うつぶせの時間


今日凛月くんが遊びに来ててね。机の上に置いてある小さな箱を指させば、真緒が驚いたように目を瞬かせた。

「珍しい、あいつあんまりここに遊びに来ないのに」
「そうなの?」
「さすがに愛の巣に邪魔しに行くわけないでしょって」
「愛の巣って……あ、おかえり」
「ただいま」

マスクと、それから深くかぶられたキャスケットを取りながら真緒が近づいてくる。すり、と鼻をくっつけてられ、その次には唇が合わさった。小さく音を立て、それから上唇を軽く食まれ、そうして離れた真緒ははぁー、と大きなため息をついて私の隣に座った。柔らかなソファーがぐんと沈む。

「晩御飯は?」
「まだ」
「収録長引いたの?」
「んー、まぁそんな感じ」
「なんか食べる?」
「お、食う」
「じゃあ温めるね」

少し名残惜しい気分でソファーから立ってキッチンに移動する。火を止めてからまださほど時間が経ってない肉じゃがに味噌汁、それからほうれん草の和え物。炊いてあったご飯をお茶碗に盛り、お盆に乗せてダイニングに運んだ。お、なんだ作ってあるじゃん。嬉しそうな声を上げた真緒が、私がお盆を置いた席に座った。

「もう食べていい?」
「うん」
「いただきます」

ぱん、と手を合わせた真緒は、それから箸を持って料理へと手をつける。んま、沁みる。じゃがいもを口に入れてそうしみじみと言った真緒は、それから味噌汁を手に取ってずずっとすすった。

「あー、生き返る」
「それは良かった」

黙々とご飯を口の中に運ぶ真緒を、向かいの席に座りながらぼんやりと見つめる。つけっぱなしにしていたテレビでは、最近流行りのお笑い芸人がなにか騒いでいて、観覧の笑い声が聞こえていた。出されたものを全てきっちりと食べ終え、目の前でごっそさん、とパチンと手を合わせ真緒に、お粗末さまと返す。空になった皿をシンクに運んで洗っていれば、そろりとお腹に腕が回った。ぐりぐりと平らなおでこが肩を擦る。まるで動物のマーキングのようだ。

「なぁに」
「つかれた」
「おつかれさま」

水で濡れた手でぽんと頭を撫でれば、ひひ、と機嫌のいい笑い声が聞こえる。髪の毛濡れちまっただろ、恨みがましそうな言葉と裏腹に、声は嬉しそうに弾んでいて、思わず笑ってしまう。泡を洗い流した皿を、隣に立った真緒が受け取って食洗機に入れていく。乾燥をかければ、ん、と真緒が手を差し出したのでそれを握る。ぶんぶんと手を振った真緒は、それをぶらぶらとさせながら私を引っ張ってソファーに戻った。

「そいや」
「ん」
「凛月何くれたんだ?」
「さぁ」
「ふぅん」

よっこいせとソファーから立った真緒が、机から凛月くんのくれた小さな箱を持って帰ってくる。なんかちょっと重いんだけど、顔を顰めた真緒が、箱にかけられたリボンをするりと解く。淡い水色の上品な箱を、真緒がゆっくりとした手つきで開け、それから心底解せないという表情をして頭を傾げた。

「なんだった?」
「ん」
「んー?ん?」

ずっしりと手に来る重み、木の風合いを重視した淡い木目が心安らぐ。こけしのような、そうでも無いような。まるでトーテムポールと表現した方がふさわしいかもしれないそれを、箱の中からつまみ出した。

「なにこれ」
「わかんねぇ」

ごそごそと箱の中を漁り、紙くずのクッションの底に埋まっていた説明書が出てくる。ニポポ。真緒の口から出てくる愛らしいことばに、ニポポと同じ言葉を繰り返せば、それニポポなんだって。と手に持っていた木の彫刻を指さされる。

「願いが叶うとか、幸運のお守り…?」
「へぇ?」
「そいやKnights今ドームツアーだっけな」
「テレビねやってたねぇ。トリスタは?」
「俺らんとこは夏かなー」
「友達と参加させて頂きますー」
「ご愛顧ありがとうございますー」

顔を見合わせて、いひひと笑う。テレビではバラエティからニュースに切り替わり、真面目くさった顔でゲストの、どこか有名な大学の教授がうんぬんかんぬんと小難しい話をしていた。なんとなく興味を惹かれるものがあったので、思わずじっと見てしまう。

「名前」
「んー?」
「今日泊まってく?」

手を握られ、すりすりと手の甲を親指で撫でられる。他意はなさげなその動作だが、なんとなく官能的なものを感じてしまい、背筋がぞくりとしておもわずそらしてしまう。恨めしそうに睨めば、悪かったって、と唇が近づいてくる。目、頬、そして鼻と順にちゅっちゅっと音を立て移動したそれは、かぷりと私の唇に噛み付いた。んむ、と唇をひっこめば、ちぇー、なんて残念そうな声と共に、真緒が離れていく。

「ねむいんですぅー」
「ねむいのかー」

じゃあもう寝るか、寝室に行こうとする真緒を蹴れば、いてぇ、なんて大袈裟に声を上げて振り向く。まずは風呂入ってからにしてくれませんか?見下ろしてくる顔にそう言えば、真緒は目をぱちくりとさせた。

「する?」
「は?」
「こっわ……一緒には入る?」
「…………、」
「お、?」
「それぐらいは許しましょう」
「ははーっ、名前様の仰せのままに」
「いてらー」

リビングを出て、風呂場に向かう真緒を見送り、ソファーに座り直す。ジャーと浴槽を洗う音をぼんやりと聞いていたが、いや違うと思ってすっくと立つ。慌てて風呂場にいけば、家に帰ってきた服のままで、真緒がシャワーヘッド片手に無心でスポンジを泡立てている。

「真緒」
「おー、名前。ちょっと待って、浴槽洗う」
「いやいやちょっと待って、それ私やる」
「いいって」
「いやいやよくないよ!?今更だけど仕事帰りが何言ってんの!?」

その手からスポンジを奪い取り、シャコシャコと泡立てる。泡にまみれたそれを浴槽に滑らせれば、頭から少し生ぬるい水がシャーとかかる。

「ちょっと、」
「ごめんごめん」

覇気のない声に、思わず振り返る。とろんとした目でシャワーヘッドを持って立っている真緒が、くぁ、と小さな欠伸をする。ねむい?そう聞けばん、と返事が返ってきたそりゃそうだよな、と思う。時計は既に夜の十二時を大きく回っていて、短い針はそろそろ二を指そうとしているからだ。このまま一緒にシャワー浴びちゃおっか、お風呂は朝。いい?そう聞けば、真緒はすん、と鼻を鳴らしてこくりと頷いた。

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