「菖ちゃん、ちょっといいかィ」
俺の自室で、物珍しそうに秘蔵の刀を見つめていた菖蒲に声をかける。きょとん、と無言で俺を見上げた菖蒲の手を取り、
「そろそろ抱きたい」
率直に。
付き合って三か月、我ながらよく我慢したように思えた。
俺も男と付き合うのは初めてだから、こーいうことも何時切り出せばいいのかわからず悶々としていたのだ。俺はいつも通りだけれど、菖蒲にはひどい負担をかけてしまうのは想像がつく。俺ひとり先走って欲を押し付けるのは違うと思うから、出来る限り我慢した。
でもって、今日がその限界という訳で。
「……だめですかィ」
「……あ、い、いや! ううん、違うよ」
ぽかんと俺を見つめたままだった菖蒲が、急に電源を入れた機械のようにぶんぶんと頭を振って否定する。ほのかに頬が赤く染まっていた。
「ぼ、僕もその……そろそろと思ってて……。でも自分から切り出したら引かれるかもって思ったから何も言えなかった……えと、こんなこと言うのもおかしいけど」
もじもじと菖蒲が言葉を濁す。先を促すように頬を撫でると、びくりと肩が跳ねた。覚悟を決めたように、彼はこくんと喉を上下させ、
「ムツキがそう言ってくれて、うれしい……」
精一杯の誘いなのか、撫でた手のひらをとって頬を摺り寄せる。
普段は照れ屋で、なかなかスキンシップも取りたがらない子が自分から触れてきたら、燃えるってのが男なもんで。
(俺、ちゃんとわきまえてコトに及べるかねェ……)
理性ふっ飛ばしてむちゃくちゃなことをしないように、と何回も何回も自分の頭の中で写経をしてみる。落ち着け俺、調子に乗って本で見た四十八手やってみたいとか言い出すなよ? 絶対だからな? 今日は一回だけで、あとはピロートークをだな……。
「菖ちゃんもそう思っててよかったぜィ……」
「うん……」
「だめって言われてもしょうがねェって思ってやしたからねェ……はあぁ……」
ぐるぐると今日の予定と自戒を繰り返していると、菖蒲が不安そうにこっちを見上げてきた。……やっぱり実は怖いんですかねェ。無理もねェや。
怖がられてはたまらないので、触れていた手を離してやる。
「あ、あの、ムツキ」
菖蒲はさらに不安を深めた顔で俺に声をかけた。
それでも不安を隠そうとしているのか、今度は自分から俺に詰め寄って、俺の手をとり、
「――心配しないでっ! 僕、こう見えて百戦錬磨だから!」
にこりと俺に笑いかける。
「百戦錬磨……ですかィ?」
「う、うん! 百どころか千戦の勢い」
ぐ、と拳を握って語る菖蒲。その一生懸命な語り口は、信用しろと俺に主張してくる。
「……ふぅん、なるほどねェ」
俺の腕をつかむ手を引きはがし、逆に俺が掴んだ。
「あ、あれ、ムツキ?」
「知りやせんでした。じゃあ、その千戦の相手を俺に教えちゃくれやせんかねェ」
ぐい、と顔を近寄せる。顔を赤くしたり青くしたりと忙しい菖蒲は、普段なら可愛いと思うものの、今はそれだけではない感情が胸に突き上げてくる。
「お、教えて……どうするの?」
「……捻りつぶしてくるんで」
ソファに放り投げていた愛刀を手にすると、
「わぁぁ! ちょっと待って、待って!」
菖蒲が正面から取りすがるように抱き着いてきた。
「いや、大丈夫ですぜィ? 菖ちゃんは傷つけません」
「ちっ、違、そうじゃなくてっ! ごめんなさいごめんなさい嘘なんですっ、真っ赤な嘘だよ!」
「嘘?」
嘘だとしても、そりゃまた何で、そんな妙な嘘を吐く必要があるんだ。
俺が疑り深い目で見たからか、菖蒲は物凄く申し訳なさそうな表情でぽつぽつと語り始めた。
「あの……ムツキが心配そうな顔してたから……」
「してやしたかィ?」
ただ心の中で写経をしていただけなのだが。
「うん。きっとムツキ、男の僕を相手に、は……反応するか不安なのかもって思ったから……」
いや、それはない。
いつも俺がどうやって自分を慰めてるのか教えてやりたくなったが、この状況で言い出せるほど俺は傍若無人な男でもなかった。
「安心させようと思って、経験豊富なふりを……」
「……菖ちゃん」
「ご、ごめんなさい……でも僕も頑張るから、だから」
「あんた馬鹿ですかィ」
「う……馬鹿です僕は、ほんとごめ、って、うわぁ!?」
ソファに菖蒲の体を押し付け、どかりとその上に馬乗りになった。目を白黒させて俺を見上げる姿は、とてもじゃないが経験豊富な人間とは思えない。
つまり本当に、嘘という訳で。
「――あんた俺が百戦錬磨だったらうれしいのかィ」
「え? え、というか百戦錬磨なんだよね……女の子にあれだけモテれば……」
なるほど、自分は女相手じゃなきゃ無理だと思われているようだ。
心外だった。心外すぎる。こりゃ、きっちり教えてやらなきゃ駄目みたいだ。
「そうじゃなくて。例えば、俺があんたの幼馴染クンとかチャイナ相手にどうこうしてるってなったら、あんたは――」
「や、やだよ……そんなの嫌だ」
珍しく嫉妬の感情をあらわにした恋人に、少し優越感を感じてしまった。いかんいかん、これで笑ったら一週間口きいて貰えねェ気がする。
菖蒲は根が真面目なぶん、こうと決めたら意地でもやり通すから、一週間口きくななんて言われたらこっちが耐えられねェ。
緩みそうな表情筋を抑え、わざと怒った表情を作る。
「それと同じでさァ。俺もさっき、神経焼き切れそうになりやした」
あ、と菖蒲が声をあげた。ようやく理解したらしい。
「第一さっきの嘘、洒落になりやせんぜ。あんた第二区出身だろうが」
「え? ……あ、た、確かに……」
「俺ァ菖ちゃんが、本当に他の男にあられもない姿を見せたのかと思って、怒りでどうにかなりそうでしたぜィ」
「あ、あられもないって……う、でも、そうだよね……びっくりしたよね……ごめんね……」
ぐす、と鼻をすすって涙をこらえる様子がかわいかった。
これは貸し一。俺の方が優位、多少の我儘も許してくれそうでィ……なんて邪な打算を抱えているなんて、きっと思いもしてないのだろうが。
「……そうでさァ。俺ァ傷つきましたぜィ」
「ムツキ……」
「だから」
ぐい、と胸元を掴んで顔を引き寄せる。ぱち、と瞬いた花瞼にキスをして、とんとんと自分の唇を指で指した。
「キスしてくだせェ」
ご機嫌とりくらい、してくれますよねェ。
そういって意地悪く笑うと、菖蒲はぎゅっと目を閉じた。そのまま唇が俺に触れたが、残念ながらそこは鼻の頭だ。
「あ、ごめ、間違えて……」
かあぁ、と赤くなって謝る菖蒲がいとおしくてたまらない。胸倉をつかんでいた手をぱっと放すと、悲鳴をあげて菖蒲はソファに沈み込む。その頭の横に手をついて、
「キスは、こっちでさァ」
かぶり。
唇に。