一度目は深夜だ。
社畜としてデスマーチを終え、一人寂しく帰路についていた忍。近道がしたくてマンホールを探したが見当たらず、それならば地上の方の近道をと思って、普段は足を踏み入れないリア充の巣窟――ホテル街に入り込んだときのことだった。
ムツキが、ふらりとホテルから出てきたのを見たのは。
傍らには女を連れていた。ムツキの目は他人に接するときのそれで、ああ行きずりということか死ねイケメン、と忍は呪詛を送ってそれを見送った。
そういえば九時ごろ見たニュースでは、彼はついさっきまで大捕り物をしていたはずなのだが。体力があってよろしいことだ土に還れイケメン。
思ったのはそれだけだった。
好きな人が他の女とホテルから出てきた……マジ病み……とかそういうこともない。それが許されるのはうら若き乙女のみであり、男の自分が、ましてや人間でもない自分が、思っていいことではなかったから。
二度目は真昼間。
今日も飽きずに大捕り物の第三区警察と、それを取材させられていた忍という状況。
ニンジャマンという裏設定(というかこっちが本当の姿だと思う)を持つ忍にとって、犯罪者の攻撃なんてどうということはない。ヒラヒラかわしつつ良いアングルでスナップをキメる。こんなことを小一時間繰り返すうちに、捕り物は終了した。
その時だ。
ムツキの目を見たのは。
完全にいかれてやがるぜ、なんて茶化したら殺されるのだろうと察しがつくほど、危ない目をしていた。触らないほうがいいなこれ、と誰もがわかっているようで、ムツキに近づかないようにしている隊員たちが目視できる。
忍には分らなかったが、人は殺しすぎると『ハイになる』らしい。あとでムツキ本人から聞いたのだから間違いない。
「うわー、近づきたくないでござる」
まぁ近づく気もサラサラないが。
そう思って目を逸らしたが、ムツキはじっとこちらを見ていた。
おいおいまじか、メンチ切られてるでござるやだー、なんて忍は脳内でつぶやきつつ、そっとその場を後にした。
三度目はその日の夜。
何を言ってるかわからねーと思うが、俺はこいつに抱かれてしまったぜ! ホモとか菖蒲ガチ勢とかそんなものじゃない、もっと恐ろしいものの鱗片を見たぜ……(うろ覚え)
とまぁ。
冗談めかしてみたものの、この男に組み敷かれてる状況に変化/zeroである。
「悪いですが、ちょいと声は抑えてもらいまさァ」
「ちょっ、サド趣味でござるか」
「いや全く。俺ァ女には毎回こうして貰ってるんで、あんたにも適用するつもりってだけで」
ムツキはあっけらかんとして、口輪を用意していた。別にSMプレイとかそういうあれではなく、本当に警察や医療現場で使われる魔法道具の一つだった。叫び声が自身の恐怖を助長するという学説に基づき開発された、犯罪者と患者の防衛機制に優しいアイテム。
何を考えているのかわかりづらい真顔男だったが、今は輪をかけてわかりづらい。
「他人の喘ぎ声なんて聞きたくもねェだけでさァ。他意はねェんで」
「はぁ」
人の好みはそれぞれあるように、嫌いなものもそれぞれということでよろしいか。
しぶしぶ患者のごとくそれを自ら装着していると、ムツキが隣で何か詠唱していた。それが何の魔法か、忍には見当もつかなかった。
ただそれを呟いたあと、彼の目が夢見る乙女も顔負けの、美しい輝きをたたえ始めたことだけは記しておこう。
口輪を付けた男にそっと触れる指先が、急に優しくなったことも。
*
「まさか了承してもらえるとは思いませんでしたねェ」
にこりともしない仏頂面で、ムツキは忍を見下ろしていた。忍は身動き一つ取れず、枕に突っ伏せたままその言葉を聞き流していた。
「もしや俺にお熱ですかィ?」
「んなわけないでござるよ野武士が」
「そりゃよかった」
少し安堵した声音。
ああ、今回も行きずりという訳か、と頭の中で毒づく。苛立っている自分がいることを信じたくなかったが、シーツを握りしめた指は痛いほど手のひらに食い込んでいた。
でも、そんな様子を気取られたくはなくて、忍は頭の冷静な部分で軽口を喉からひねり出した。
「にしても、ムツキ殿は男も女もいけるクチとは驚いた。こんなフツメンまで毒牙にかけてくるとは、世も末でござる」
