「ねぇ……どう思う、ジーン」
「絶対ワザと」
「だ、だよね……。マイクロフトさんめ……」

何故か菖蒲が一区に来ていることを耳聡く聞きつけたマイクロフトに、『今夜、ジーンくんも連れて食事でもどうかね』と誘われ、帰りの電車に間に合わないとかドレスコードに引っかかるとか、何とか言い訳をしたものの……努力むなしく、菖蒲とジーンは第三区警察の制服から、高級スーツに着替える羽目となった。

そこまでは百万歩譲って良しとしても、だ。

「五長官、ここで今日は食事会だったのかぁ……なんで僕らにも声をかけるかなぁ……」
「ジェナ長官は居ないけどね。あの人普段何食べてるんだろう」
「君はマイペースだね、ジーン……」
「そう? あ、食パンは食べてるよね、ジェナ長官」

思い出したかのように、ジーンが昼間の遭遇について言及した。思えば今日は、人に食べ物を奢ってもらってばっかりだ。

マイクロフトに連れてきてもらったのは、三ツ星レストランとして名をはせる有名店。菖蒲とジーンは、なるべく隅の方の席を取ってもそもそと食事をとっていた。一方、今回の食事会を提案してきたマイクロフトはというと、今は五長官の方のテーブルへ行ってご歓談中だ。

「食後のデザートが恋しいな。ここのアイス絶品らしいよ」
「こんな時まで甘いものって……チャーリー長官に頂いたチョコレートがあるんだから、少しは我慢できないの?」
「アイスとチョコレートって、全然違うよ。それとこれとは話が別」
「はは、ジーンさんって相変わらず甘いものに目がないんですね」
「「!」」

驚いて二人同時に振り返ると、テーブルの前に立っていたのは、昼間会った五長官が一人・チャーリーであった。

「あ、敬礼とか良いから。今は仕事じゃなくプライベートだし。むしろ君たち、マイクロフト殿のお客さんなんだからね」
「はぁ……じゃあ、実家にいるときみたいにチャーリーさんで良いですかね」
「もちろん。あ、菖蒲さんもぜひ、チャーリーさんって呼んでくれると嬉しいな」
「血縁でもありませんし……よろしいのでしょうか」
「マイクロフト長官のことはさん付けしてるんだし、良いでしょ別に」

ジーンがさらりとそう言った。すると、チャーリーは左目を丸くして菖蒲の方を見てくる。

「マイクロフト殿と仲が良い人なんて、初めて見たよ」
「誤解です。僕がマイクロフト長官の弟さんと知り合いでして、その絡みでお声がけくださるだけですよ」
「弟さんと。確かにマイクロフト殿は、弟さんの話をよくしてるね」

いつまでもチャーリーを立たせたまま話すのは申し訳ないと思った二人が席を立とうとすると、彼はそれを片手で制し、「隣いいかな」とジーンに聞いた。ちょうどテーブルは四人掛けであったから、ジーンは「どうぞ」という言葉と共に手前の椅子を引いた。

「今はマイクロフト長官と来儀長官が相談事の最中らしくてね。一緒の席にいても迷惑だろうし……それに、せっかくなら君たちと話したいかなって思ったんだ」

チャーリーはそう言いながら、ウェイトレスを呼び止めてバーボンを注文した。グラス三つ、と言いながら。

「ちなみに、チョコレートとウィスキーはよく合うんだ。ここにショコラ系統のお菓子がないのが残念」
「チャーリー長官も、」
「ぜひ、長官はなしで。菖蒲さん」
「――失礼しました。チャーリーさん……も、チョコレートがお好きなんですね。ジーンも根っからの甘党ですし」
「僕らの家系が、もしかすると全体的に甘党ぞろいなのかもね。どう思う、ジーンさん」
「言われてみれば……うちの家族は全員甘いもの好きですね」

五長官の話もそこそこに聞き流しつつ、順調に皿を食べ進めるジーンが、ふと気づいたように手を止めた。

「そういえば、ジェナ長官とラフィー長官はどうしたんですか」

向こうの――マイクロフトと、五長官・来儀がいるテーブルは五人掛けだが、その二人しか座っていない。チャーリーがこちらのテーブルに避難してきたとすれば、残り二人はいずこへ。

「ジェナ長官は、夕食は必ずお家で召し上がるんだ。ラフィー殿は……多分、食事より酒の方が好きだから、バーの方に行ったのかな?」

あそこ、喫煙もOKだから煙くさくて……とチャーリーが苦笑しながらそう言うと、ジーンが突然立ち上がった。ズボンのポケットをごそごそして、何か探しているようだ。

「ジーン?」
「俺、ちょっとラフィー長官と話してくる」
「いやいや……嘘つけ、絶対タバコ吸いに行くんでしょ。チャーリーさんがせっかく来てくださったのに、そんな」
「二十分くらいで戻るよ」

そう言うと、ジーンはふらりと歩いて出ていってしまった。残された菖蒲はというと、チャーリーが機嫌を損ねていないかひやひやしながら様子を窺った……が。

「――ふふ。昔から変わりないね、ジーンさんは」

チャーリーは心底可笑しそうに口元を抑えて笑っていた。普通怒るところだろうに、気の良い人だな……と菖蒲が呆気に取られていると、丁度ジーンと入れ違いにウェイトレスがやってきた。オシャレなラベルの貼られたバーボンのボトルと三つのグラスが、テーブルをあっという間に一杯にした。

