可哀想なお婆さんが、涙をこらえて子供を抱えていた。
船の上、子供は彼女へ『どこに行くのか』と告げた。
『この世は辛く厭わしいものですから、極楽浄土という結構なところにお連れ申すのです』
渦を巻く黒々とした水面が、あちこちで水を撥ねている。
――海が人を呑み込んでいる。
底冷えがして、彼はごくりと息をのんだ。この夢の中では、彼には体さえ与えられていないくせに。
そばに控えていた女が、老婆の腕から子供を抱き上げた。夢の中、形のない手を伸ばそうとしたが、彼の視界は女を追いかけることを許してくれない。彼が見続けているのは、いつだって老婆のみだった。
正確に言うと、老婆の腰に差された『刀』だ。
音もなく、視界は海の色へと染まった。
こうなると、もう、老婆の姿など関係ない。
彼が見るのは、海底へと沈む、一振りの刀。
沈んで、沈んで、ゆっくりと、真っ黒な底へと姿を消していく。
子供がかわいそうで、きれいな刀がもったいなくて。
悪夢といっても差し支えないような夢だ。せめてもの救いといえば、死にゆく彼らに怪我がなかったことくらいで――
[D:10024]
「いっ、いてぇよ菖ちゃん。何すんでぃ」
デザイン性のある制服をばっちり着こなし、きちんと梳かされたかも疑わしいのに、なぜか指通りのよさそうな髪。都会風の端正な顔に似合わず、てやんでぃ口調での苦情を浴びせてきた青年。腰に凪いだ刀は、鞘がひどく破損していた。
菖ちゃんだなんて呼ばれる筋合いはないが、菖蒲は彼の傷を見るのをいったん止めた。
「治療だよ」
「一文字足んねぇ、荒治療だ」
「包帯巻かなきゃ、傷に響くぞ。ムツキ」
「だって、いてぇもんは、いてぇんです」
ぶぅ、と子供よろしく口を尖らせる。
菖蒲と同じく、今年成人したばかりの彼なのだから、この表情もまだ許されるというものだろう。――ただしイケメンに限るという、残酷な条件つきで。
「ったく、こんな町中で暴れやがって、あの怪力系非行少年は何なんですかねェ。おまわりさん、車投げつけられましたぜ?」
「それで生きてるムツキも凄いけどね……」
「んなもん、来る前に燃やしますって」
めらぁ、って。
そういうと、炎でなく水の色をした目を細めて笑ったムツキ。
しかし実際には、めらぁなんてかわいい表現では済まされない炎が、数メートル先でごうごうと音を立てて燃えていた。
――魔法による犯罪と、魔法による取り締まり。
それがこの世界都市マロウの中、とある一区で起こっている日常だった。
最近、世の中は物騒だ。
いや、いつの時代だって物騒だったかもしれないが、この2×××年においては、その物騒さのレベルが跳ね上がったと言っていいだろう――現在進行形で。
「うわぁぁぁ!」
「野郎、電灯ぶん回しやがったー!」
「おい! 全員避難させ終わってねぇんだぞ踏ん張れ!」
「隊長ー! 早く戻ってきてくださいぃっ!」
定期的に、衝撃が地面を走る。おかげさまで包帯が巻きづらい。やめてくれ少年よ。
――そう、少年。
いま、世界都市マロウ・第三区中央街を騒がせる、一人の少年がいた。
「ったくよぉ、あいつら無茶ばっかり言いやがって。聖遺物の魔法使い相手に、何戦もできるかってんだ」
魔法を使って犯罪行為を働く連中のなかでも、特に厄介なのが『聖遺物』を持つ魔法使いだ。
普通の魔法使いとどう違うか、簡単に言えば『ご先祖様が悪食かどうか』である。
むかしむかし、今とは違って世界に魔力のもと……元素が尽きようとしていた時代。とある魔法使いが、どうにかして魔力を補いたいと願ってある行動にでた。
とある偉人の残した【杖】を食べてしまったのだ。
するとあら不思議、彼の魔力はあっという間に蘇り、原初の魔法使いたちのような強い力を手に入れた。
そこから金のある魔法使いたちは、競って偉人の【遺品】を探し出し、食べた。効果は絶大で、彼らはそのおかげでどうにか科学の世を生き残った――という、信じられないお話だ。
また、その食べたもののことを【聖遺物】という。聖遺物は子孫の体に受け継がれ、現在もなお、それを持つ魔法使いたちが存在している。
そして、その力をめちゃくちゃに使っているのが――
「菖ちゃんあぶねえ!」
「!」
前方からブロック塀が飛んできた。ムツキは咄嗟に立ち上がり、菖蒲を小脇に抱えて飛ぶ。救急箱は無残にもブロック塀の下敷きに。
「でかすぎる流れ弾だね。僕、今日死ぬのかな」
「こんくれェで死なれちゃ困りますぜィ」
「善処するよ。でもムツキ、これじゃ治療できっこない。いったん下がって、治療を」
そう言いかけた菖蒲の声をさえぎって、今度は自販機が飛んできた。チッ! と舌打ちしたムツキが、一歩前に出る。
「吹き飛べ」
刀が一閃する。烈風が吹いて、自販機を真っ二つにした。
すると遠くから、ぱちぱちと気の抜けた拍手が聞こえた。
「すごいねーお侍さん。でも、いつまで隠れてるつもりなのさ。さっさと来いよ」
「クソガキとのお遊戯には疲れたんでさァ」
「よる年の瀬には勝てないってやつ?」
場違いなほど明るい声。遠くからでもわかる、少年は奇妙な恰好をしていた。
顔は判別がつかない。遠いからではなく、顔中包帯でぐるぐる巻きになっていたからだ。腕も足も、返り血でどす黒く滲んだ包帯が巻かれている。髪はどう隠しているのか、一筋ですら見せていなかった。
加えて着ているものは、普段目にしないような服だった。何と言ったか、確かムツキが『チャイナ服』と言っていた。暗い灰色の服は、包帯と合わせてみれば、より一層彼を不気味な存在に仕立て上げている。
「ムツキ、どうするんだ」
「どうもこうも、煽られちまったなら、行くしかねェや」
「少しは耐性をつけろよ」
ぶつぶつ二人で言い合っていると、左奥の建物から悲鳴が聞こえた。甲高い――明らかに、菖蒲たち『魔法警察』の声ではない!