「るせェ。女はともかく、男はだれかれ構わずひっかけたりしねェよ」
期待の炎が、かすかに胸に宿った自分が情けない。
忍を選んだ理由は、分かりすぎるくらいに解っていた。
「戦った後だったから、手短に済ませたかっただけでィ。女は抱いた後もねちねち迫ってくるからいけねェ」
「本当にそれだけでござるかぁ?」
「なんでィそのうざいしゃべり方。それ以外に理由っつったら、俺より背が低いのと、変に気が強くないのと……」
過去にムツキが連れていた相手を思い浮かべる。
自分が見かけた中で男はいなかったが、女なら複数覚えていた。
黒髪ショート、背丈はおなごにしては高かった。下手をすれば忍と同じか少し下程度。やたらと初心そうな、愛らしい子が多かった。
自分とその子たちでは、共通点といったら身長くらいだ。
「あとアレでさァ、こなれた顔してるやつァ大体面倒でいけやせん。女は特に」
あれやこれやと、思ってもいないだろう条件を挙げてくる男に、発破をかけるつもりで、忍は呟いた。
「菖蒲殿とすれば話が早いのに」
あからさまに顔を引きつらせるムツキ。当たりだった。
ぶっちゃけ言ってしまうと、この男が好きな相手くらい解っていた。というか、これとある程度懇意にしている者で、解らないものなど居ないだろう。
黒髪ショート。
忍と似た背の丈。
愛らしい風貌、というよりも、菖蒲殿と似た風貌。
違う女と歩いている姿を見れば見るだけ、より鮮明に、絶望感が増していた。あの子たちと同じ立ち位置を望めば、間違いなく、彼の思い人のうつしみとされることが分かり切っていた。
「存外ムツキ殿はビビりであるなぁ」
「……るせェ」
機嫌を損ねたというより、動揺で掠れた声。
急に馬鹿らしくなって、忍は更に言葉を重ねた。
「てっきりもうお付き合いしているのかと思っていたでござる」
「んなわけねぇだろ。あいつ、普段から男との婚約を嫌がってるんだぞ……言える訳ねェでさァ」
桜良という少年のことだろうか。あれも嫌がっているというよりかは、戸惑って逃げているという具合だが。
いや、ムツキの方も解っていて、いつか結婚してしまうのだと二の足を踏んでいるのかもしれない。だからと言ってそこに付け込むほど、忍は恋愛上手ではなかった。
ただ、飄々としているあの青年が、動かすことのできるだろう状況で身を焦がしているのを、いら立ちとともに見つめていた。
「それに、んなことして嫌われたら……」
「夜に出歩いて遊んでいる方が、ああいうタイプには嫌われると思うが」
「俺が夜遊びしてることくらい、昔から知ってやすから。むしろ戦った後、菖ちゃんといるほうが危ねェ……何するか分かったもんじゃねェでさァ」
人間はたまに感情の発露が止められなくなるとも聞くから、なんとなくは分かった。忍も突発的に涙が出ることくらいはあるけれど、自身が制御不能なほどに突き上げる感情というものは、おそらくプログラミングされていないはず。
しかしこの男もなかなか健気な一面があるものだ。
好きな人に迷惑をかけないために、嫌われる危険性のある行動で感情の制御をしようだなんて。
まるで自分が報われることを計算に入れないあたりが、今の忍とぴったり一致していた。
「片思いの野郎こそ、みじめなもんはありやせんねェ」
確かに。
寂しそうな顔をする青年にそういってやりたかったけど、余計なことは言わなかった。
ともすれば、自分もみじめになってしまうから。
それから、大捕り物の終わった後は、三分の一程度の確率でムツキにホテルへと連れ込まれる羽目になっていた。
菖蒲殿とほぼ同じ背丈という、ただそれだけの理由だった。だが彼の呟いた魔法――魅了魔法で、忍は彼の思い人へとなることができたのだ。
曰く、目の前の人間が、指定したものに見える魔法。
彼はこれで、菖蒲殿の影を映すのだ。忍は声を一つも出さずにしているだけで、彼の理想と成り得た。
幸せといえば幸せだ。
ただたまに、切なげな顔で『菖蒲』と呼ばれることを除けば。
ムツキは極力、情事の時に名を呼ばないよう、何も言わないようにしていただけあって、心の底から零れる言葉は、あまりにも甘やかで残酷だった。
