にちゃ、といやらしい音が響く。
 嘘だ、こんなこと、なんでムツキが僕なんかに。
 目をつぶっていてもわかる、ムツキの脈打つ陰茎。それが自身の手のひらで撫でられ、びくびくと反応していた。
訳が分からない、と悲鳴を上げそうだった。

「菖ちゃん」
「う……」
「もう朝ですぜィ? いつまで寝てるんですかィ」
 優しく揺さぶられ、ぼんやりと目が開く。
 なんだろう。最近ひどく寝起きが良くない。普段なら彼は僕に起こされる側なのに。
 とはいっても、起こすだの起こさないだのが始まったのも、ほんの最近なんだけれど。
「体がだるい……」
 慣れない敷布団で睡眠を初めて早一か月。相変わらずユーリューくんに夜は自室を占拠されている僕は、寝る時だけムツキの部屋でご厄介になっている。
 六月の終わりまでは何事もなく快眠だったのだが、ここ最近寝汗がひどい。全身べちゃべちゃで、運動でもしたのかというような具合だった。
「はぁ? 風邪でも引いたんじゃねェんですか?」
「ううん……でもここ最近ずっとこんな調子だし」
「クーラーの効きが悪いかねェ」
「いや、平気……でも、べたべたする……シャワー借りていい?」
 ひらりとムツキが手を振った。了承の合図だ。
「じゃあ、俺ァこの布団洗濯してきやす」
「悪い。頼むよ」
 のそりと布団からはい出る。ぬるりとした汗が、手のひらから床へと滑り落ちた。
 僕がシャワー室に、彼が共同のランドリールームへ。これがここ最近の朝の流れだった。
 それにしても、どうしてこんな調子なのだろう。風邪という訳でもないし、不眠症という訳でもない。むしろぐっすりと眠れている。その割には、快眠とはいいがたいような汗の量。
「なんだろうな、こういうの。深層心理では体が不調を訴えてる、とか?」
 出始めの冷たい水にぶるりと身を震わせながら、考える。けれど結論が出るはずもなく、また汗さえ流れてしまえばあとはどうということもないので、毎朝のこの思考はすぐに汗と共に流れてしまうのだ。


 翌日も、その翌日も同じだった。
 朝起きると、嫌な汗が体を伝う。
 今朝も全く同じで、情けないながらムツキに起こされていた。
「起きやしたか、菖ちゃん」
「うーん……」
「毎朝毎朝そんな調子で、大丈夫なんですかィ?」
「うるさーい……」
 けらけらとムツキが笑いながら、制服を取りに寝室を出ていった。いつにも増して重たい体を持ちあげるため、布団を足で跳ねのけて、
「!?」
 自分の脚……露骨に言うと足の付け根あたりだ……に、白い液体が付着しているのが見えた。
「うっ、うわぁぁ……」
 む、夢精だろうか。あまりにも久しぶりすぎて、慌てて起き上がると、股からどろりと垂れてくるそれ。
「な、なんで……」
顔が赤くなるのが分かった。今まで体がだるかったのも、もしかして全部、体調不良じゃなくて、欲求不満……だったのだろうか。それが今日、こういう形で出てしまったのだろうか。
生理現象だし、普段ならここまで慌てないけれど、何せ今は他人の部屋だ。あまりにも気まずすぎる。布団にまで付着しているのに、これをムツキに任せるなんて羞恥プレイでしかない!
