「手に負えないのよ……どうにかして頂戴」
 面倒見のいいエイリークがお手上げのポーズをとること自体珍しい。大捕り物が終わった後なのに、帰ってきた警察官たちは何時もよりも生気がなかった。わいわいと騒ぎ立てることなく、ぐったりした様子で各々の部屋に散っていく。
「ええと……ムツキが怪我をしたって話ですよね?」
「そう。まぁ、ちょっと鉛玉が腹をかすった程度だし、本人もスタスタ歩いてたんだけどね……いくらなんでも治療は必要でしょ?」
「そうですね。まさか、治療受けたくないなんてダダこねたり」
「そのまさかよ! 菖ちゃん呼んで来いの一点張りで、服脱ごうともしないの! あいつ、なんか危ない粉でも吸ってんじゃないでしょうね?」
 眉を顰めるエイリークに苦笑する。あれはあれで警察官の自覚はあるので、ありえないジョークとして受け取るのには十分だ。
 とにかく、そんな毒のあるジョークを吐く程度には、女騎士様も参っているという次第だろう。
「じゃあ、僕が行けば解決するかなぁ」
「お願い! 応急処置くらいはしておかないと、あのバカでも傷が化膿するかもだし……」
 バカは風邪をひかないとは言うが、さて。





 医務室の扉を開けると、そこには机に脚を投げ出し、どっかりとソファに座っている素行不良の警察官がひとり。菖蒲を見るなり、でろでろに酔っているような甘えた声を出して名前を呼んだ。
「菖ちゃん〜」
「うわっ……悪化してるわね」
 バカさ具合が、と付け加えるあたりエイリークは容赦ない。そして擬態は完璧であった。……心の中の自分はサンバでも踊りだしたいほどの興奮具合である。ムツ菖キターーー! ともう一人の自分が叫んでいる訳だ。
 そんな女騎士の様子は見えていないのか、菖蒲も若干あきれ顔でムツキの隣へ腰かける。
「ムツキ? どうして治療を受けないんだい」
「俺ァ、菖ちゃん以外に肌ぁ見せねェんでさァ」
「バカなこと言ってないで、さっさと脱ぐ!」
「んー」
 ぎゅうぎゅうと菖蒲に抱き着いて、制服を脱がせて貰おうとするムツキ。菖蒲はさすがに不審に思ったが、妙なところで機嫌を損ねたくはなかった。やりづらい、と苦言を呈しながらも上半身だけ脱がしていく。
 黒い制服では血のにじみ具合もよく分からなかったが、制服を剥ぐと、均整が取れ、がっしりとしている胴回りに、浅くだがえぐられたような形跡があった。あまり出血はしていなかったが、放置しているのは宜しくない。
「ムツキ、痛くないの?」
「痛ェ……ってのはあんまりないですがねェ」
「強がり」
「ほんとでさァ。もうほとんど血も止まってるだろィ?」
「……ムツキ?」
 自分の制服も、少し乱されているのに気づく。こいついつの間に、と菖蒲が驚愕して目を見開いたのは、ムツキの手のひらがするりと自分の背筋を撫でたから。
 その触り方が、あまりにも医務室には相応しくないものだったので。
「……何してるの」
「その気になってくれねェかなァ……って」
 自重しろ、という意味を込めてムツキの目を睨む。しかし想像以上に手遅れな欲情ぶりだった。薄い水色の瞳が、興奮のせいかわずかにギラついていたため、菖蒲の方が圧される始末だ。
 もちろん、この状況で興奮する人間は案外珍しくないのも知っている。生存本能という壮大な話が、菖蒲の頭の片隅でちかちかと光る。
 フリーズした菖蒲をよそに、手のひらがズボンの方にまで降りてきそうだった。慌ててその手を引っ掴むと、ムツキは「何すんでィ」と不満そうな声をあげた。
「こっちの台詞だよ! 治療も受けてないような人が、こんな……」
「もう我慢できねェ」
「我慢しろ」
「いーやーでーいー! なぁ、菖ちゃん……」
