「おや。ちゃんと来たなんて偉いじゃないか、桜良。てっきり私は、今頃キレ散らかして会議のことなんか忘れているかと思ったよ」
「不愉快ですね、片那。その口早急に閉じないと、打首獄門に処しますよ」
「可愛くない子だね、相変わらず。良いんだぞ、私たちは君が泣き喚いても動じないさ。愛しのあやめ姫がお怪我とあっては、気が気じゃあるまい」
右側からやいのやいのと聞こえる野次以下の言葉。そろそろ桜良は刀を抜こうかと考えていたのだが、彼の苛立ち具合をさっと見抜いた男がそれを制した。
「おいおい、あんまからかうなよ片那。あやめ姫の一大事だぞ……っと、刀は仕舞えよ桜良。片那は素直じゃないだけで、お前の自制心を褒めてるのさ」
二区民らしからぬ明るい茶色の髪に、かなり胸元の開かれたシャツを纏う色男。名を三葉と言い、これでも御三家のうちの一人だ。軽々しい口から発せられた言葉は、確かに片那の真意を突いていた。それは桜良にも分かる。
「……褒められるようなことは、何一つありませんが? 定刻通りに会議を始めただけでしょう」
「はは。お前、いつも公私混同しているように見せかけて、こういう時にはガッチリ分けることが出来るタイプか。意外だな」
「知ったような口を叩かないで頂けますか、三葉。僕はただ、この会議を早急に終わらせて、兄様のお具合を見に行きたいだけです」
努めて冷静な声でそう返答して、桜良は重い溜息をついた。
菖蒲の怪我。それも、事故ではなく事件による刺し傷。
三区の病院に搬送されたと聞いたのは一昨日の昼だった。すぐに二区の大病院に移して最大限できる治療をさせたのが昨日。そして今日の早朝に彼を城内に移し、用意した部屋で療養させている。
一連の手際は悪くなかった。父も母も、桜良の淀みない手際にいたく感服してくださった。お前はよくぞ落ち着いて対応した……と。
それでも、桜良の気は一つも晴れなかった。
「――お前さんら、少しは騒ぐのを控えろよ。こんなチビの桜良が気ィ張ってるときに、からかうなんざいけねぇや。それに彼の名前はあやめ姫じゃなくて、菖蒲だろ」
桜良を憚らずチビと呼んだのは、ほんの小学生くらいの見た目をした少年だった。まあ、見た目だけは少年であり、中身は老成した歴戦の勇士なのだが。
「葵の言う通りですよ。兄様には菖蒲というお美しい名前があるのですから」
「知ってるよ。けど似合ってもいるだろう、あやめ姫って。私は好きだよ、このあだ名。押しも押されぬ、桜良のただ一人の恋しい人……」
片那の嫌に芝居がかった言い方が鼻につく。が、桜良の意識はすぐに、
「その『ただ一人』って、皆に分かっちまってたのが問題なんだろう」
という一言に持っていかれた。場の空気も、その一言によって張りつめたものに変わる。
三葉の目は、もう先ほどのふざけた笑みを象ってはいない。厳しく現実を見据える為政者のそれである。
「桜良。俺は、俺の一門が治める土地に五年前まで住んでいた、菖蒲くんの身元を預かることになっている。いわば俺は、彼の父親の代わりだ。だから――俺はお前の気持ちではなく、菖蒲くんの安否のみを考慮して言うぞ」
「菖蒲くんが刺されたのは、確実にお前のせいだ」
……痛いところを突かれ、自然と肩が強張る。
分かっている。そんなことは、刺されたと聞いた瞬間からずっと、桜良の頭をぐるぐると回っている。
「五年前までなら――菖蒲くんを囲っていたなら、俺はお前が菖蒲くんだけを愛しているのを止めはしなかったよ。でも、彼はいまお前の囲いの外にいる。お前は常時菖蒲くんを守ってやることは出来ない癖に、『兄様が好き』なんて憚らず発言している――。俺からすれば、無責任で危険な行動としか言えないね」
「それは…………」
「俺のようにたくさん女と遊べとは言わないよ。でも、俺はそうすることで、誰か一人がこうして白刃のもとに晒されるのを防げると思ってる」
三葉は恐ろしいほど淡白にそう言った。悔しくって堪らないが、桜良は何ひとつ言い返せなかった。そんなことが出来るのは、お前に本気で愛している人が居ないからだ、と……言いたくても、そんなの感情論でしかない。
僕はただ彼が好きなだけなのに、が通用する立場ではないのは、初めから分かっていることだ。
「兄弟ごっこがしたいなら、もう他の奴を新しく兄役に据えろよ。それが菖蒲くんにとって、一番の幸せだ」
「っ――兄弟ごっこなんかじゃない! 僕は、別に兄が欲しいわけじゃない、僕は、僕は……兄様がっ……」
「俺だってお前の邪魔をしたいわけじゃない。だが、俺は菖蒲くんを可能な限り幸せにしてやる義務がある。我が一門の積み上げたすべてを、命に代えて守ってくれた――百合殿の息子だからな」
「おいおい、二人とも落ち着けや。まあ……菖蒲の幸せなんて、今話し合っても仕方ねえよ。とりあえず話すべきは、菖蒲を今後どうやって守ってやるかじゃねえのか?」