『ハグしないと出られない部屋』

と、簡潔に、しかしながら達筆で書かれた一枚の書。下に小文字で『半刻までに実行してください』と書いてある。何の意味があるかさっぱり分からないが、特に菖蒲と睡蓮にとっては障害ではあるまい。

「よし! 睡蓮、おいで!」

菖蒲がバッ! と両腕を広げた。目はキラキラと輝いており、普段こんなことをしない睡蓮の反応を楽しみに待っているらしい。

一方、犬のように呼ばれた睡蓮はというと、短袴のポッケをごそごそと探りながら、

「後でいいですか」
「えっ、なんで!?」
「いやだって、堂々と半刻サボれる理由が出来ましたし……ぎりぎりまで粘りましょうよ」

あったあった……と言いながら、睡蓮がポッケから3DSを取り出した。こんな時までゲームをするつもりなのだろうか、このお庭番頭領は。

当然菖蒲は納得できるはずもなく、ずんずんと睡蓮の方へ歩む。

「もうっ、君はこんな時までゲームする気かい!? 早くここから出ようよ、皆に心配をかけちゃうし」
「この俺と一緒に居て、菖蒲様の安否を心配する輩は居ないでしょう」
「うん……台詞だけなら最強のお庭番なのに……ゲーム持ってるし部屋に引きこもるつもりだし、色々と台無しだな君は……」
「何とでも仰ってください」

本当に何とも思っていないのか、どこ吹く風でゲームを始める睡蓮。なんだか思ってたんと違う……というレベルじゃないくらい楽しくない反応の睡蓮に、段々菖蒲はムカムカとしてきた。こうなれば、意地でも睡蓮にハグをして早くここから出ていきたい。

「…………えいっ!」
「おっと。俺の背後を取るとは……命知らずですね菖蒲様」
「なんで避けるの! えい! 待って!」

後ろからゆっくりと接近して飛びついた……つもりが、スッと睡蓮はなぜか避けてしまった。その後も連続して睡蓮をハグ……というか捕まえようとしたが、全部避けられてしまう。

速い。とにかく速いのだ。軽く残像が見える。

「はぁ……はぁ……つ、捕まらない……」
「おっ、イロチのピカチュウゲット」
「む、むかつく! なんで君はゲームでポケモン捕まえてるの!」

全然捕まらない睡蓮に嫌気がさして、菖蒲はぺたりと座り込んだ。壁に背を預け、ぐったりと脱力して片膝を立てた。

涼しげな顔の睡蓮とは対照的に、自分はじんわりと汗をかいている。振り回されるだけ振り回された気分で、ふてくされたい気分だった。

「ばか……」
「何とでも」
「君は意地が悪いよ……」
「よく言われます」
「よく言われちゃダメだからねそれ!? はぁ……もう何なんだよぉ……これなら薊と閉じ込められたかった……」

一緒に閉じ込められてたのが薊なら、大人しくハグされてくれただろうし、即脱出可能だったはず。むしろ照れて可愛いところが見れたんじゃないかな、位には思う。

照れてる薊を想像したら微笑ましくなってきた。ふふ、と知らず知らずのうちに笑みがこぼれていく。目を閉じれば浮かび上がってくるようだ、薊が『あの……俺の身体冷たくなかったですか? 大丈夫ですか?』と心配と照れ隠しを織り交ぜて語り掛けてくる様子、

「…………あのー、睡蓮サン?」
「なんですか」
「く、苦しいんですけど……」

ガチャ、と遠くの方で鍵が外れるような音がする。ほとんど一瞬のように睡蓮に無理やり体を抱っこされ、無事着地。気付けば、まさしく僕の想像していたハグが完成していた。胴回りに睡蓮の腕が回っていて、力が強めでちょっと苦しい。

「まあ、何で君の気が変わったか知らないけど……ハグしてくれてありがとう」
「いえ、別に」

まったく表情を変えずに、睡蓮はそう言った。さっきまでの逃亡は何だったんだ……と菖蒲が不審に思うのとほぼ同時に、ぞわりとした感覚が背中に伝った。

「…………睡蓮、この手は何かな?」
「俺の手ですが」
「知ってるよ! そうじゃなくて、何で僕のシャツに手を突っ込んで……うわ、わ……」

するりと腰のあたりを優しく撫でられて、思わず甘えたような声が出てしまう。至近距離でマジマジと見つめられているのも耐えがたいし、そもそも口元の隠れている彼を理解しようとするには、目を見て判断するしかないのだが。

だが。

「……瞳孔開いてるよ、お兄さん?」
「すみません。興奮しているので」

悪びれずそう言い放つ睡蓮の目は、どろりとした情欲を混ぜたようにぎらついていた。

「う、うう……えっち……睡蓮が僕をえっちな目で見てくる……」
「えぇ、それはもうエッチな気分ですからね。全く……貴方が余計なことを思っているから、つい手元が狂ってハグしてしまったんです」
「よ、余計なこと……?」

余計なことしかしてなかったのは睡蓮の癖に、なんのことだろう。菖蒲が『余計なこと』を思い出そうとしていると、遮るように睡蓮がまた抱きしめてきた。

「でも……鍵の外れた状態で、というのも悪くないなって思ったんで。まあいいです」
「あっ、そうだよ、ここでするのは駄目だ! 誰が入ってくるか分かんない……」
「だから、それが良いなって」

本当は半刻たっぷり楽しむつもりだったんですけど……これはこれでスリルがあって楽しそうですね。それとも、菖蒲様は最初からそれが狙いでしたか? と、言いたい放題つらつらと語りながら睡蓮にじりじりと壁に押し付けられる。

「ほ、本気……? こんな、君、バレたらお父上に半殺しされちゃうんじゃないかな……?」
「半殺し? 十分の九殺しの間違いですね」
「三途の川渡っちゃってそうだね、それ」
「渡る前に、貴方とやることやっときたいです。ダメですか」
「ばか……本当にばかだな、睡蓮は……」

ちっとも言うことを聞かない忍びの身体を、もう一度抱きしめた。死なないでね、と冗談めかして笑いながら。