「菖蒲、今の」
「僕が行く。非行少年逮捕は任せた」
二人、背を向けて走り出した。
[D:10024]
悲鳴の聞こえた方向、湿っぽい路地裏へと入り込んだ。換気扇の排気口、青いポリバケツが乱雑に積まれ、ごみ袋もその隣に積み上げられている。おおよそ明るい気分になれない場所だ。子供の姿はなく、薄汚れた猫だけが菖蒲のことを見つめている。
「おかしいな、絶対ここだと思ったのに」
一般市民というか、人の気配がしない。
少年の所属する『傭兵団』とうそぶく犯罪集団――その魔法使いが、ギミックに『悪戯魔法』を仕掛けたのだろうか。
「誰かいないですかー! 警察です、隠れているなら出てきてください! 保護します!」
声を張りながら、進んでいく。
(――それにしても、あの子は何の聖遺物の持ち主なんだろう。僕とは違って、えらく恩恵を受けてるなぁ。やっぱりあれだけ攻撃力が高いとなると、武器かな。
あーあ。僕のも、せめて何か恩恵があればいいのに。何にも特典なしって)
実は菖蒲も、偉人の遺物をその身に宿す魔法使いだった。
(魔力の底上げすらされないって、どういうことだよ)
普通の聖遺物なら、何かしらの効力がある。しかし、菖蒲のものには何もないのだ。
(恥ずかしくて、親しい人以外には、聖遺物の魔法使いですとは言えないまま、今日まで生きてる訳だけど――)
一人そんなことを考えていたが、はっとして意識を運転に戻した。ああ、やはり行き止まりだ。街の見取りは覚えているので、そろそろ行き止まりに差し当たると思っていたが。
「うーん、やっぱり居ないか……」
一人つぶやく。誰もいないだけあって、路地裏にはその音がよく響いた。
――ぴちょん。
「……雨かな?」
わかっていながら、菖蒲はそういった。
――こんな鉄臭い雨など、あるわけがない。
「……雨だといいねぇ、おまわりさん」
友好的、かつ無遠慮なほどの殺気に満ちた雰囲気。
そこにいたのは、体全体に包帯ぐるぐる巻きの、あの子供だった。そのいたるところに、赤いものがにじんでいた。友人の返り血という展開だけは、却下したいところだが……。
ごくり、密やかに唾をのむ。恐ろしいものと対峙するときの癖だった。
「きみ、ひどい怪我だ」
「返り血九割だけどね。ポリ公にも強いやつはいるもんだ」
「……警察に追われるようなことを?」
「してないよ? おれは戦うのが好きなだけ。強盗も弱いやつを殺すこともしてない」
はーやれやれ、と、笑みを絶やさずにこやかに言う彼。間違いなく、菖蒲は彼に勝てない。
――と、思うのが、ちょっと遅かったみたいだ。
「お兄さんはどう? 強い?」
にこやか、……いや、それはハリボテの笑顔だ。急接近してきた少年に、慌てて体をねじって壁際から脱する。逃走経路は、たった一本しかないのが路地裏の難点だ。ひとまず、経路だけは確保した。
「おお、反応はいいね。そこそこできるよ、お兄さん」
「ありがとう。それで君……」
手当してあげたいから、署までおいで、と小さく主張。
赤い目が細まる。
と思った次の瞬間、一条の光が彼の頬をかすった。光は大きく軌道を逸らし、そのまま壁に突き刺さって消えていく。
心臓が大きく鼓動した。
「なあんだ、お兄さん。さっきのお侍さんと違って、やる気ないの? 子供だからって甞めてると……」
激しい砂埃をあげ、少年が地面を蹴った。大きく右に飛べば、握られたこぶしが壁にめり込んだ。
……次の瞬間、崩れ落ちる壁に、菖蒲はすべて察した。
この異常な身体強化魔法。使い手がムキムキでないなら、答えは一つ。
――彼は尋常じゃない魔力の持ち主ということだ!
「くっそ……!」
脱兎のごとく逃げだした。戦う気? ある訳がない。そもそも、剣豪のムツキが勝てない相手に、デスクワーク専門の自分がかなうはずもない!
「あれれ? 逃げちゃダメだろ、お兄さん」
「弱い奴は殺さないんだろ!」
「でも、つまんないよ。獲物に逃げられちゃあさぁ!」
ドン! と地面が揺れた。目の前に、少年の姿があった。
「――」
――金色の目だ。
なぜか、菖蒲は懐かしく感じた。
少年の目も、僅かに揺れた。
「おいっ、クソガキ――何してやがる!」
ムツキの怒号で、一瞬にして現実に引き戻される。
少年が少しだけ息をのむ音がした。しかし拳はすぐに、無駄のない予備動作と共に、菖蒲の体に叩き込まれて――
「――うおわぁっ!?」
バチィッ! と、拒絶の音が響いた。
目を白黒させた菖蒲。なぜなら彼の周りには、薄い金色の障壁が生まれていたからだ。それが、少年を、いともたやすく跳ね返した。
跳ね返された少年の方も、かなり驚いたのだろうか、金色の目を見開いた。なんとか空中で態勢を立て直し着地する。明らかに困惑していたが、彼はもう一度、こちらに向かってきた。
ずん、と地面を強く踏み、フォルムのいい飛び蹴りの姿勢に。勘弁しろ、と菖蒲は後ずさりする。
「やっ、やめ……」
バチィ!
再び、光の膜が少年を吹っ飛ばす。二度目の衝撃はより強く、今度はろくに受け身も取れずに転がった。
「…………」
「…………」
しばらく何があったのかわからず、二人とも固まって、お互いのことを見ていた。ずるずると、彼の顔に巻いてあった包帯が外れていく。
中から、若葉のような色をした髪が飛び出てくる。長い髪を一本にしていたのか、乱れた三つ編みがでろんと肩にかかっていた。
もっと凶悪そうな顔を想像していたのだが、出てきたのは幼げな顔の美少年で。
「……え、っと……あ、そうだ」
先に金縛り状態から脱したのは、奇しくも弱者の菖蒲の方だった。ごそごそとベルトから何かを外した彼が、少年の方へかけよって、
「……器物損害及び、魔法・聖遺物の乱用で、逮捕します」
「…………マジで?」
「正しくは午後四時二十三分、現行犯逮捕でさァ」
ムツキがしれっと付け加えた。
[D:10024]
「この子が、例の傭兵団の幹部という訳だね?」
顎ひげを撫でて、男が言った。
オールバックに、制服も規定通りに着こなした五十前後の男。彼はこの署の署長かつ、実はムツキの父でもある。昼間の騒動の始末を終えて戻ってきたそうだ。
「おれのことなんかどーでもいいよ」
一方の少年は、床にぺたんと座りこまされている。が、その表情だけは非常にふてぶてしい。ぴくぴくと太ももが動いているのは、警察官のかけた麻痺魔法に抵抗している証である。
両サイドを固めているのは菖蒲とムツキ。二人がかりで魔法をかけているのだが、どうにも効きが悪い。ムツキなんかは不機嫌顔で、まったく集中できていないようだった。
「くっそ、うぜぇですねェこのガキんちょ。署長、ここは一発びしっと拷問部屋に……」
「ないですからねそんな部屋!?」
「あれっ? 確か菖ちゃんのお隣の部屋じゃなかったですかぃ」
「それはムツキくんの部屋です!」
「あらら、これはうっかり」
真顔でそんなことを言うものだから、いまいち冗談か判別がつかない。署長が菖蒲へ助けを求める視線を送ったが、それより先に少年の首が動いた。
ペッ!
