「菖蒲様!」
 およそ第三区で、僕を様付で呼ぶ酔狂な人などいない。というか、大通りで誰かが「○○様」と呼ばれること自体、この街じゃ非日常で。
 当然、隣を歩いていたムツキは怪訝そうに僕を見た。周りの視線も何対か刺さった気がした。
「ねぇ、菖蒲様でしょ! あたしよあたし!」
 ぐい、と強い力で手を引っ張られ、自分で振り向く前に声の主の方へ視線を向けることになった。
 どこか学生のような未熟さを感じさせる雰囲気、二つ結びのおさげは、本人の性格を表すかのように、元気よく外はねしている。きらきらと擬音でもつけたくなるような、嬉しそうな瞳が僕を見つめていた。
 一方の僕も、彼女の顔を目視すると目を輝かせた。
「――沖じゃないか! 洋服を着ていたから、誰かと思ったよ!」
「ちょっと、どういうことよ菖蒲様! もー、あたしは菖蒲様がたとえ浮浪者の恰好してても女装してても、菖蒲様だ! って、きっとピーンとくるわよ!」
「はは、そんな恰好をする日が来ないといいけど」
「うふふ、でもすごいわ! あたしずっと菖蒲様に会えたらいいなーって思いながら毎日過ごしてたんだけど、まさかお仕事の恰好を見れるなんて! 澄お姉さまは大反対してたけど、あたしはコッソリ菖蒲様の凛々しい警官姿にあこがれてたのよ、絶対お美しいんだわーって! あ、ねぇねぇ写真とっていいかしら? あたしの今のお仕事のおかげで、いつも一眼を持っているの。お隣の同僚さんもどうかしら?」
「お、おう。ちょっと待っておくんなせェ」
 猛烈な勢いで喋りだすお嬢さんに、さすがのムツキも一度ストップをかけたらしい。僕と彼女を交互に見ると、
「まず、お嬢さんはどちら様なんですかィ?」
「――あら、あなた六区のお方? わざわざ三区で随身を雇われるなんて……菖蒲様、タスケを連れていけばよかったのに。あの男、あやめの若様がいねぇなら城勤めもお暇しますって、ほんとに辞めちゃったんだから! すこし薄情だわ。あたしもお姉さまも、ツツジと竜胆丸も寂しいのは同じなのに」
「随身じゃねェ!」
「まぁ、怖い顔」
 タスケそっくりー、とかつての僕の随身……もとい近侍の名前を出してコロコロ笑う沖。どうも自由人と自由人の対話はかみ合わないのか、早速ムツキが苛立った顔で僕の肩を引き寄せた。
「いいかィお嬢さん、俺と菖ちゃんはダチなんでィ! 間違っても、金で雇われてるなんて言われたかねェ!」
「む、ムツキ落ち着いて」
 美人が凄むと恐ろしい。ムツキなんか尚のことだ。沖を怖がらせないようにと、彼の方をなだめすかす。
 沖はきょとん、と目をまん丸にしていた。
 ああ、まずい! こんなところで泣かれたりしたら、修羅場みたいになってしまう!
 おろおろと沖とムツキ双方に手を伸ばして仲介しようとしたけど、それより先に沖が言葉を発した。
「……大変失礼を言ったわ。ごめんね。ううん、でも菖蒲様、あたしは貴方の使用人ですから、あえて言うのだけれど……」
「ああ? どうせ手前も、六区の野郎とつるむなって言うんだろィ? 聞き飽きてんだよそういうのは」
「ああああムツキ待って! そ、そうだよ、三区に居るんだから、僕らは友達でもおかしくなんかないさ。誰も僕らの仲に文句は付けれないし……」
 ムツキが喧嘩を吹っ掛ける前に、僕が彼の言いたいことをすべて代弁する。ムツキは僕が言ったことに幾分か満足したのか、唇を尖らせたが、それ以上は何も言わなかった。
「え? いいえ、そうじゃなくて、このことが桜良様にバレたら、大変だわって言いたいのよ?」
「桜良? あの狂犬クンなら、よく見かけやすがねェ」
「……公認? 桜良様、ここで菖蒲様に咎を作らせておいて、後でお抱えになったときに酷いコトなさるんじゃないかしら……ねぇやっぱり危険だわ、菖蒲様!」
「ま、待って沖。僕とムツキは恋人じゃないよ? それに、僕はただの兄役だから、召し上げられるときの心配なんて要らないからね!?」