触れる指も流れる汗も、全部これは菖蒲へ向けられるはずだったもの。けれど、今だけはこれは、忍のものだ。
結局あの女の子たちの気持ちがわかりすぎて、同じ立場を望んでしまっていて、いっそ吐き気がした。
「ねぇ、ムツキ! どうしたんだよ!」
その声が聞こえたのは、奇しくも忍が取材で第三区警察署に足を踏み入れていたときだった。
ばたばたと忙しなくかけていく警官たち。けが人、返り血を浴びた警官が、廊下を幾度も往来している中、場違い甚だしい記者たちは、手持ちぶさたで待たされていた。さすがに彼らも、人命がかかっている状況のなかで邪魔をするほど愚かではなかった。
そういう訳で、忍は一人ふらふらと暇をつぶして署内探索をしていた。警官たちの宿舎階に来てしまい、引き返そうとしたときに、冒頭のこのセリフだ。
シャワー室と書かれた部屋から聞こえた声だった。おそらく常人には聞こえない音量だったが、ホムンクルスの自分には拾えてしまった音声。
このまま逃げたほうが、と脳内で警鐘がなるのに、忍はいつの間にかそこに入ってしまっていた。物陰から、そっとその場を覗く。
「ね、ねぇ……何か言って……」
おそらく血を流そうと思って流したのだろうシャワーは、二人まとめて着衣のまま、彼らを濡らしていた。
壁に押し付けられた菖蒲は、様子のおかしいムツキを宥めるかのように声をかけている。ムツキはというと、色素の薄い髪から、涙のようなしずくと血液をぽたぽたと落として、唇の触れそうな距離で菖蒲の顔を見つめていた。
常日頃から『菖蒲に嫌われるのが嫌だ』と言っていたのに。
ああ、ここで彼の気遣いも潰えたか、と。どこかうれしく思ってしまう自分を殴りたい。
「やだ、ちょっと、っふぁ」
唇が重なりあった。こんな場所でこんなことをされれば、相手が何を思っているかくらい分かるのだろう。菖蒲は顔を真っ赤にして、自分に迫っている男の顔を凝視している。
かつて言っていた通り、もう抑えが効かないのか、ムツキは夢中で菖蒲の咥内を荒らしていた。シャワーの水音ではない音が聞こえてくるようになって、菖蒲もとうとう目を閉じた。
あ、これはだめだ、と、頭のどこかが理解した。
腰が抜けたようにへたり込みそうになった菖蒲と、それを腕で支えて口づけ続けるムツキ。菖蒲は抵抗も見せず、ムツキの短い制服を握りしめて縋っていた。
――まるで恋人同士だ。
「……菖ちゃん」
ようやくムツキが言葉を発した。
あからさまに戸惑っている声だった。自分のやってしまったことに対してか、彼の思っていた反応と違う、菖蒲の様子のせいか。
「……あとでいくらでも嫌っていい、だから……」
「……抱かせろってこと?」
なんと、菖蒲にしては露骨な言葉だった。ムツキは視線を彷徨わせたが、それは肯定だった。
「好きになってすいやせん……でも……」
「ね、待って。それって僕の意思は無視するってことだよね」
「……ッ!?」
べちゃ、と濡れた衣服どうしがぶつかり合う音がした。
菖蒲の腕が、ムツキの胴へと回されていた。
「意地悪だよ、お前は」
「しょ、菖ちゃん?」
「どうして僕は、ムツキを好きになっちゃいけないの?」
「え」
僕もお前が すきだよ。
小悪魔的に、しかして優しい兄のように、あるいは恋人のように。
そう囁いた菖蒲に、今度はムツキの目が見開かれた。ぼろ、と、今度こそ本当の涙がしたたり落ちる。菖蒲が優しくそれを拭う。再びムツキが口づける。
ゆっくりと二人の体が縺れ合う様子に、目が離せなかった。
本当は今にも目を背けたい光景のはずなのに。これもまた自分の防衛本能なのか。
あきらめろと、本能がそう告げているような、そのためにこの光景を見せつけられているとしか思えなくて。
次第に蕩ける菖蒲の唇から、甘い声が零れていく。
「あ、ぅ……んっ」
「菖蒲、」
きつく噛まれた唇に触れ、ムツキは幸せそうに微笑み、
「声、聞かせてくだせェ」
「で、でも……恥ずかし……あっ、あぁ!」
はしたない声になっても、彼は嬉しそうだった。
「菖ちゃんの声が聞きたかった、――ずっと」
それは『好き』や『愛している』よりも、決定的な言葉だった。
忍は今度こそ、この場を離れることができた。どうやらやっと心のほうもついてきてくれて、あきらめたようだった。