……と。何か吐き出す音とともに、べちょりと濡れた頬。――ムツキの頬だった。
「あ、ごめんねぇ。おれ、お侍さんアレルギーだったみたいで」
「よーしわかった。俺もチャイナ服アレルギーだったみてぇです」
刀の鯉口が切られる音と、めきめきと床にひびが入る音がした。
「うわわわ! 待ってムツキ、刀しまって!」
「止めてくれんじゃねェぞ菖蒲! こいつァたたっ切らなきゃお勉強できねえタイプのガキんちょじゃねぇか」
「切らない! あと魔法! 首動いたってことは魔法解け始めて」
脳裏で、光が四散する光景が浮かんだ。
その瞬間、低い位置にあった薄緑のそれが動く。
「くたばれチャンバラ兄ちゃん!」
「はい殺す。殺す!!」
「大事なことだから二回言ったの!? 二人ともやめっ……」
部屋が揺れた気がした。
少なくとも少年の放った一撃が床に穴を開けたことは確かだったし、ムツキの刀がカーテンを切ったのも事実だ。
そのまま二人は止まることなく、恐るべき勢いで切り結んでいく。
「ちょ、ちょっと待って! 待ってムツキ!」
「そ、そうだぞ馬鹿息子! 修理費、給料から引き落とすぞ!?」
「菖ちゃんと割り勘でお願いしやす」
「何で!? ってうおわぁっ!」
次々物を切ってしまうムツキの剣先に夢中になっていて、少年のことを忘れていた。菖蒲の手前まで飛んできた彼は、腕を振りかざし、
「――!」
思いっきり殴りつけた。
が。
バチン! と強烈な反動音が部屋に響いた。
「いっ――たいなぁぁ!」
「う、うわっ」
謎の障壁に跳ね返された少年だったが、すぐにネックスプリングで起き上がった。今度は地面を蹴り、猛スピードで突っ込んでくる。また飛び蹴り、と気づいて慌てて逃げ出す菖蒲だが、とても逃げ切れる速度ではなく……
「ありゃっ?」
残り距離三十センチというところで、突然少年の体が減速した。そのまま彼は、すっぽりと菖蒲に抱き着く形を取らされてしまう。
「わわっ!」
ぽすん、とかわいらしい擬音と共に、抱き着いてきた少年の体を支える。身軽そうな動きをしていたが、案外重かった。
「……」
手足で菖蒲に引っ付いたままの少年は、まだ押し黙っていた。
「あ、あの……」
「…………」
「おーい……大丈夫かい?」
「…………なに、この魔法…………」
ずるずると落ちていく体。パステルグリーンというのだろうか、形容しづらい薄い緑の髪の下で、彼の頬が赤くなっている。こう言うのもなんだが、確かに恥ずかしい体制だった。
「なんでぇ、菖ちゃんったらいつの間にお子様を手懐けたんだィ」
「違う! 懐いてなんかないよ!」
がるる、と噛みつきそうな勢いで少年が反論した。
「さっきも、変な障壁が出て邪魔されたしさぁ……」
「確かに……そんな魔法使ったことないんだけどね」
「障壁?」
唯一、その場にいなかった署長だけが首を傾げる。菖蒲がことのあらましを語ると、彼は何か心当たりがあるようで、腕を組んで頷いた。
「もしかすると、二人の聖遺物が関係しているのかもしれんなぁ」
今まで部屋の被害を確認していた署長が、突然口をはさんだ。
「……僕とですか?」
「そうじゃ。きみ、名前は何という?」
「…………玉緑」
「なんと?」
「……だから、ユーリュー」
少年はすっかり戦意を削がれたらしい。素直に名乗った。
署長はふむ、とその名を何度かつぶやいた。確かに、聞きなれない音の名前だった。
「聞いた具合では、かつての日の本風ではない名じゃなぁ」
「そうだろうね。別におれ、名前を親からもらったわけじゃないし」
「ははぁ……なるほど。皆、ちと待ちなさい」
そういうと、署長が電子端末を開いた。
慣れた動きで指が宙をたたけば、電子の海からデータが送り込まれてくる。彼が開いたのは、人の名前がびっしり並んだページだった。
「ここだ」
電子のスクリーンが、ある名前を映し出した。
【2×××年 八月二十日 五時三分
草薙剣
草薙剣・鞘
二名の魔法使いが所有】
「そして、これをこうして……」
菖蒲と、いまだ彼に縋りつく少年――ユーリューに、眩いサーチライトが当てられた。
「うわぁ! 何ですか署長!?」
「まぶしいんだけど!」
「こうじゃっ!」
ピピピピ! とけたたましい機械音と共に、スクリーンがページを変えた。
【現在
草薙剣 玉緑
草薙剣・鞘 菖蒲
以下二名から体内反応を察知】
「あらまぁ。聖遺物サーチにガキんちょの名前が出てらァ」
「くっ、草薙剣……!?」
草薙剣・鞘。
菖蒲の体の中に眠る、古代の王の遺物である。
聖遺物は魔法使いに多大なる魔力の恩恵を与えるが、プラスアルファで特典を加えてくれるのだ。……まぁ菖蒲は、そのプラスアルファどころか、底上げされた魔力を感じ取ったことなどなかったのだが。
「剣であるユーリューくんの攻撃は、鞘の菖蒲くんには効かない。なぜなら二つは、揃って初めて使われるものであり、剣が鞘を壊すなどありえないからだ。稀にある対の聖遺物ということだな」
まれに、対になる聖遺物が存在する。
大抵は矛と盾だ。つまりは、人を傷つける武器と、人を守る防具をかたどったワンペアの品。
「――つまり、おれとお兄さんが番ってこと?」
「そうだなぁ。剣と鞘。君が彼に攻撃するたびに現れる障壁。まさに番にピッタリの条件、現象だね」
「うっそ……」
少年は茫然とそう呟いた。
自分の一切の攻撃を封じられるなんて、弱点どころじゃない。死角だ。しかも菖蒲は警察で。少年は一気に肩を落とした。
「そう落ち込まねぇでいいんですぜ、坊主」
「お侍さん……」
「てめえはこれから豚箱行きだからなァ」
「へぇー。お侍さんは棺桶逝きかな?」
「おいおい待て、ムツキくん。煽るんじゃない。それに豚箱には入れられないぞ」
「ええ? なんでですかィ」
かなり不満そうにムツキが声をあげた。
「そりゃそうだよ。少年法に引っかかるでしょ。ユーリューくんは何歳なのかな?」
「おれ? 十八歳だけど。てか少年法ってなんだよ、十八で成人でしょ?」
「この区域では、二十歳からが大人なんだ。つまり君は」
「豚箱じゃなくて少年院ですねィ」
「えーほんと? じゃあそこでもいいよ! 刑務所じゃないなら警備もぬるそうだし、全員ぶっ殺して出れそうじゃない?」
うふふー、と背景に花を咲かせそうな愛らしさで、落とされたのは言葉の核爆弾であった。さらに「まぁムショでもやることは変わんないけどネ」と追撃。
街の惨状から考えて、彼ならやりかねない……菖蒲とムツキは顔を見合わせた。
「頭ァお花畑系カラーの癖に、こえーな坊主」
「失礼だなぁ。うっかり殺しちゃうぞ」
「そうなったら、俺もうっかり菖ちゃんを盾にしまさァ」
「故意だよ両方……。署長、どうするんです?」
再び黙り込んだ署長のほうを振り返る。
するとそこには、一式の布団と毛布が置かれていた。
「……え? 署長?」
