「立って――ムツキさん」
鉄の巨獣から目を逸らさず、ムツキの前に立つ彼。ガンガンと頭を打ち鳴らすような痛みをも忘れ、ムツキはただ、茫然と少年を見ていた。
こんなものに立ち向かうには、彼はあまりにも無力だ。
なぜなら彼は文官で。
なぜなら彼は二区生まれで。
なぜなら彼は、――自分に与えられた枷のはずだから。
「お前……どうして……」
菖蒲から答えをもらうはずだったが、獣の咆哮がそれを掻き消した。ムツキをかばうようにしている彼の背は、ただ一かけらの後悔もない。
「なんで来たんでィ……? お前なんか、戦えるわけ……」
「生きててほしいから」
振り向きもせず、よどみなく言った。
「僕は――どんな人でも生きててほしい」
どこか戦場を知っている目だった。あるいは、死地か。
彼がどういう訳で、こんなところに来ているのか――知りたい。ムツキはただ、それだけを思う。その為にもまずは、やらなければいけないことがある。
言われるがままに刀を握りなおした。
腹に力を。こめかみから滴り落ちる汗をぬぐい、鞘を杖にして起ち上がる。あれほど警察隊を嬲った巨獣を目前にして、不思議なほど気持ちは落ち着いていた。
自分よりもずっとか弱い彼もまた、凪いだ水面のように、静かだった。
【ハッキング操作を確認。攻性障壁を突破】
【――99番、承認します。心臓の弱い方、高齢者、児童は至急使用者から離れてください。繰り返します。99番、承認されました。大変危険を伴いますので――】
建物全体から流れる警告音。
おそらくは世界都市管轄省(システムサイド)からの警告だ。なぜなら99番は、警察官ですら扱うことの許されない最大出力――。
それを承認するという旨のアナウンスと、ハッキングを示唆するアナウンスが入り混じって不協和音を奏でていた。
「■■■■■――!」
急に現れた闖入者に獣は逡巡したのだろうか。ホムンクルスの実験台、あるいは幻想種の成り損ないとはいえ、攻撃されるということだけは理解したのか。
迷いごと振り切るように、前脚が二人めがけて振り下された。
――そも、青年は初めから、迷いなどなかったのに。
「――CODE:stun [99]」
爆発。
灼熱の閃光。
そう呼ぶにふさわしい――魔力の激流。麻痺付与という目的をはるかに凌駕したそれは、雷光と呼ぶべきか。
鉄の巨獣は硬く、ムツキの刃も通さなかった。しかし獣は今、鉄であるがゆえに、――常軌を逸脱した雷を全身に迸らせていた。効果はあまりにも、絶大で。
「■、■■■――■、■……」
いくら構成は魔法が行ったとはいえ、その動力は電気。その体は科学の賜物だった。多すぎる電力供給がもたらす結果は一つ。ショート、だ。急速に動きを鈍らせた巨獣が、力なく地に体を伏せる。己の目の中ににあるコア(主電力機)を、守る動きすらとれないようだった。
「ムツキさん」
まっすぐと、黒い瞳がムツキを見つめる。
ようやく、立てと言われた理由がわかった。
――なぜなら彼は、武器を持たない人だったから。
「お願い。あのコアを……ぶっ壊して……」
……どうやらショートしたのは、巨獣だけではなかったらしい。電気供給が過ぎても、魔力放出が過ぎても、生き物は倒れる。無茶をしすぎだ。
「あんた……ほんとバカでさァ」
おいしいところを全部人に持ってかれると分かっていても、人を助けるためだけに、自分の力を投げ打って。しかも、それを少しも惜しいとは思っていない、満足気な良い顔で気絶してやがると来たものだ。
魔法は何処までも、人の援けにしかなり得ない。
為すべきことは、人の力で為すほかない。
いつか、退屈な授業で、教科書の中で見たような記述。
それをそのまま体現したようなあり方だった。彼はどこまでも白く、戦うすべを持たないひと。
――だからこそ、全身全霊で、この一太刀を貸そう。
*
真っ白な天井が見えた。
ぼんやりとはっきりしない視界の中、どこか懐かしいツンと鼻をつくような清浄なにおいを感じた。ここは――病院? もしくは、医務室?
