「死ぬ寸前でも拷問はできます」
菖蒲の靴がすっと宙に浮いた。その顔色はひどく悪い。それでも菖蒲は、その足を男の傷口に当てた。絞り出すような叫び声とともに、床にどろどろと血液が広がっていく。風穴の開いた男の肩から、ミシミシと嫌な音が立っていた。
「――言え!」
黒くて地味な、特徴のない靴が、さらにどす黒い染みを付けていく。
「名前だ! あなたを雇った男の名前は!」
「ぐあぁぁああぁあ!」
「言うんだ!」
ひぐ、と男の喉からひきつった音が漏れた。
菖蒲がさらに力を籠めようとした直前に、
「…アーティッッ、……ホリゾン・モリアーティーーー!!!」
「……!」
ほりぞん、と菖蒲が場違いなほど拙い発音でそう呟くと、男は事切れた様に白目を剥いて気絶した。……死んではいない、まだ。
治癒魔法は高度で、菖蒲には使えない。だから、彼が気絶したのを確認し、その傷をふさぐ魔法だけを仕掛けた。失血量だとか、そもそもこの男の持病だとか、様々な死の要因は彼に付きまとっている。生き残れるかは『運』次第ということだ。……彼の行った残酷なゲームのように。
ため息をついて、男の肩から足を退けた。血液の纏わりついた靴底は、一歩進むのも不快にさせる。それでも菖蒲は何とか我慢して、銃弾の飛び込んできた窓に近寄った。
窓はひび割れていて、破片が床に散らばっている。そして、反対側の棟の窓――しかもかなりの距離だ――にも、小さなひびが入っていた。
*
建物から出ると、すでに警察官がKEEP OUTと書かれたテープを張り巡らせていた。救急車も呼ばれており、ふらふらと出てきた菖蒲に救急隊員が駆け寄ってくる。
大丈夫です、と手を振った菖蒲。しかし、横からやってきた上司のレストレードが「毛布かけてやれ」と指示をしたため、現在肩に温かな毛布を掛けられている状態だ。……別に事件の被害者でもないのに。
「それで、どうして僕に毛布を掛けるんですかね」
「いや、菖蒲もショックを受けたかなぁって」
「大丈夫ですよ、僕だって魔法警察ですし……」
「バカ言え、その血だらけの靴見てたらわかる。いくら何でも、お前がああいうことをやるのは――その、辛かっただろ」
菖蒲のプライドを傷つけぬよう、されど彼がそういう【駆け引き】を最も苦手としていることを知っている故の気遣い。大人の気遣い、というやつに真っ向からあてられるとどうにも弱い。
「ほれ、替えの靴も持ってきてやったからよ。履き替えとけ」
警察の支給品である靴だが、サイズはきちんとあっているものを差し出された。本当によく部下を見ている上司だった。
「警部はお優しいんですね」
「今更気づいたか、坊ちゃん? 今ならホットコーヒー付きだぜ、受け取っとけ」
「ありがとうございます……」
普段、年の近い同僚たちといる分、このやさしさが心地よかった。うっかり泣きそうになる自分を律し、唇の端をそっと上げるだけにとどめた。
「ま、優しいだけじゃないさ。で、お前の推理を聞きたいんだが」
「え? 犯人は今、病院に……」
「違う違う、その犯人を撃った人間についてだよ」
なるほど、そちらか。助太刀してくれたとはいえ、確かに銃刀法違反には当たる。
犯人を撃った人物についての所感。菖蒲はコーヒーをこくりと飲むと、白い息と共に推理を語った。
「……そうですね、あの距離から、たった一発で犯人の肩に銃弾を撃ち込んだ。これから察するに、手が震えていたら絶対に当たりません。だから、撃ったのは銃に慣れている人」
「銃に慣れてる、ねぇ……まさか猟師じゃないだろう?」
ふむ、とレストレード警部が思案げに腕を組む。
「それと、銃弾は僕が薬をあおりかけた最後の一瞬まで飛んできませんでした」
「お前……本当に飲む気だったのか?」
「対薬物魔法は万全にかけたから、大丈夫かなって」
「そんな危ないことをするな。おっさんは心配だぞ、……若いうちは無茶ばっかりするからなぁ」
「ごめんなさい……ほら、でも僕が飲もうとしたモーションから、一つ分かったことがありますよ。ギリギリまで撃とうとしなかった・撃った人間には道徳的な面があるはずです」
「てことは、銃に慣れてるがむやみに使用しない――軍人か、警察官か?」
ますます悩んでうなるレストレード警部をよそに、菖蒲はふとサツキのことを探した。ムツキから預かっている弟君だ、迷子にするわけには――
(――ん?)
なんてことはない、サツキはパトカーの近くで待っていた。
……目が合うと、視線がそらされたが。
(――銃に慣れている、道徳的な、……警察官……)
「おい、おにいさーん? なにぼーっとして」
「……ごめんなさいレストレード警部。今のなしにしてください。やっぱりちょっとショック受けてたみたいだ。耄碌したことを言った」
「は? なしにしろって……」
「道徳的じゃなくて、標準を合わせるのに時間がかかった。そう考えるほうが自然でした、では今日はこれで」
「ちょっと待て、まだ聞きたいことが」
「毛布に包まってるショックを受けた被害者に言いつのらないでください。ね、警部」
「……ったく……」
仕方ない、また明日な。
彼はそれだけ言って、あっさりと菖蒲を解放してくれた。きっと彼にも思うところはあったのだろうが、見逃してくれるらしい。警察官としては宜しくない話だが、レストレードは情に厚いところがあった。
感謝しつつ、いまだ待ちぼうけを食らうサツキのもとへ走る。
「サツキくん」
「……菖蒲サン」
ファー付きのフードが外されると、中からつややかな黒髪と気まずそうな美少年の苦笑いが現れる。
「……さっき誰かに、銃で助けられたんだ」
「そっか」
「一発で犯人だけを撃ち抜いてね、本当にすごいよ」
「そうだな……」
「銃の名手だ。素晴らしいね」
「……うん」
兄譲りの、湖のような色の瞳がきらりと輝いた。
「助けてくれてありがとう、って、言わないとね」
「菖蒲サン……」
おずおずと抱き着いたサツキが、嬉しそうに頬を摺り寄せてくる。懐き始めた飼い犬のようなしぐさに、思わず菖蒲も笑みを浮かべた。
「もう夜中の十一時だしね。眠くなっちゃった?」
「平気です。あの、でもオレ」
きゅるるるぅ……と、かわいらしい音が二人の間で響いた。頬を赤くするサツキは、それ以上に可愛いけれど。
「ふふ。じゃあ、今日はムツキに内緒でデートしよっか?」
「! あのあの、オレ、三区の有名なパスタ屋が気になってたんです! あそこ深夜も営業してるって――!」
「うん、サツキくんの好きなところに行こっか」
「ハイ!」
まとめられた黒髪が、尻尾のように揺れている。まるでご機嫌な子犬のようだ。
微笑ましく後をついていこうとしていたら、そっと手を握られる。なんだかその手はあたたかくて、兄弟って体温まで似るものなのかな、なんて菖蒲は思った。