思わずもう一度署長の名を呼んだ菖蒲を無視して、署長はえっほんとワザとらしく咳き込んだ。
「ユーリューくん」
「はぁい?」
「これを君にあげよう。これをもって、五階の305号室に行きなさい」
「わぁありがとう」
「それ僕の部屋ですけど!?」
おろおろと二人を見比べるが、少年はすでに布団を受け取ってしまっていた。そのままカードキー(なぜ持っているんだ!?)をズボンのポケットに押し込んで出て行く。
「しょ、署長」
「不良少年の更生も、警察の務めだ」
あと、ぶっちゃけ番の君以外、彼を止められないし。代用監獄っぽいことしてくんない? 君の部屋で。――署長の目が語っていることを翻訳すれば、こうだろうか。
――今度は菖蒲が茫然とする番だった。
[D:10024]
「あ、おかえり〜」
「……た、ただいま?」
恐る恐る扉を開けると、ソファはすでに陣取られていた。ざっと目を通したが、荒らされた形跡もない。意外にも布団は、きれいに畳みなおされて部屋の隅に置かれていた。
自分の部屋なのに、完全に入るタイミングを見失っていると「まぁ座りなよ」と、彼の手前にある来客用の椅子を勧められてしまった。
「ど、どうも」
「どういたしまして!」
にこ、とユーリューは笑みを浮かべた。
改めて真正面から彼を見て、深くため息をついた。
柔らかな若葉の色をした髪は、ゆるやかに一つにまとめてある。出会ったときは三つ編みにして、包帯の中にぐるぐる巻きにしてあったから気づかなかったが、とってもきれいな色だった。
逆に、包帯の隙間から覗いていた爛々と輝く獣の瞳は、今は甘く煮詰めたはちみつ色。目、鼻、口、眉、すべてバランスが良く置かれていて、笑顔からは取っつきやすそうな印象すら受ける。一見すると『学年で噂になるイケメン』といった具合か。
残念ながら彼の場合は、学年どころか町中に(悪)名を轟かせているのだが……。
「今日からお世話になるよ、お兄さん」
「そうだね……。とりあえず君は、少年院行きを免れたみたいだし……」
「刑務所にも入れて貰えなさそうな雰囲気だったねぇ」
けらけら笑ってそう言った。本当に、屈託なく笑う少年だ。十八には見えないのも、彼が絶えず表情筋を動かしてるからかもしれない。
「お兄さんがいなけりゃ、山奥に捨てられてたかもね」
否定できない。それほどに、彼の暴れっぷりは脅威だ。
「まぁ、まだ処置も決まってないからね。しばらくは僕の部屋に軟禁だけど、許してね」
「はいはい」
お兄さんさえいなかったら……と、不穏なセリフも聞こえてきたのだけれど、聞こえないふりをして台所に向かった。時刻は夜の七時。自分ひとりならいいが、子供がいるなら夜ご飯を作るべきだ。
(とんでもないことになったなぁ……)
数時間前、彼が傷つけた人を手当したというのに、今は彼にご飯を作っているなんて……ちょっと訳がわからない。菖蒲の脳が理解するのを拒んでいる気すらした。
「……とりあえず、子供ってご飯は何がいいんだろうなぁ。オムライスとか?」
「オムライスってなに、お兄さん」
「うわっ」
音もなく背後に立つのはやめてほしい。
ユーリューは興味津々といった様子で、はちみつ色の目で菖蒲をのぞき込んでいた。
「オムライスは……ケチャップライスを、卵で包んだものかな?」
「ライス……? チャーハンみたいなもん?」
「チャーハンと天津飯の間かな」
「天津炒飯! おいしそうだね!」
ますます目が輝く。闘っているときの輝きではなかった。
「炒飯なら、俺が作ってあげようか?」
「えっ」
まじまじと少年の顔を見つめた。物理では殺せないから、毒入り炒飯でも作る気なのだろうか……。
(……って、さすがに彼に失礼か)
厚意の申し出を疑った自分を恥じつつも、ならお願いするねと言った。
「任せてよ。中華なら得意なんでね」
「ケチャップライスどこ行ったの」
「だって俺、中華以外詳しくないもん」
「じゃあ教えてあげるからさ。一緒にオムライス作ろう?」
チャーシューもネギもないので……という冷蔵庫事情を考慮して提案する。すると彼は突然、すべての表情筋の動きを停止させた。真顔である。真顔で、菖蒲のことを凝視してきた。
(じ、地雷踏んだ――!?)
冷や汗が背中を流れる。攻撃が全く効かない説が出ているとはいえ、罪人(殺人歴あり)を怒らせるのは怖かった。
「いっしょに?」
「う、うん……」
「……心配しなくても、毒なんか入れないのに」
ちょっと拗ねたように彼が言った。
「え、ち、違うよ! そんなことは思ってないから! ほら、もう七時だし、一緒に作ったほうが早く食べれるでしょ!?」
あわあわと手を振って否定する。ずい、と至近距離まで迫られたが、目を逸らさないようにした。迫られて目を逸らすのは、嘘をついている人間だけだ。警察の自分も、犯罪集団の一員の彼も、きっと知っている知識である。
二人、にらめっこ状態でいると、彼は突然ふいっと顔を逸らした。
「……わかったよ。おなか減ったし、早くしよう」
そういう訳で、二人で料理をすることになった。
意外にも彼は、危なげなく包丁を使い、手際よくご飯を炒め(炎が燃え上がるほど火力を強くしたときはさすがに止めたが)卵もふんわりと仕上げた。おまけにスープもほしいといったので、僕がコーンスープを作ってみせれば「おいしそうじゃん」と嬉しそうに笑っていた。
とんとん拍子で完成した料理を平らげて、ぐうたらとテレビ鑑賞をして、交代で風呂に入って……気づけば時刻は十二時前になっていた。
「じゃあ、僕はもう寝るから」
まだテレビに食いついていた少年が、振り返る。大人の癖に寝るの早いなとか思われているのかもしれないが、警察の朝は早いのだ。睡眠大事。と、菖蒲は心の中で言い訳をする。
「そう」
「布団は好きなところに敷けばいいけど、そこのリビングのテーブルなんかを動かせば……」
「悪いけどお兄さん、別の部屋で寝てよ」
「え、えぇ? ここ僕の……」
「俺、人がいると眠れないんだ」
からかっている様子はない。至って大真面目の顔だった。
「人が俺を殺せる距離にいるなんて、眠れる訳ないよ。君が夜中起きたりしたら反射で起きちゃうし、面倒だからよそで寝て」
「えっ、あ……」
「おやすみ、お兄さん」
押し付けるように布団を手渡され、廊下に追いやられてしまう。唖然として立ち尽くす菖蒲の耳に、廊下の古時計が十二時を告げる音だけが響いた。
[D:10024]
「おっす菖ちゃん」
「ふわぁ……あぁっ!? なんでムツキの部屋」
「お前が廊下で寝てるから、俺が慈悲で入れてやったんだろィ」
寝癖がついたままで制服に袖を通しているムツキを、ぼんやりと眺めていた。廊下で……? と呟き、数秒後、昨日のことを思い出したのだろうか、ため息をついて頭を抱えた。
「ああ、そういうことか……ありがとう」