のそりと熊のように起き上がり、スリッパはないのかときょろきょろ探す。ここは何処なのか、それだけでも理解しなければ――
「はーい菖蒲君、動かないでー」
「わっ!」
ぽん、と肩を軽くたたかれる。振り返れば、さも当然のようにエイリークの姿があった。
「はいそこ、座る」
「え、え?」
「よし、では菖蒲君。目を閉じなさい」
「……? はい……」
言われるがままにベッドに追い返され、訳が分からぬままに目を閉じる。
彼女の言にためらいなく従う、純朴な、おっとりとしたかんばせ。エイリークは知らぬうちにため息をついていた。そして右手を彼の額にかざし、
「デコピンの刑に処します!」
「はうっ!」
ビシィッ! と、そこそこの広さの部屋に音が響いた。突然の衝撃に、黒い瞳がぱちりと瞬く。なんで? と小動物のような視線を向けられて、エイリークは少しむずがゆいような気持ちになった。こういう男性には慣れていない。
「システムサイドにハッキングするなんて……よく脳みそ焼き切れなかったわね? そもそも貴方、警察官の自覚ある?」
世界都市管轄省へのハッキングにより、上限値の99番魔法を放ったことにも驚きだった。が、通常の魔法使いがそれをやれば、指示系統である脳が、攻性障壁(ファイアウォール)で手ひどい攻撃を受けるはずなのだ。
それを上手くかわせるのは、A級ハッカーか。
あるいは……
「え、えっと……父の影響でつい……すみません……」
「お父さん?」
そこまで言って、はっと息をのむ。つい一年前の大火で、彼の父は死んだと聞いていたから。まだ二十歳にもなっていない少年に問いただすのは、やりすぎだったかもしれない。
顔を引きつらせてしまったのだろうか、菖蒲は少し困ったように微笑むと、小さく首を横に振った。気にしないで、ということだろうか。
「……父は魔法研究家でしたから。彼らは、裏を返せば大抵はハッカーなんです。スタンなんて特に、警察にしか権限はないですが……研究家にはすごく便利な魔法ですからね。父は僕にまず、ハッキングのやり方を教えてくれたんです」
「つまり菖蒲くんは、A級ハッカーってこと?」
「僕が? まさか、そんな……」
菖蒲はまた、首を横に振ったけれど。
謙遜、なんだろう。きっと。
じゃなきゃ前提条件として成立しない。彼は今、こうしてエイリークと普通に対話できている。それ以外の人間なら、今頃病院のベッドで集中治療を受けているはずなのだから。
例外として――聖遺物の加護を持たない限りは。
「――あぁ。平気よ、菖蒲君。凄腕ハッカーが見つかったからって、しょっ引きもしないし、こき使いもしないから。今まで通り普通に働いてくれれば結構」
「い、いえ! 本当に違うんです、僕は、ちょっとハッキング技術をかじった程度で……」
「貴方が立派に私と会話してるのが、動かぬ証拠じゃない。……いや待って、まさかとは思うけど……貴方」
彼に聞こえないような声量で呟く。
頑なに否定する彼。エイリークの頭の隅に、ある仮説が浮かび上がってきた。
しかし、これを質問していいものか――。まさに先ほど躊躇った、父の死と密接に関係する話だ。
「……」
「……先輩……?」
なんと言えばいいのだろう。
微妙な静けさが、二人の間を流れてしまった、その時だった。
背後で荒々しく引き戸が音を立てた。と言っても、切羽詰まった空気はなく、ただ手癖悪く、適当にあけ放ったといった様子だが。
「おい、いつまで寝てんでィ」
「あ、ムツキさん」
「やだムツキ君、サボりかしら? 今すぐ追い出すわよ?」
入ってきたのは、問題児の一人だった。エイリークは医務室とムツキ、という凄まじく噛み合わない二つの単語から、すぐにサボりという結論を弾きだした。
が、その当ては外れたらしい。
「別にサボりじゃねェよ。それよりちっと外してくんねェか、センパイ。俺ァ、そっちに用があるんでさァ」
「あら、そうなの?」
妙に声が高くなるエイリークに対し、特に疑いもなく菖蒲は頷いた。
「彼の刀を直すんです」
「え……、む、ムツキ君の刀?」
「ええ。無理を言って、僕が復元魔法をかけているんです」
ムツキの刀たちは、部屋中で酷いことになっていると聞いている。どうも最近、菖蒲とムツキは顔を突き合わせていると思っていたが……そんなことをやっていたらしい。
最初はアレだけ文句を言っていたムツキが、菖蒲と仲良くし始めたのは、先輩としても安心したのだが。
「そういうことなら、分かったわ。後は若い方どうしで……」
「なんでィ、お見合いババァみたいなこと言って」
「うるさいわね!」
実際ちょっと、そういう気持ちが無きにしもあらず。
[D:10024]
「さ、薄緑丸を出して。この調子だと、あと三回で完全に元の姿に戻るはずだから……」
「ちょっと待ちなせェ」
ベッドに腰かけていた菖蒲。そのすぐ隣に、いきなりムツキが腰を下ろした。いつも棒立ちで、早くしろと急かしてばかりだった彼が、こんな近くに来るのも珍しかった。
「前から思ってたんでさァ。てめェは作業速度が遅い」
「えっ!?」
「てめェがもうちょい早く直してたら、あんときに薄緑丸を持って行けてた」
「それは確かに……そうだね。この子なら、鉄でも切れそうだ。ごめんね、ムツキさん」
「……」
「…………どうかした?」
ひどくもどかしそうに、拗ねた子供のように、美青年が唇を尖らせて黙り込んでしまう。菖蒲は何がなんだか分からない、といった様子だった。が、彼には弟でもいたのだろうか? 特に不快感を示すことなく、慣れた様子でムツキに尋ねている。
「……それはそうとして、実は俺ァ、薄緑丸以外にも壊した刀があるんでさァ」
「そうなの? 僕で良かったら、また直すよ。何本あるの?」
すっと、ムツキが指を三つ立てた。
「三本かぁ……この分だと、三か月くらいかかってしまいそうだね」
「違いまさァ」
「え?」
「桁が一個足んねぇ」
「……そ、そっか」
三十本以上刀を揃えるコレクター気質もさるものながら、それをぶっ壊すあたり、オタク的な才能は皆無らしい。
しかし、菖蒲としては……このような素晴らしい刀を放置するなんて不可能だった。三十か月かかろうが、やり遂げてみせよう。そんなやる気に満ちた目をしていた。
「うん。なら、薄緑丸が終わったら、また新しい刀を……」
「……れよ」
「へ?」
何か小さな呟きが聞こえた。菖蒲が薄緑丸をから視線を上げると、隣でムツキがぷるぷる震えていた。……あの巨獣を前にしても、一切の怯えも見せなかった彼が!
