チャーリーと楽しく歓談しつつ酒を飲み交わしていたところに、いきなりラフィーに名前を叫ばれた。慌ててバーへ行ったところ、そこにいたのは泥酔しまくってカウンターに突っ伏せているジーンであった。

いつものクールな美貌はどこへやら、へにゃへにゃの笑顔を浮かべてウィスキーの瓶に頬ずりしている。菖蒲が慌てて起こそうとしたが、肩にもたれ掛かったきり動かなくなってしまった。

「お、起きてよジーン! 帰りの電車に意地でも乗るって言ってたの君だろ!」
「むにゃ……はは! 菖蒲、おまえアレだよね……アレ……」
「だ、だめだ……思った以上に酔いまくってる……!」

お前とかアレしか言葉が出てこない知能低下っぷりである。チャーリーはやれやれと言った顔でラフィーに「何杯飲ませた?」と問いかけていた。ちなみにラフィーの答えは「二杯だけだぞ……」という辟易したものだった。

いよいよこれは三区に戻れそうもない。どうにかしてホテルを取るか、もしくはジーンの妹に連絡を取らねばならないだろう。さてどうする……と菖蒲がジーンの身体を支えながら考えていると、ふいに知らない声が後ろから聞こえてきた。

「おや……。俺がマイクロフト長官と楽しくない仕事の話をしている間に、面白いことが起きていますね?」

バーの入り口で涼やかに笑ってみせたのは、長髪を一つ束に括り、黒のチャイナ服を身にまとった美丈夫であった。普段ユーリューのものを見慣れている菖蒲には、その服がとても意匠を凝らした高級なものであることは一発で分かった。

そして彼は、その高級な服に見合う、高潔な雰囲気を持っていることも。

「来儀殿。マイクロフト殿はどうなされたんだ?」
「ああ……お電話だとか言って、席を立たれましたよ。ところで、俺はまだあなた方とご挨拶をしていませんでしたね」

とはいえ、お一人は夢の中で御座いますが……と優美に微笑んだ来儀は、ゆっくりと菖蒲とジーンの方に近寄ってくる。敬礼したくても腕の中ですやすや眠っているジーンのせいでそれもままならず、「ご無礼をお許しください」と目を伏せて非礼をわびた。

すると来儀は何が気に入ったのか、するりと袖から細身の扇を取り出す。ジーンの肩に埋もれかけていた菖蒲の顔を良く見せろとばかりに、その扇で顎を掬った。

「貴方は……我が同胞でしょうか? 八区民(私たち)とよく似た顔立ちだ」
「いえ……僕は二区の出です」
「ああ。二区の方ですか。これは失礼。名はなんと?」
「菖蒲、と申します」
「ほう。俺たちのように、漢字で名を書かれるのですよね。後で、漢字を書いて見せてください。車内では少々揺れますが……」
「えっ」

車内? 来儀殿も今日の終電で帰省か何かするのだろうか……と菖蒲がきょとんと来儀の美貌を見上げていると、わざとらしい咳払いが部屋に響いた。

「ごほん。……あのですね、来儀殿。一応、僕らの目があることをお忘れなく……」
「マイクロフト殿といい来儀殿といい、少年趣味でもあるのか? そんな子供のような男を選ぶとは……いや、それはそうか……だれも大男は好まないな」
「ラフィー殿まで! ええい、ここは良識ある大人として僕が言いますけれどね……! 出会って間もない、しかもそんな若い子を、ホテルに連れ込むような真似は……」
「野暮ですね、チャーリー殿もラフィー殿も。俺はただ、彼とご友人が……一区の寒空に放り出されては可哀そうに思うので、ホテルへお送りするだけで御座いますよ?」

そう言いながら、長い指先が菖蒲の頬から首筋をすすす……と伝っていく。何だかくすぐったくて、菖蒲は抱きとめていたジーンの身体に少し力を込めてしまった。ジーンは身じろぎするばかりで、特に起きる様子はない。