「廊下に布団って何事。っていうかあれ、クソガキの布団だろィ」
「追い出された」
「ぶっ」
笑いごとじゃない。
「まぁ、子守は大変だわな。お前は今日も非番だし、お子様と一日仲良くやりねィ」
愉快そうに言って、彼は部屋を出て行ってしまった。
のそりと布団から起き上がると、テーブルに焼きそばパンと牛乳パックが置いてあった。ゴチになっていいんですぜィ、と上から目線の置手紙に苦笑する。なんだかんだ言って、面倒見のいい男だ。
「ゴチになります」
ありがたく受け取っておこう。
もそもそと焼きそばパンを咀嚼しているうちに、時刻は七時をだいぶ回ってしまった。
(あの子、朝ごはん食べたかな)
菖蒲は席を立った。
隣の部屋からは、何か物音がしている。
「おはようございまーす」
「あ、お兄さん」
約七時間ぶりの自室に入れば、またもやソファを占領している少年が声だけで返事をした。
「あれ。もしかして朝ごはん食べた?」
「うん。なんか丸っこいパンがあったから」
「マフィンかぁ」
「マフィア?」
ちょっとだけ声のトーンが上がっているのは気のせいか。朝から物騒な単語を出さないでいただきたい。
「あれ。残してるじゃないか」
テーブルの上には、なんとも凝ったマフィンが置いてある。
半熟の卵が上にのっていて、その下にはベーコンやレタス、玉ねぎが顔をのぞかせている。すぐ傍には、長らく使われていなかったシーザーサラダドレッシングの瓶が佇んでいた。
「いらないなら捨てて」
少年はふい、と視線をそらす。一瞬の間をおいて、その意味を理解した。
「いるっ! いるよ!」
さっき焼きそばパンを食べて、正直おなかが空いている訳ではなかった。が、非行少年が他人を気遣う様子を見たのだから、うれしくない訳がなかった。
いただきます、と声を張ってお礼を言った。
「ナイフで切って食べてね」
「えっ? そ、そんな贅沢なことしていいんですかっ……!」
「切れないなら俺が切っちゃうぞ?」
「な、なんか君が言うと怖……って、いやいやだめ! 僕がやるから!」
そっと、柔らかな黄身の部分に刃を入れる。どろりと溶け出す黄金色に、ベーコンの赤とレタスの緑、そしてパンの白が飲まれていく。絶景だ。
「ああ〜っ……すごい!」
うっとりしていると、横からフォークの銀色がぐさりと楽園に刺さった。「あ」と思ったときには、マフィンの半分は少年の口の中に消えていた。
「あぁぁぁ! 何するの!」
「お兄さんがちんたらしてるからいけないんだよ」
「返せよ僕のアタラクシア……」
「はぁ? 何語? 文句言わずに食えよ」
きゅぽん、とドレッシングの蓋が空いた。
無造作に、しかし綺麗にかけられたそれを小さく切り分け、今度は菖蒲の口へと運ぶ。
レタスの葉を、しゃくしゃくと音を立てて咀嚼する。卵のとろりとした味わいと、ベーコンの肉汁が相まって、いいアクセントになっていた。パンの焼き具合は少し柔らかめで、ほかの具材の食感を邪魔しない、むしろうまく引き立てていた。
「うんまい……」
「当たり前」
目の前で見ているとおなかが減るのだろう。少年が、タッパーに入れていたベーコンとレタスを取り出した。ベーコンの切れ端を、レタスで包んで口に押し込む。こうすると葉物によるさっぱりとした感覚と、じゅわっと染み出る肉汁の濃さが、いい塩梅になるのだ。
「食べるなら、やっぱ美味いものじゃなきゃ」
少し柔らかくなった表情を、菖蒲はこっそりと見た。
戦闘趣味の恐ろしい少年と思っていたら、今度は料理上手の少年。料理をふるまってくれたかと思えば、眠るときは人を避ける。
(……わかんない、なぁ)
見せる側面のギャップが激しくて、距離感が掴みづらい。彼が菖蒲のなかにある、『鞘』のための『剣』ならば、この子を避けては通れない。この子の行く末もわからないし、来し方もわからない。
ただの非行少年、で片付けるには、余りにも謎めいていた。
「ねぇ、本当においしい」
「わかってる」
「こんなに上手に料理ができるなんて、料理人になれそうだね」
長い睫毛が瞬いた。表情筋がこわばる。昨日と同じだった。
「……お兄さんってさ、変わってるって言われない?」
「え」
菖蒲の一番近しい友人の方が、よっぽど変人認定されていると思う。端正な顔立ちに、謎の江戸っ子口調。ある意味彼も、ギャップの塊だ。
一方で菖蒲は、普通の顔に普通の口調。刀なんか使わないし、魔法が突出している訳でもない。
「言われたことないなぁ……」
「そう。昨日から、今まで言われたことないコトばっかり言ってくるから、てっきり変わった人かと」
「そんなに変なこと言った?」
「言ったよ」
頬杖をついて、彼は詰まらなそうな顔で言った。
「一緒に作ろうとか、同じ部屋で寝るとか。包丁で刺されるとか、寝込みを襲われるとか、思わない?」
「だ、だって……君の攻撃は、効かないんだろ?」
「鞘だからって気を抜きすぎ。そういうの、見ててイライラする」
突然の刺々しい台詞の連続に、少し萎縮する。ナイフとフォークをおいて、彼の表情をうかがった。
「ムカつくんだよ。今まで、こんな態度とられたことないのに」
「……僕、普通に接したつもりだったんだけどね」
「ふつう」
ただ音を発しただけのような言葉が、零れ落ちた。
「俺みたいなやつが仕事できるとか、ふつうの発言なの」
「そうだよ」
「嘘つき」
「嘘じゃないよ。確かに君は、強すぎるし、暴力沙汰が好きなんだろうけど、でも」
昨日見た目も、今日見た目も、何も変わらない。
「目が輝いてるんだよ」
拳をかざしている時が、鋭い獣の金色ならば。
談笑してる時。美味しいものを食べる時。液晶の向こうで、知らない世界を眺めている時。何より、料理をしてる時。
それは優しく、きれいな金色だった。月みたいに輝いて。
だから、暴力でしか生きられないみたいな言い方は、やめてほしかっただけだ。
「……更生プログラムに浸るつもりないから。早く仕事に行けよ」
「更生プログラム?」
「テレビでやってたんだ、犬の調教師の」
「君は犬じゃないだろ。君こそ、変なこというなぁ」
菖蒲は笑った。
彼の受け持つ非行少年は、一瞬一瞬、雰囲気が変わって、なにもわからない。わからないが、何となく確信したのだ。
(大丈夫だ、今にきっとわかる)
たった一日と半分で、戦闘以外に好きなものがあると知ったのだから、十分収穫だ。これから徐々に、歩み寄っていけばいい。
(目標は決まった。傭兵団に戻さず、何か別の職に就いてもらうことにしよう)
スキップでもしそうなくらい、菖蒲は機嫌がよかった。目標ができたなら、あとは邁進するだけ。扉を勢いよく開けて、彼は職場への廊下を駆け足で進んでいった。
静かになった食卓。
食べきれなかったマフィンの一切れが、皿の上に残っていた。
「……変なやつ」
ぱくり。
[D:10024]