「ど、どうしよ、早く片づけ……」
「おーい菖ちゃん、今日は布団無事なんですかィ? また出しときますぜィ」
「え、あっ」
「早く風呂入ってきなせェ」
 ムツキは軽々と敷布団と掛け布団を持ち上げて、振り向きもせずに行ってしまった。……あの調子じゃ、精液のことなんて見てないんだろうけど……。
 とりあえず、布団も奪われてしまったし、いつも通りシャワーを浴びることにしよう。
「あああ、お願いだから気づきませんようにっ……」
 ただでさえ童顔で身長もお察しな感じの自分なのに、これで夢精したなんてばれたら……と、心臓がどくどくと早鐘をうつ。羞恥と恐怖が混ぜこぜだ。
 とにかく一刻も早く、体液濡れの体を洗いたかった。逃げ込むようにシャワー室に入り込み、冷水を浴びる。
 流そうとしても、なかなか取れない。随分前に付着したものらしい。今日は石鹸を使い、体をこすったほうがいいみたいだ。
「……なんか……」
 足の付け根だとか、きわどい部分。なんだか精液とも違う、透明な液体がついていた。……カウパーというやつか?
 ぬるついていて、これもシャワーでうまく流れない。
「……やらしい夢、毎晩見てたのかな……」
 そう考えるほかなかった。
 毎日布団を洗ってくれるムツキに申し訳ない。


「……んっ、ふ……」
 何か声が聞こえた。
 けれど、睡眠状態の体は、まったく動かない。瞼すら開かない。夢を見ているような感じだった。
「……んん、う……」
 なんだか苦しそうな声。
 ぬめぬめとした感触が、急に手のひらに伝わった。ぞわりと背筋に悪寒に近いものが這う。舌、舌だ。指先から手のひらまで、つぅとなぞられていく。じゃあこのぬめぬめした奴は、つまり、唾液?
 だれなんだ、きみは。脳内だけで問いかける。というかムツキ、今日は出歩いてないよね、隣のベッドに、いるんだよね? 起きてくれ、僕、気味の悪い悪戯をされて……
 ……ムツキ?
「……菖ちゃ……」
 ムツキの声がした。寝言か。いやだ、起きて。
 舌の触れていた熱が離れた。ああ、よかった、と思っていた矢先、また何か熱いものが触れる。にちゃ、ぐちゃ、と何かが擦りつけられた。僕の手のひらを掴み、ソレを懸命に擦って、……?
「ぐっ、あ、」
 一応、今の僕は自分で体をどうこうできない状態で。反射で、勝手に指がぴくりと跳ねる。かり、とゆるくひっかいてしまった。
「んぅ、ああ……菖、ちゃ……」
 あれ?
 なに、ムツキもベッドの上でうなされてる?
 ……って、そんな訳ないよな。ということは、この熱の正体は、

 ぶつり。突然、意識ごとまた、睡魔の波に飲み込まれる。





「ね、ムツキ。昨日、知らない人が入ってこなかった……?」
「は?」
 妖精さんですかィ? とからかってくるムツキ。思わず頬を膨らませそうになったけれど、じっと耐える。
「うん……夜。それにムツキ、うなされてなかった……?」
 ムツキの目がわずかに細まる。
「なんですかィ……俺ァ、あんまり怪談話とか好きじゃねェんですが」
「ち、ちが」
「悪夢でも見たんじゃねェのかィ。本当に大丈夫なんだろうなァ、菖ちゃん」
 心配そうに言われてしまった。
「それより、今日もひでぇ汗ですぜィ。布団、洗ってきましょう」
「あ……うん。そうだよね、ごめん。ありがと」
 そう言われて布団を引きはがされてしまえば、もう何も言えない。





 深夜二時。草木も眠る時間。
 誰かの気配が、僕の布団の傍に。
 けれど僕の使った魔法は、まだ継続中だったらしい。
 ――CODE:ANTI−3
 薬物に対する反抗魔法だ。第3番は睡眠薬に対して。効果は極めて微弱で、反抗というよりは効果を弱めるのに近い。