「まぁ……二区の子は基本、区外に出てこないので……少しばかり、興味が湧くのは仕方ありませんね?」
「出稼ぎしに行く人なんていませんもんね! 八区の方は独特な街を各地に形成してらっしゃいますから、よくお見掛けするんですが……」
「ええそうですね。貴方は希少価値のある、大変可愛いらしい花です。ああ、……それにしても、やはり八区でも見慣れた黒い瞳と黒い髪の方が、俺の身体にはよく馴染みそうですよね……ふふ」
「……? そうですね。来儀殿の黒髪、大変お美しいですよね。染めるなんて勿体ないです」

「話噛み合ってなさすぎる! というか駄目だ! 来儀殿このままじゃ本当に持ち帰ってしまいそうだ! どうにかしなよラフィー殿!」
「あの色欲魔人を私が止められる訳ないだろう! というより、マイクロフト殿の飼い猫か何かじゃないのか、アレは!」
「来儀殿が、マイクロフト殿に対して気を遣うとでも!?」
「思わない。逆もまたしかりだ。腹黒狸と腹黒狐だからな、あいつ等は……」

「――やれやれ、その子は別に私の飼い猫でもないし、私が腹黒狸な訳でもない。そして来儀殿、ホテルの手配は必要ないよ。そっちの金髪の泥酔青年――ジーンくんのご実家に連絡をとったからね」

いつの間にか、スマホ片手にマイクロフトは呆れ顔でその場の喧騒を見据えていた。電話の為に席を立ったというのは、ジーンの妹に連絡を取る為だったのだろう。

来儀は無言でマイクロフトの方をじろりと見やって、すっと目を細めた。ほら腹黒狐じゃないか、とばかりにラフィーが肩を竦めているのを、チャーリーは止めろとばかりに肘で突くことしかできなかった。

そしてしばらくの沈黙のあと……扇は菖蒲の顔をとらえるのをやめ、再び来儀の袖の中へと消えていった。

「――では、その家の住所をお教え頂けますか? 車は既にこちらで手配しておりますので。責任もって俺が、お二人をお送りしましょう」
「…………君の良識を信じよう」
「ふふ、謝謝。では……眠りこけてる王子様が風邪をひいてはいけないので、彼の家までお送りしましょう」
「も、申し訳ありません来儀長官……! お気遣い感謝します!」
「いえ。こちらこそありがとうございます――久々に良い目を見させてもらいました。では、参りましょうか」

来儀がそう言うと、部下らしき男二人がスッと表れて、菖蒲の腕を塞いでいたジーンの身体を軽々と持ち上げて行ってしまった。すごいな……と菖蒲が目を輝かせていると、するりと来儀の手が腰に回された。特に菖蒲は気にした様子もなく、二人はジーンの後を続いて出ていくのであった。

「……ええと……本当にちゃんと、ジーンさんの実家に行く気あるんですかね……来儀殿……」
「はは、心配せずともアレは送り届けると思うよ。来儀殿は狡猾なお人だ……あってその日に全て喰らい尽くそうなんて、ティーンズのような真似はしないだろう」
「ははは……来儀殿は、男の子も好きなんですね……いやぁ……今度の五長官会議で彼の顔見れるかな……」

やや顔を赤くしたチャーリーがぼやくと、ラフィーもマイクロフトも怪訝な顔をした。

「男の子? 彼がかい、チャーリーくん」
「え? はい。まだ若いのに、来儀殿のような危険な大人に目を付けられて……大変ですねぇ」
「アレが若いことには変わりないが……いくら何でも、男の子は無いだろう。成人男性に向かって」
「え!? 成人!?」

チャーリーのひときわ大きい声が零れて、バーの空気を揺らした。想定通りの反応をする彼を見つつ、マイクロフトはポケットからそっと煙草ケースを取り出す。

きっと今夜は、問題なく平穏な夜になるだろう。今夜だけなら保証しよう、と、くすくすと暇つぶしの要素が一個増えたことに対する笑いを噛み殺しながら。