ユーリューが魔法警察につかまって、早二週間が経とうとしていた。
すっかりここでの軟禁生活(といっても、勝手に署内をうろうろして、菖蒲を困らせ、付き合わせたのだが)にも慣れてきた。むしろ飽きつつあった。
「さっさと逃げてもいいけどさ」
ぴ、とテレビをつける。
「お兄さんがいる限り、きっとつかまっちゃうし」
時計を見た。午前七時。彼はまだ、隣の部屋だろう。
「……この前、お兄さんが入ってきても寝てたって言うしな……。俺も、生ぬるい生活のしすぎで鈍ったかな」
たぶん、そうではないとユーリューはわかっている。ほかの警察官や、お侍さんと呼んでいる青年が来てもすぐ起きることができる。なのにこの前、うっかりソファの上で寝落ちたとき……
「『ユーリューくん、風邪ひくよ』って。風邪ひく前に、心臓止まるかと思ったっての」
文句を言うような声音でつぶやく。
「……何で起きなかったんだろう」
お兄さんが弱すぎるから? と、首をひねった、その時だった。
建物が揺れた。
衝突音と爆発音。ワンテンポ遅れて、けたたましいサイレンが廊下を鳴り響く。慌ただしい足音と怒号も聞こえた。
【緊急事態発生、緊急事態発生。ただちに対処してください】
放送の音がうるさい。テレビのボリュームを上げた。
「俺を放っぽって、お兄さんどこ行ってるの」
ベッドの上に寝転がったまま、ユーリューが眉をひそめた。今日の朝ごはんは、肉まんにするという約束だ。すっぽかしたら殺す、と念押ししたのに……。と、一人物騒なことを呟いていた。
チャンネルを無造作に切り替えていく。朝のこの時間帯は、つまらないニュース番組ばかりだ。
《見てください、飛行艇が頭から突っ込んでいます! 煙がもくもくと上がっており、ここからでも爆発音が聞こえて――》
「なになに? 第三区魔法警察署へ、犯罪集団が襲撃? おーおー、派手にテロってるねぇ」
部屋が揺れた。風圧に耐え切れず、ガラスが音を立てて割れる。
「つーかここ、第何区だっけ? お兄さんの制服……」
ひょいっと上体を起こし、部屋を見渡す。部屋の主がいないからか、味気ない配色に見えた。食卓の方に足を運べば、椅子の背もたれに上着がかけてあった。ネームプレートを見る。
「やっぱ、第三区かぁ」
上着に皺が寄る。
「菖蒲!」
バキッ、と嫌な音を立てて扉が開いた。荒々しい声と共に入ってきたのは、彼の待ち人の同僚だった。
「うわ、お侍さんは手も使えないの? 扉壊れたじゃん」
「るせぇ、今この建物はどこもかしこもぶっ壊れてまさァ」
硝煙の匂いと、血の匂い。彼の制服には焦げ付いた跡と返り血の濁った色が染みついていた。懐かしくて目を細めていると、ムツキが舌打ちする。
「呑気に笑ってんじゃねぇ、この戦闘オタクの変態野郎。それよりクソガキ、菖ちゃん見てやせんか」
「お兄さん? てっきり今お仕事してんのかと」
「それが、どこにもいねェんでさァ」
「へぇ、じゃあ俺は今逃げる大チャンスってこと?」
「はぁ? 逃げてみろよ。テロリストより先に、テメェをお縄に着けてやりまさァ」
一気に殺意が膨れ上がる。刀が鈍い銀色を放っていた。
少しだけ興味が沸いたが、なんとなく、手元の制服を手放す気になれなかった。
「……これじゃあ拳も握れないや」
少し皺にしてしまった制服。さらにぐしゃぐしゃにしたら、きっと怒るだろう。
やる気をなくしたのがわかったのか、ムツキは一気に冷めた目をして刀を鞘に戻した。
「駄弁っただけになりやしたね。俺ァもう戻る、菖ちゃんが戻ってきたら、連絡入れろって言って――」
《速報入りました! どうやらテロリストの目的は、聖遺物のようです! 先ほど警察官の一人が、飛行艇に乗せられているのを目撃したという情報が――》
《聖遺物攫いですね。聖遺物の魔法使いを殺害し、聖遺物を取り出すという凶行、最近増えていると聞きますが……警察署を狙うとは盲点です。内野アナ、その警察官の情報詳しく――》
犯罪集団の組織名が表示された。かつてリューユーが潰した組織の名前だった。復活したのか、と頭のどこかが冷静に判断する。
「お侍さん、俺用事ができたから行くね」
「へぇ、チャイナ君どちらまで?」
「お兄さんの忘れ物届けにいく」
制服を羽織り、半壊の扉をくぐる。
「そりゃあ、奇遇だねィ。俺ァ菖ちゃんのとこ行って――」
ムツキは笑った。
「焼きそばパンと牛乳代、貰いにいきまさァ」
[D:10024]
背中を思いっきり蹴られ、船の看板に膝をつく。
「お前、本当に草薙剣の魔法使いなんだろうな?」
「……そうだ」
正確には鞘だけど、と下を向いて少し笑った。
どうやらこのテロリストたちは、身柄を確保されたユーリューのことを狙っていたようだ。幸いにして、下っ端は少年の顔までは知らないようだが……。
(自分の手錠で縛られちゃ、世話ないや……)
魔法警察の手錠は特殊で、一切の魔法を打ち消すことができる。菖蒲の数少ない攻撃魔法も、全く歯が立たないだろう。
(これ、ユーリューくんなら壊せたかもなぁ)
いまさらながら、自分の阿呆さに呆れてしまう。草薙剣の力ならば、この手錠も簡単に外せただろう。
(でも、子供には一瞬でも、こんな怖い思いはしてほしくない)
怯える心を奮い立たせ、再び顔をあげた。
「にしちゃあ、細くないか?」
「怪しいぜ。草薙剣は、肉体強化の付与能力なんだろ? こんな如何にもなモヤシ魔法使い、偽物だろ」
品定めするように、体を見られる。菖蒲は(モヤシ……)と、密かに傷ついていたのだが、そんなことを犯罪者たちは気にしはしない。
「確か、ガキだとも聞いてるぜ」
「あぁ。んじゃあ、ちっと立たせろ」
手錠の鎖を引っ張られ、無理やり立たされる。ぐらりと足元がふらついたが、どうにか踏ん張った。菖蒲の目の前にいた男は、軽く百九十くらいはありそうな益荒男だった。
「百七十……あるかこれ?」
「百七十はあるからな……」
ここだけは主張しておく。
「は、ガキっちゃあガキか?」
「んじゃあ此奴は」
益荒男の隣の、骨ばった体の男が言った。含み笑いをしながら。
嫌な予感がする。
「バラして、俺たちで山分けしようぜ」
(――こいつら、聖遺物攫いか!)
確かに菖蒲は、聖遺物の持ち主には違いない。
もし菖蒲が殺され、鞘が彼らの手に渡ったならば、彼らはそれを食べるだろう。そして、彼らが鞘の力を手に入れるということは――
(ユーリューくんが危険だ……こんな大勢、彼の攻撃が効かない人間なんて生まれたら……!)
いいところでリンチ、最悪嬲り殺しだ。彼を殺したとなれば、この犯罪集団は更に勢いづくだろう。
最悪の事態だ。自分の体の重要性を考えていなかった。
一歩、益荒男から距離をとる。ナイフの鈍い光、銃の安全装置が外される音、呪詛の詠唱を始める声。それらは、菖蒲の死刑宣告の役割を果たしていた。
(――逃げないと駄目だ!)