 僕は昔から、こういった状態系の魔法を使うのが得意だった。
 今日は夜寝る前、この魔法を呟いた。昨晩の誰かが気になるからだ。普通ならもっと強い第53番あたりを使って完全抵抗するのがセオリーなのだろうが、なにぶん誰がこんな悪戯をしてるのか見当もつかない。素直に眠っておびき寄せ、侵入者なら速攻でCODE:ATACK−32、一番強い麻痺魔法で捕まえてやる。僕だって警察。
 ……さて、そう意気込んで眠ったのはいいものの、今すでに、体は半分寝て半分起きてる状態になってしまっていた。相手も相手で、薬の強さを変えてきたらしい。そこに僕の微弱な魔法が加わって、完全に意識を封じきれなかったのだ。
13番とかにしとけばよかった……と早々に後悔し始めている。
 このままだと、意識はあるのに体は動かないなんて展開に……。
「……――」
 ほんのわずかに、誰かが呟いた。
 その瞬間、ずしりと体が重くなる。あの夜とほぼ同じ感覚。瞼も開かない。
 薬じゃないじゃん。魔法だ。やられた。
「……保険かけとくかねェ」
 聞き覚えのある声。
 ……なんて冷静ぶっても、正直、なんの役にも立たない。
 ひんやりとしたクーラーの冷気に、太もものあたりがさらされた。布団を捲りあげられたのだろう。寝汗をかくから、最近短パンに変えたばかりの僕の寝間着。その下から、するりと大きな手のひらが滑り込んでくる。
「ん、ぅっ」
 自分の喉から、自分の声とは思えない高い声が出た。
 まずいとは思ったけど、特に相手が動揺した様子はない。それどころか、くすぐったさと異常な状況に対してか、少し起ち始めていた僕のソレに、迷うことなく触れてきた。
 え、うそ、なんで――
(ぎ、gimmick:Silent!)
 ほとんどパニック状態で、唇の動きだけでつぶやいた。
 それでも魔法の粒子は活躍してくれて、僕の声を一時的に掻き消した。無音魔法。悪戯魔法なので、効果はたったの二分。ウルトラマン以下だ。
 でも、ないよりはまし。このままだと、声が我慢できなくてばれてしまいそうだから。
「っしょっと」
 腰を持ち上げられ、股の間に彼の体が入り込む。
 すでにソレを隠すものは取り払われていて、彼の手のひらにあっさりと握りこまれる。そのままゆるゆると動きだし、起ちあがるのを促していた。
 な、なんで? なにこれ、サービス? だとしたら、こんなの、いらない。ムツキがなんで、僕にこんなこと。
 頭の中ではほとんどムツキを責めるか疑問を呈するかしかしていないはずなのに、体の方はどんどん熱を上げていく。心臓もどくどくと忙しなく打っていて、は、は、と吐息だけが唇から零れ落ちる。これで体は眠っている状態なんて、信じられない。これじゃまるで、期待しているみたいだ……。
「……かわいい……赤くなってやがる……」
 一方のムツキも、恍惚とした声音で呟いている。音量こそ小さいが、その低くて優しい声は、腰にくる。ぶる、と体が震えた。
 気持ちいい、けど、あまりにも緩やかで、くるしい。
「ああ、大丈夫でさァ……いま楽にしてやる、から」
 まるで心の声が通じたかのようなタイミングで、ムツキがそんなことを呟いた。と同時、ごそごそと衣擦れの音がした。ますます緩くなる手のスピードに、僕はここぞとばかりに体の熱を逃がそうとした。沈まれ。沈まれ沈まれ。そうしたらきっと、ムツキもこの変な行為に飽きてしまうんじゃない、かな。
 なんて、わざとくだらない思考をうだうだ回していると、突然さっきまでとは違う感覚に襲われた。
 さっきまでムツキが触れていた場所に、あからさまに手とは違う温度の何かが触れていた。熱くて、どくどくと脈打って、僕のソレと触れ合うとぐちゃ、と水音を立てて、
 ……え?