「君に恥ずかしいところ見せたくなくて、逃げたんだな」
「え? 恥ずかしいところ?」

いつもクール……を通り越して仏頂面のジーンと、恥ずかしいところ、というワードがいまいち結び付かない。だがチャーリーにはよく結び付くものらしく、ちょっと俗っぽく頬杖をついて笑った。

「あいつ、酔うと結構恥ずかしい感じになるの」



バーと言われて足を運んだのに、ジーンが想像していたものとは違った。

部屋の作りや酒が並んでいるカウンターなどは、まあどこにでもあるバーの構造だったが……客層に問題がある。

「……何か、私に御用でも?」
「あー……タバコを吸いに来ただけです」
「そうか」

部屋の中には、ラフィー長官しかいなかった。バーテンダーは……と周囲を見回すが、よく見るとカウンターにはタッチパネルが備え付けてあり、ただ押すだけで酒が出る仕組みになっている。……密談にはもってこいの部屋という訳だ。だから五長官はここで会食をするのだろうか、とジーンは一瞬疑ったが、それ以上考えるのはやめた。関係ないからだ。

(……とはいえ、後から入ってきておいて、ガン無視してタバコを吸うのも問題があるか)

ジーンはいったんタバコケースをポケットに仕舞い、ラフィーの隣に立った。

「……灰皿って、ここにあります?」
「ああ。これだ」

ラフィーは無造作に左手を伸ばすと、すぐ近くに置いてあった灰皿をジーンの方にスライドさせた。中を覗き込むと、まだ新しい煙草の灰が残っている。

「ラフィー殿も、お煙草を吸われるんですね」
「……まあ、そうだね。たばこは好きだよ。私は健康志向とは無縁の人間でね」
「俺もです。煙草も甘いものの食べ過ぎも、体に悪いからほどほどにしろって、よく親しい人間に言われます」

さっきも菖蒲に怒られたな、と思い出す。彼は煙草を吸わないのだろうか。自分は、二区や八区――来儀殿の出身区だ――で出回っている煙管に興味があるのだが。

ライターで煙草に火を着け、煙を深く吸い込む。ふと横を見ると、ラフィーは特に感情もなくジーンの一連の動作をみつめていた。……昼間とは少し、印象が違う。

「……ラフィー殿って、菖蒲といつ会ったんですか」
「その質問に、私が答える意味は?」
「ないですね。でも……昼間、貴方菖蒲を見ると感情を露わにして怒ってたから――。今の貴方とは、正反対だなって」
「……苦手な女に似ているんだ、あの男。それだけだよ」
「なるほど」

苦手な女ねぇ……。昔の恋人とか、はたまた奥さんとか、そういう話だろうか? そもそもラフィーはまだ若いし、結婚しているという話も聞かない。となれば別れた恋人か。あと女と言えば……きょうだいか、母親か。その辺りしか思い当たらない。

「でも、似ているだけであの態度は不憫ですねぇ……。貴方みたいなお偉いに突っかかれたら、我々は恐縮してしまう」
「……ああいう人間は、案外図太いものだよ。証拠に、あの男は私に会った時も笑っただろう、私に向かって」

確かに。挨拶した時は社交辞令で完璧な笑顔を見せたし、ジーンがラフィー長官の話題を出したときも、苦々しくながらも笑っていた。ジーンもよく人に神経が図太いと言われるが、菖蒲も似たようなものかもしれない。

「不愉快だがね。彼は私とそこそこ同じ人生を歩んだはずなのに――ああも明るく振舞われると、イライラしてならないんだよ」
「同じ人生……?」

まさかラフィーも火事で片親を亡くしたのか、と思わずラフィーの目を見た。自分と同じ青い瞳は、不穏なぎらつき方をしながらこちらを射抜いてくる。

「そこそこ、と言っただろう。私は親を奪われたのではなく、親に捨てられたのさ」
「…………」

余りの事に、声が出ない。

五長官は完璧な人間の集まりであるはずだ。自分の親戚であるチャーリーは確かに顔の右半分に傷跡を残しているが、元は極めて整った顔立ちである。自分とは違い、性格も良いし家柄も良い。

マイクロフトも、来儀とかいう者も、見目麗しく、賢く、力がある。ラフィーも同じだった。

同じと思っていたが――彼はどうしてこんなに、劣等感の塊のような発言を。思想を、持っているのだろう。


「ああ……話しすぎてしまったな。どうも、酔っているらしい。君も飲んで、今の話は忘れろ」
「え。いや、俺は酒は苦手……」
「飲め」
「……はい」

菖蒲の親しい友人と思われているのだろうか、先ほどから微妙に刺々しい視線が痛かった。

(…………、まあ、これを飲めば、ラフィー長官の望み通りになると思うけどさ……)

そう思いつつ、ジーンは回されてきたグラスを一思いに煽る。後のことは、もう知らない。次に目覚めるのは間違いなく、朝だ。酷い二日酔いと共に、一区の朝日を拝むとしよう。