突然、頭の中で、ガンガンと警鐘のようなものが鳴り響く。
体が熱い。
体中の血管が裏返り、魔力の管になったような錯覚。
充たせ、充たせ、充たせ。
何かが、三半規管の奥、囁いた。
「――CODE:N」
勝手に、唇がそう動いた。
指先が痺れる。
いや、菖蒲より、もっと酷い症状のものが出ていた。
「な……なん……なんだよ、これ!」
「体が動かねえっ!」
「CODE:Nだろ!? 初歩の麻痺魔法だろ!? こんなの、すぐ解ける!」
不安を掻き消そうとするように、賊が叫ぶ。菖蒲も何が何だかわからない。魔力が体の底からあふれて、止まらない。
目まいがする中、何者かの声がする。
複数、老若男女の声。
確かに、菖蒲にこう言った。
――充たせ、主。
朕の剣のために。
「いやっほぉぉぉい!」
この場の沈黙を、奇妙な声が切り裂いた。
轟音。振動。衝撃。煙幕。破片。悲鳴。
本当に短絡的で、暴力的な二文字だけが、踊る。
しかしそれは、何よりも菖蒲が待ち望んだもので。
ふっと、指先のしびれが消えた。
しかしそれは目の前の男も同じようで、憤怒の目で菖蒲を見た。ふらり、菖蒲の開けた一歩以上を詰め寄る。刃が、首に押し付けられる。
「っこの餓鬼、いい気になりやが――」
突然、男はしゃべるのをやめた。刃は足元に落ちる。顔を上げると、びちゃりと液体が菖蒲の頬を濡らした。
男は、首から上がなくなっていた。
ずり落ちる体。その向こうで、緑色の三つ編みがゆらりと揺れていた。
「ユーリュー、く……」
言い終わるより早く、少年は菖蒲をいともたやすく抱え上げた。そのまま看板を走り抜ける。
「何モンだ! くそっ、撃て!」
無数の銃口が火を噴いた。ユーリューは強く地面を蹴りあげ、船の動力室の屋根に飛び移る。空の薬莢が、むなしく音を響かせた。そればかりか、幾らかの流れ弾がお互いを撃ちあったのか、悲痛な叫び声が聞こえてきた。
「ここで待ってて」
ユーリューはすっと菖蒲を下すと、それだけ言って屋根を降りようとする。慌てて彼は叫んだ。
「ユーリューくん、ユーリューくん!」
子供のように、菖蒲がその名を呼ぶ。
まさしく子供の彼のほうが、静かに振り返る。なぜ呼び止めたのか、自分でもわからなかった。が、言葉は勝手に出てきた。
「制服、似合ってる! すごく!」
「――!」
ユーリューは目を見開いた。でもそれは一瞬で、菖蒲には分らない程度だったけれど。
勢いよく地を蹴り、彼はお気に入りの場所へと舞い戻る。
そこは彼の独壇場だった。
武器も持たない少年が、ぐるりぐるりと敵を支柱に半回転していく。チャイナ服の裾が、灰色の花のようにはためき、まるで演目のように、敵がばたばたと倒れていった。
飛ぶ。銃声が響く。薬莢が落ちる。銃が落ちる。鮮血が散った。
「あーっ最高! やっぱこれだよ! 楽しい!」
ご機嫌な声が、悲鳴の中でひと際輝いた。
菖蒲が屋根の上でどうするか悩んでいると、建物の方から見慣れた制服がわらわらとなだれ込んできた。
その先頭にいた男が、スピーカーで叫ぶ。
「お子様ァ! ストレス発散もほどほどにしねェと、逮捕しますぜィ!」
「うるさいなぁ! ほら、俺いま、警察だから」
「菖ちゃんー、制服泥棒がいるぞー」
左後方から、ムツキをめがけて賊が襲い掛かる。しかし、鞘から刀が抜かれると同時、ばっさり切られてしまった。彼は何事もなかったかのように、片手刀、片手スピーカーのまま歩き続ける。
菖蒲のいる屋根上へと昇って、彼は大音量で叫んだ。
「おーい山賊どもォ! このまま降伏しろ! じゃねえとチャイナのクソガキに皆殺しにされるぞ。生き残りてえ奴は伏せろ!」
満身創痍の男たちは、すぐに全員膝をついた。
「ちょっと!」と不満そうな声を上げているユーリューを見て、ムツキはくつくつと笑っていた。
「悪者退治だけが、おまわりさんの仕事じゃねェよ。な、菖蒲」
「……うん」
どうやら、菖蒲の行動の真意に気付いているようだ。わしゃわしゃと髪をかき乱され、
「まぁ、うちの桃姫様の行動も、今回は許してやりましょう」
「誰がピーチ姫だよ!」
「そーれ、チャイナ産配工官のもとへ飛んでけー」
「おわわっ、押すな、うわぁああ!」
屋根の上から突き落とされる。突然落下してきた菖蒲を、ユーリューは何とか受け止めた。
「お侍さんって結構、むちゃくちゃだよね」
「本当だよ! お前、殺す気か!」
「何言ってるんでィ? 侍系配工官も降りますぜィ」
「「えっ」」
二人して顔を上げたときには、すでにムツキは頭上に。
ものの見事に、二人はムツキの下敷きになった。
「いってぇぇぇ」
「菖ちゃんったら、鍛え方がなってなくてよ?」
「誰だよ! てか、俺めがけて降りてきただろ!」
「チャイナが俺を受け止めるとは思えねェ」
「よくわかったね」
誰からともなく、クスクスと笑いだす。
残ったテロリストたちは全員、他の警察官によって連行されている。壊れた署内のどこに収監するのだろうか、少し心配だが、気にすることもないだろう。
手持ち無沙汰の三人に、一人の警官が近寄ってきた。
「ムツキ隊長! 署長がおよびです!」
「ゲッ。なんだよ父ちゃんめ……俺ァ何もしてねえだろ……」
「ははは、今は署長って呼んどけよムツキ。火に油だ」
「ちぇっ。じゃあ、怒られに行ってきまさァ」
飄々とした態度で、ムツキはひらりと手を振って署内へと入っていった。
警察官たちの姿も疎らになって、菖蒲はようやっと人心地ついたように、深く息を吐いた。
「どうしたの、お兄さん? 気分悪い?」
「いや……違うんだ。大丈夫」
肩を掴まれたが、笑って否定する。
「今さらだけどさ……ごめん。ありがとうね、ユーリューくん」
「なぁに、本当今さらだよ。変に俺のこと庇っちゃって」
「し、知ってたんだ……」
少し恥ずかしい。普通にユーリューが捕らえられたほうが、早く事が済んでいたのは事実だ。
「ば、馬鹿だよね、僕! まったく、もうちょっと考えてから行動しろってんだよ」
「ほんとにね。お兄さん、お侍さんと違って弱いし、すぐ死にそうだし、子供みたいだし」
「うぐ……」
「でも、よくわかんないけどさ。さっき、俺すっごい調子よかったんだ。あんたを助けた後、体が軽くて、一撃が重くなって。なんでだろうね?」
手のひらを開いたり閉じたりして、ユーリューは首を傾げた。
「実は僕も、君が助けに来てくれるほんの数秒前まで、変だったんだ。魔力が勝手にあふれてきて、初歩の麻痺魔法がありえないぐらいの効力発揮して……」
「そうなの? じゃあ、これも聖遺物の影響?」
「かもね。なんだったんだろう、あれ……」
兎にも角にも、疲れた。そう思って小さく伸びをしようと思ったら、手錠がガチガチと鳴っていた。まだ付けられていたのを忘れていた。
「ユーリューくん、これ解いて」
特殊な金属でできたそれを、じゃらりと彼の前に差し出した。
「……君、俺の事ゴリラと思ってるの?」
「思ってないよ」
「じゃ、……なんだと思ってる?」
少しだけ、震えた声。
「とっても不思議な、でもいい子だ。僕の友達。あとは、そう――」