「〜〜〜〜!」
 悪戯魔法に感謝しなければいけない。
 突然速まった手の上下運動。自分のものより一回りは大きいような熱の塊が、僕のそれに圧し掛かっているような錯覚。手が動くたびに、大きさの違うそれらがこすれあって、あ、あ、だめ、だ。言えない、こんなの、知らない。
「――、!!」
 はくはくと唇が動く。
 魔法のおかげで、声は一つも零れない。いや、たぶん盛大に零れてるんだけど、空間の歪みがどうたらこうたらで、僕らには響きが聞こえていない、みた、い、で。
「っ……あー……気持ちい、」
 絞り出すような声。僕の代わりに出してくれたのか、なんて、的外れなことを思い始める程度には、脳が麻痺し始めた。
 ムツキの息も上がり始めていた。彼は僕に一つも体重をかけることのないようにしているのか、決して僕の上半身付近には近づかない。だから、音声だけしか彼を判断するものはない。
 それが少し、おそろしかった。
 汗がクーラーで冷やされて寒い。僕が寝汗をかくからと言って、彼が下げてくれたのだ。今となっては、ああ、だから温度を下げようが翌朝にはびちょびちょだったのだ、とわかる。
 ふるふると体が震えた。寒さからだと言い難いのが、気恥ずかしくてたまらない。
「は、ぁ……っ、」
 握る力が強くなる。ちょっと痛いくらいなのだけど、他人の手でめちゃくちゃにされる状況に、頭がおかしくなったのだろうか、ただ気持ちいい、
「ひぅっ!」
 いきなり、喉が震えた。
 うそ、このタイミングで、解けるなんて。
 いや、それどころか、急に体まで軽くなった。……彼の魔法まで溶けてしまっている!
 そのせいで口元を抑えそうになったけど、そんなジェスチャーをした時点でアウト。震える手は、とっさに掛け布団を握りしめて事なきを得る。
 けれどムツキは、僕の非常事態なんて知る由もない。僕の魔法も自分でかけた魔法も解けたとは知らず、上り詰めるための動きを始めていく。
「……っふ、……あ、う」
 声がとまらない。どれだけ抑えようとしても、勝手に出てくる。あまりにも気持ちよくて。それは彼が上手だからなのか、夜な夜なこの行為を重ねられてきたのであろう僕の体が、その、いやらしいのか、分からないけど。
 じゅぶじゅぶと耳をふさぎたくなるような音が目立ってきた。魔法が解けても開く勇気のない瞼の奥で、ちかちかと白い星が点滅し始めて、あとはもう、僕にはどうしようも、な、
「あ、あぁ……〜〜〜〜!」
 出来る限り息を止めて、声を出さないように。それしかできず、びゅくびゅくと響く音と、おなかのあたりに飛び散る熱いものが、視覚のない自分の体に、鮮烈に焼き付いた。
「――っぐ、ぅ」
 彼の方も彼の方で、僕を起こさないようにしているのか。押し殺したような吐息が零れ、少し遅れて射精する。おなか、太もも、脚――そのあたりに熱いものが飛び散った。
 そうだ。僕が射精したら、ふつう脚には飛び散らない。それでなくても、ただの夢精なら、下着が汚れるだけ。
 なのにあの朝、僕が夢精と思ったそれは、脚にまでついていて。となるとあの精液、もしかして、僕のじゃなくて。
 解ってしまった途端、心臓が痛くなる。どきどきどきどき、と絶え間なく打つ。ああ、じゃああれもそれも、僕のじゃなくて、この人の、で。
 自分のものと思っていたときは、恥ずかしくて煩わしかったのに、……なぜ今は、こんなにドキドキするんだろう。
「――汚しちまった」
 普段通り、淡々とした声音の端に、なにか薄暗い充足を得たような色を聞き取る。自分の顔が赤くなってる気しかしなくて、はらはらした。
しばらくして、何かタオルのような布が僕のおなかを拭い始める。触れる手は優しく、さっきみたいに無理やり引き上げようとする動きではなかったけれど、少しおかしな気分になってしまう。
 これ以上、眠っているふりができるだろうか……。