「ホリゾンさん……僕は本当に悪かったと思ってるんだ」
『…………別に慰めて頂きたいわけではないですが』
「嘘だぁ。だって、君さっきからすんすん鼻すすってるもの! 電話越しだって分かるよ!」
『私が泣いてると仰るつもりですか? 詭弁はよしていただきたい、第一私が感情的になって涙を流すような男だと思っていること自体驚きです。遺憾の意を表明し――』
「CODE(30):Open!」
ガチャ、と携帯越しに聞こえる音と、目のまえで聞こえた音がズレて菖蒲の耳に届いた。『なっ!』と普段の彼からは想像も出来ないような上ずった声も届いてきて、事の重大さがよく分かる。
とりあえず菖蒲は、洗面所のタオルで顔を隠している珍妙な美青年――もといホリゾンの前に立つことにした。ついでにツンツンと横腹をつついてみると、彼はタオルの隙間から『Stop』と英語を零した。もちろん、『CODE』という前置詞がなかったので魔法は発動しなかった。
「ねぇ、もう機嫌直してよ」
「…………No」
「ほら、君の好きなプリン買ってきたよ? これ食べたらきっとよくなるよ」
「可能性は否定できませんが。それとこれとは話が別なのです、分かりますか菖蒲!」
ばっとタオルから顔をあげたホリゾンが、珍しく菖蒲を睨みつけてくる。金色の目は猛禽類のように――というには潤み過ぎてむしろ可哀そうな雰囲気だったし、顔も心なしか青い。菖蒲はやれやれといった様子でホリゾンに背を向け、ほとんど使われていないキッチンの棚を探る。お皿が一枚、スプーンが一つ。それらを取り出して、真っ白なテーブルの上に置いた。
「犯罪コンサルタントを撃退しちゃうなんて、やっぱり和食って最高だよね」
「ええ? 今何と? あの悪魔の食べ物は最低ですっ、腐ってるものを食べるなんて正気ですか!?」
「君らのチーズと一緒だよ。似てるじゃない、ちょっと臭くて糸を引く、でも食べたら美味しいの……ねぇ?」
菖蒲はにっこりと笑いながら、ご機嫌取りのスイーツを皿へと押し出した。ぷるんと震えたソレは、甘そうな黄金色をしている。いたってごく普通のコンビニで買ってきたものだが、ホリゾンはこれをいたくお気に召している。
「理解不能です……納豆のどこが美味しいのですか! 私を騙して無理やり食べさせるなんて、いつから貴方はそんな外道に落ちぶれたのですか!? まったく信じられません……」
「はいはい、悪魔の食べ物を信仰してる外道で悪かったね! でもそんなに文句ばっかり言ってると、これ全部僕だけで食べちゃうから」
べー! と舌を出して彼をおちょくってから、菖蒲はプリンの形を崩した。そのまま口に運んで、舌でその甘さを堪能する。想像通りの美味しさだった。納豆とは全然違う食べ物だが、菖蒲はプリンも好きなので。ホリゾンのように片方しか楽しめない訳ではないのだ。
と、正面に座って恨みがましそうに自分を見つめるホリゾンを睨み返してちょっと笑うと、ホリゾンがぶすくれた顔で机に行儀悪く突っ伏した。拗ねちゃったらしい。
「――どうぞ最後まで食べてくださいよ。私はさっき、忌々しい味を記憶から消す為入念に歯磨きしたので、別にスイーツなんて必要ない」
「やった! じゃあ全部もらうね!」
大げさに喜んで見せる菖蒲。絶対ワザとやっている……とホリゾンが慧眼を傾けるまでもないことだった。大人げなく拗ねた大人には、徹底的に子供の態度を貫いてやるという事だろう。お互い様というやつだが。
しかし――本当にそれくらいの衝撃だったのだ。納豆は。軽くホリゾンの脳細胞が百万くらい殺されたくらいの衝撃だった。IQが下がるかと思った――等々の文句皮肉が幾らでも出揃いそうだったが、寸での処で飲み込む。これ以上当たり散らすと一週間口をきいて貰えないのは、経験上よく分かっているので……。
「私を泣き寝入りさせるなんて……マイクロフトと両親くらいのものかと思っていましたよ、まったく……」
のそりと体を起こして、おいしそうにプリンを咀嚼する菖蒲に苦笑しながら言った。それを聞いた菖蒲は、一瞬ぴたりと止まってホリゾンを見つめ……怪訝そうな顔で首をかしげた。
「ちがうよ?」
「え? 何がですか」
「君は泣き寝入りしてるんじゃなくて、僕のことが前より好きになったんだよ。好きな人に嫌われたくないから皮肉だって控えめになるし、逆に好きな人だから些細なことでもこんなに話が膨らむんだ。
それに僕は君が好きだから、君の皮肉だって甘んじて受け入れられるし、君が些細な話題でもたくさん喋ってくれるから嬉しいって思うよ」
ホリゾンさんも同じでしょ? とさも当然のように言い放つ菖蒲に、ホリゾンは一瞬思考が止まりかけた。好き。僕は君が好き。前より好きになった。特定のワードがホリゾンの脳裏をちかちか点滅し、星屑になって消える。未知の感覚に、頭の中の処理が数秒遅れてしまったらしい。
「――駄目だ、また脳細胞が百万は殺された……酷いですよ菖蒲……」
「え……脳細胞? 何のこと?」
「なんでもないです。ですが、頭脳労働には糖分も必要ですよね。殺された百万のぶん、残った脳細胞に働いて貰わねば」
「んん……? あ、つまり君もプリン食べたいの?」
「そうとも言いますね。菖蒲、Please」
長い指先が、僅かに開いた薄い唇をとんとんと叩く。未知の原因は呑気に微笑みながら、銀色の匙を黄金の山に突き刺した。