まっすぐ、少年の金の目を見つめた。
「僕の剣。だからこれくらい切れるでしょ?」
鎖の切れる音が、昼前の空に溶けた。
[D:10024]
「……うん、後で読んでおこう。お疲れさま、菖蒲くん。いろんな意味でね」
「すみません、署長……」
始末書を提出すると、署長は気遣うように菖蒲へと微笑みかけた。すぐに休みなさい、とまで言ってくれる人情味あふれる上司に感謝しつつも、菖蒲には疑問が残っていた。
「署長。実は先ほど、僕とユーリューくんの体に異変がありまして」
「異変?」
「ええ。僕を助けたあたりから、急に戦闘しやすくなったとか。あと僕は、彼が助けに来る前なんですけど、急に魔力が体を循環して……妙に強い効力の魔法まで勝手に出ちゃって……」
すると署長が、笑顔を突然、微笑みからにやにやとした笑みに変えた。
「それは、ユーリューくんと菖蒲くんが、心を通じ合わせたからだよ」
「……へっ?」
なんだそれ、と言いたそうな顔をする菖蒲に、まぁ聞けと彼は片手で制した。
「君の聖遺物が、今までなんの効力も与えなかった理由は明白だ。君の聖遺物は、番を支えることだけに特化した能力だった。君たちがいがみ合うなら、君の能力は芽を出さない。むしろ剣の邪魔にすらなる――ユーリューくんが君を傷つけようとすれば、障壁が出るように」
「でも、もうユーリューくんは」
「ああ。彼は君を傷つけなくなったね。守り、救おうとした。そのときやっと、鞘は本来の力を発揮して、剣の切れ味をよくしたってことだな」
「なるほど……」
どおりで、約二十年間ずっと、何の特典もなかった訳だ。
自分の胸に、そっと手を当てる。この中に、ようやく息を吹き返した鞘がある。海の底へと共に沈んだ片割れとの再会を、喜ぶ声がする。
「ですが署長、ユーリューくんは結局どうなるんですか? 少年院に行ってしまうんでしょうか」
「ああ、まだ言っていなかったか」
「はい」
「大したことはない。不起訴処分だ」
「え――!?」
「ありゃりゃ、マジで?」
「えええっ」
いつの間に来たのか、横からひょっこりと三つ編みの少年が姿を現した。署長は苦笑すると、一つ頷く。
「上から圧力かけられてね。なんでも、他の区域から金でもみ消せと言われたらしい。君一体、どこのお坊ちゃまなんだい」
「えっ? ええ? お坊ちゃん!? ユーリューくんが!?」
「チャイナ村のしがないお坊ちゃんだよ」
「何処だよそれ! 絶対嘘でしょ!」
「いい男には秘密があるものだから、内緒だよ」
ぱちん、と可愛らしくウインク一つ。
「まぁ、冗談はこれくらいにして――お兄さんたちの為に答えておくと、傭兵団が脅しにかかったんだろうね。あそこ、世界都市一の犯罪組織だから」
「とうとう犯罪組織と認めたか、これは面白い」
署長は豪快に笑った。が、菖蒲は笑っていられそうもない。
「戻るの? 傭兵団に」
「どうしようかなぁー」
「…………だめだよ。戻っちゃだめだ」
「なんで?」
「な、なんでって。……君なら絶対、料理人になれるし。もっと別の道を探しなよ!」
「料理人になんかならないよ」
「なんでもいいんだよ。傭兵団に戻らないなら、僕が応援する。絶対君なら、きっと」
「うん。じゃあ、俺が一番制服の似合うところに就職するね」
「……制服?」
にっこり。
「ショーブが褒めてくれたの、案外うれしかったんだ」
似合うんでしょ? とイケメンフル活用で微笑まれ。
「え……? ってかいま、名前……」
「まさか、なれないなんて言わないよね? ショーブ」
声がマジトーンだった。久しぶりに聞いた脅し声だ。署長に『えっ、お前何言ったの』と視線で刺され。弁解する暇なく、ユーリューは署長にある提案をした。
[D:10024]
「おいクソガキ、何コスプレしてんでィ」
「コスプレじゃないよお侍さん」
「コスプレだろーが、チャイナ服に魔改造されてんだろーが制服が」
ムツキがあきれ顔でそういったが、少年は気にしていないようだった。「あ、路駐車はっけーん」と、かくれんぼでもあるまいに陽気に言って、あっさりと逃げてしまう。
「勤務二日目にして規律違反たァふてぇ野郎だ。こういうのは、ちゃんと朝来るまでに絞めときやしょうぜお兄さん」
「いや、知らないよ。気が付いたらチャイナ服だったんだよこの子の制服」
「全く、菖ちゃんは女子供に甘すぎでさァ。わかりやした、じゃあ菖ちゃんはアメ、俺はムチの教育方針で行きましょう」
「それお前が喧嘩したいだけだろ……やめとけ」
日差しが強い。もうすぐ夏に入るのか、制服でいるには少しキツい季節になってきた。制服の袖を捲る菖蒲と、上着を脱ぐムツキ。
「睦月も終わりですねィ……」
「そうだね、お前の季節も終わりだ」
「これからの季節は暑くてたまりやせんぜ……あーやだやだ。なんで俺たちが駐車違反の取り締まりなんて」
「しょうがないだろ……署長に渡された『玉緑警察官計画』の中身、一週間駐車違反取り締まりって書いてあったんだ……お前の父さんのせいだからな……」
「……まさかあのガキが警察官になりたいって言い出すとは……」
「僕はうれしいけどね」
暴力以外に生きることを見つけたようで。それこそが菖蒲の目標だったのだから、成功だろう。普通に働くユーリューを、まさか間近で見られるとは思っていなかったが。
「ま、菖ちゃんの仕事がうまくいったってことか」
「うん」
「教育係担当もあんたのままだし、父ちゃんに上手く押し付けられた感満載ですがねィ」
「ははは……。あ、でもお前を巻き込んでるのは申し訳ないし、署長に言えば外して貰えると思うよ。この担当」
「……別に。クソガキが出て行ってから、傭兵団も腑抜けばっかりでしてねェ。弱いやつ膾にしてもつまんねぇや」
「ここ、平和を喜ぶところだと思うんだけど」
「すいやせんねェ、物騒で。ま、もう一人物騒なガキ受け持てるくらいなら平気でしょうよ」
ふぁぁ、と欠伸をする友人。
手に持っていた冷たいコーヒー缶を、首に押し付けてやった。
「つべたっ」
「あはは、ひっどい声だ」
「何すんでぃ……」
「はいはい、キレるなよ。それ、奢ってやるから」
焼きそばパンと牛乳のお返し。
そう言って、菖蒲は日差しの下に戻っていった。向こうでリューユーが、チンピラ(路駐違反者らしい)に絡まれているのを仲裁するつもりだろう。
「おいおい、コーヒーじゃ間尺に合いませんぜ。あとでハンバーガーの一つや二つ奢ってもらうにきまってまさァ」
まだムツキは木陰から出ない。
見慣れない制服を着て、ゆらゆらと三つ編みを揺らす少年。なるほど、親友の言う通りだ。
戦っているときと同じくらい、目が輝いているじゃあないか。
居場所を取られたようで、どこか妬ける気もするが。それ以上に、子供が喜ぶ姿を嫌がる大人なんているものか。存分に喜べよ、少年。
なんて。
表情の変わらないまま、ムツキはぼんやりと、道路に立つ陽炎を見つめた。
「……あつい」
ふと気づけば、ビル群の隙間から、入道雲が夏を連れてきていた。貰ったコーヒー缶に頬を寄せれば、ひんやりとして気持ちがよかった。