しかもこの震え、恐怖ではなく――怒り?
菖蒲がようやくそれに気づいたときには、すでに遅く。
「――だから! ちったァ怒れっつってんでさァ!」
「え、ええ!?」
がっ、と肩を掴まれ、目を丸くする菖蒲。その手から薄緑丸が滑り落ちたが、未だなまくらの領域から出てないそれは、誰も傷つけることなく床に放り出されてしまった。
「何でィ、俺だって魔法くらい使えまさァ! ただ一言、俺にも手伝えって言ってくれりゃあ、それで……!」
「……て、手伝ってくれるの……?」
「ったりめェだろうが!」
「え、えと……でも出来ないって……」
「教えりゃいいだろ、てめェが! 俺に!」
ムツキが子供のように、むきになって言い返してくる。その必死な様子が珍しく、なんだか可愛いとすら思えてしまった。菖蒲は少しだけ笑って、
「好きじゃない人に教わりたくないかなって」
と思い出したように言った。
そういうと彼は、きゅっと眉根を寄せ、
「この……っ! 俺ァ、あんたに刀預けただろ!?」
「そうだね」
「侍の魂を、他人に預けたんですぜィ!? 察してくだせェよ、そのくらい!」
「うん。……なんだか意外だよ。ムツキさん、そんなに僕のこと気にしてたんだね」
「…………あんな無茶する奴と思ったら、手ェ引くに引けなくなっちまったんでィ」
ハッキングのことだろうか、それともムツキを庇ったこと? どちらにせよ、菖蒲の中では、それはごく自然の流れで行った行為だ。ムツキにそこまで気をかけてもらう切っ掛けになるとは、思いもよらなかった。
もちろん、嫌ではない。
「無茶だなんて、あなたの方が毎日してると思うけどなぁ。その結果が、薄緑丸たちのようだし」
「俺ァ良いんでさァ……元から頑丈なつくりしてやすからねェ」
「やっぱり、僕はそんなに頼りないかなぁ……」
遠回しに、六区生まれと二区生まれの違いを訴えられた気がして、菖蒲は悲しそうに眉を下げた。
「頼りねェよ。目ェ離したらすぐ死にそうだし。……でも、俺ァあんたのことすげェ気に入りやしたぜ」
「え?」
「いざって時に、ちゃんと大一番に出れる男は強ェ。自分よりでっけえモンに立ち向かうってのは、脚がすくんで当然でさァ。だけど……そこで目を瞑るだけの奴じゃなかった」
「生きるためなら、目を開いて活路を探すよ。それだけは、最後の瞬間までやめないと思う」
そうしない自分は、許せない。
そういう覚悟を持っている、という旨の決意を語れば、ムツキはとても満足気に太い息を吐いた。
「それが分かっただけで、ダチになりてェ男、くらいには認識を改めますぜィ、俺ァ」
「ダチ……友達……?」
「いや、もうダチにしまさァ。今決めやした」
良いだろィ? と軽快に聞いてくるくせして、少し不安そうに見つめてくるムツキに、菖蒲はなんだかうれしくなってしまう。こんな気持ちは初めてで、なんだか胸のあたりがふわふわする。
物語で読むだけの【友達】との交流。
二区では許されない、様々なことを……彼とならできるのだろうか。例えば二人で出かけたり、夜になるまで遊んだり、……菖蒲が最も、してみたかったことだって。
「……ねぇ、友達になってくれるのなら――一つだけお願いしたいことがあるんだ」
「なんですかィ?」
「あだ名で呼んでみてほしいんだ」