いいよ、送ってきてご覧。見てあげる』
「解りました。少々お待ちください」
パソコンを操作し、貰った泉のアドレスに資料を送る。スピーカーにしたスマホの向こうから聞こえるカチカチと操作する音がして、ふぅんと相槌が聞こえる。
『バッグのねぇ』
「はい。この間母からアパレル事業をの一部を投げられたので、一新しようかと」
『ふぅん……悪くないねぇ。いいよ』
「良かった。嵐ちゃんにも伝えてあって二人の仕事になるんですが」
『当たり前でしょ?これでなるくん呼ばなかったらぶん殴ってるよぉ?』
「怖いのでやめてください。じゃあ『スターマイン』の時にまた打ち合わせするので」
『はぁい、じゃあ』
「では。先輩も海外旅行楽しんでくださいね」
『あれ、気付いてたの』
「割と遅い時間なのに先輩から折り返しきたので、多分そうかな、と」
ではまた。電話を切り、プリントした企画書の表紙に赤色のサインペンで大きなチェックマークをつける。はぁと大きなため息をついた名前に、お疲れ様、と声をかけたのは風呂から上がったあんずだった。
「お姉さま!ありがとうございます」
「名前ちゃんは、凄いなぁ」
「え?」
「だって、お家のお仕事しながらも学校で私と一緒にプロデューサーとしてお仕事してるし」
「えっと……?」
「名前ちゃんがプロデュースしてるユニットも、みんなどんどん凄くなってるし」
「お姉さま…?」
「それに対して、私って本当、ダメだなぁ」
「ネガティブは禁止です!」
あんずの手を引いてソファーに座らせた名前は、キッチンの冷蔵庫から麦茶をコップに注いであんずに渡した。ありがとう、と弱弱しく笑うあんずは麦茶を一口飲んで俯く。
「相手側が全て手配してくれるからって何もせずに全部任せちゃって、何もかも相手の好きにさせちゃった。なんかおかしいなぁとは思っていたけれど、気のせいだと思うことにしちゃったし…」
「そういう時の、兄さんや私ですよ」
「えっ」
「おかしいと思ったら相談してください。一人で抱え込まないでください」
社会人の基本、ホウレンソウですよ。おかしいと思ったら直ぐに身近にいる私たちに相談してください。私と兄さんも社会経験がとてつもなく豊富と言う訳では無いので、100%解決出来るわけではないんですが、それでもいい方向に向かって行けるように、全力は尽くせます。
「でも」
「もし今回おかしいと思ってお姉さまが相談に来てくださっていたら、私も【サマーライブ】の手伝いをしていました」
「あっ……」
「何でも一人で行ける、大丈夫だと思わないでください。お姉さま…いえ、あんずさん。驕らないでください。Trickstarを【SS】出場に導いたから?【七夕祭り】を成功させたから?確かに校内でのあんずさんの手腕はとても素晴らしいものでした。校内での評判は上々です。ただ、それも校内だけの話になります。世間的に見れば、あんずさんはまだプロデューサーを初めて三ヶ月も経ってない、ド素人です。右も左も分からない、人の手助けを得てイベントを成功させるのがやっとのあんずさんに、最近力をつけてきては見ない日がない人たちの相手が、できるとは思いません。というか出来ません」
「キツイなぁ…」
「あえてきつく言っているんです。あんずさんだって分かっているんでしょう?」
「そう、だね……」
「今までも周りに手助けしてもらったのでしょう?今回もちょっと忙しいかもしれないからか手伝ってくれない?と言ってくだされば、私は喜んで手伝いに行きましたよ。アイドルのプロデュースは正直に言うとお姉さまと大して変わりがないのですが、それでも私は天祥院で家の仕事を手伝いしていた経験がある。天と地ほどの差までは行かないが、八割はEveとTrickstarが対等な関係になれる【サマーライブ】には出来ました」
「……………、」
「朔間のお兄様や兄さんに言えば、それこそ二人とも私たちよりアイドルの経験が長い分、もっとずっと上手くやれたと思います。兄さんはあの性格ですし、谷の底にEveを落としてTrickstarを崖の上で踊らせることぐらい朝飯前です。なんなら崖の上で谷底にいるEveをみて高笑いぐらいはします」
「こわ……天祥院先輩怖い……」
「『為政者』の天祥院英智はこんなもんですよ。生まれながらの『皇帝陛下』ですからね。利益のためならずるい真似をしてでも他人を陥れて上に立とうとしますから」
割と放ったらかしにされて育てられてきた私には出来ない真似です。肩を竦めた名前は、あんずに向かい合って手を握った。
「何かあったら言ってください、頼ってください。私はいまTrickstarを離れている立場にありますが、ずっとTrickstarの味方で、お姉さまの味方です。お姉さまが手伝ってくれる?と一言申すだけで、私はたとえ地の果からでも駆けつけます」
「ありがとう、心強いや」
お嬢様方、そろそろ時間ですよ。ずっと静かに後ろで控えていた高岡の言葉に、あんずがビクリと驚く。言われた名前が時計を見れば、時刻はそろそろ11時を指そうとしていた。確かお姉さまは明日もTrickstarとレッスンがありましたよね、名前の言葉に頷いたあんずに、じゃあもう今日はお開きにしましょう。と名前があんずの手を引いてリビングを出た。