 ここぞとばかりに男性フェロモンを振りまくバカをどうしてくれよう。金髪に青の瞳、と女の子が一度はあこがれるカラーリングが、どうしてこうも悪用されているのだろう……。
「だ、だめだよ」
「入れなきゃいいんですかィ?」
 いけしゃあしゃあと。こうなると絶対に引きそうもない。あまりの我儘ぶりにうっかり流されかけたが、ダメだ。せめて消毒液と包帯だけは巻かないと、本当に傷が悪化してしまう。
 今回ばかりは、好きにさせる訳にはいかない。
「……ムツキ。本当にしたいの?」
「したい。絶対してェ」
 すっかり了承を得たとばかりに菖蒲を押し倒そうとしてくるが、なんとか押し返す。そうされると全面に不満な雰囲気を出し始めたが、餌を前にして『待て』を強要されている犬のように、一応言うことを聞くあたりは優しい。
 そんなところが好き、なんて思ってしまう自分は恋愛脳なのか能天気なのか。少し自嘲して、でもムツキを少し喜ばせてあげたい気持ちはあるものだから、
「じゃあ」
 腕を彼の首元に回し、
 吐息を多分に含み、
耳元で、甘ったるく。
「ちょっとだけだよ……」
 自分から、少しかさついた唇にキスをする。こういうのが意外と好きなムツキは、すっかり固まってしまっていた。まったく……と思いながら、彼の咥内に舌を差し込む。ざらついた感触は未だ慣れないし、本当はムツキの方が、何もかも上手なんだけど。
「ん、ふ……」
 ようやく、ムツキの方から動き始める。普段より幾分性急で、やらしい音を立てて舌を吸ってくる。やっぱり自分でするのは恥ずかしいし、彼にこうされるほうが気持ちいい。
 水音の中、かすかに聞こえる、彼の興奮しきった吐息だって、ほんとは大好きだ。もっとしてほしい、してほしい、けど。
(――CODE:sleep [10])
 ともすれば快楽で攫われそうな脳内に、無機質な魔術の呪文を。
 指先にともった熱を、こっそりとムツキの背ににじませれば、ことはすぐだ。
 うっすらと目を開けると、ムツキの長い睫毛がわずかに震えていた。ずるずると下がっていくムツキの頭は、最終的に菖蒲の膝上に落ち着いたようだ。ぐーぐーと寝息を立て、呑気に眠り始めてくれた。……ズボンが未だテントを張っているのは、見なかったことにしてやろう。医師を呼ぶまでに収まればいいが……。
「本当に我儘なんだから……」
 もう一度、こんどは触れるだけのキスをした。
「ちゃんと治してね……それに、部屋じゃないといやだよ?」
 存外綺麗な顔をして眠る恋人が可愛くて、つい甘やかすように声をかけてしまった。やっと、応急処置ができる……
 と、思って。
「……」
 ふと、菖蒲は思い出した。
「……え、え、……エイリーク、先輩……」
 今なら顔から炎魔法が出せる気がした。
 彼女の存在をすっかり忘れていた、……出来ることなら忘れたままの方がマシだったが!
 がたがたと震えながら、とんでもないところを見せてしまった謝罪文句をぐるぐると考え、振り返ると。

 そこで見たものは、床に仰向けになり、祈るように手を組んで安らかに眠っている先輩の姿でした!

「えっ!? せ、先輩! どうしたんですか!?」
「…………しんどい」
「しんどい?!」
「ちょっと待ってね……とりあえず私の顔を思いっきりぶん殴ってくれる? 妄想のしすぎで現実まで妄想が侵食してきたのかも……」
「あ、あああごめんなさい! もしかしてムツキのことが好きとか」
「――やんちゃ攻めは至高。自分が関係なければ」
「え??」
 何やら悟っているようでいて、煩悩に塗れた雰囲気だけは伝わってくる。菖蒲には何を言っているのか理解できなかったが。
「こころしんどい……AEDください……」
「!? だ、誰かー! エイリーク先輩が死にそうなんですー!」

 この後、医師がめちゃくちゃAED持ってきた。