#19
「おう、また来てたのかよ」
「お手伝いでね。今日の演奏もカッコよかったよ」
「…………そ〜かよ」
お疲れ様、と引き留めるように缶コーヒーを渡せば、大神くんは私を一瞥してその場にしゃがみ込む。
少しの間なら付き合ってくれるようだ。
春も半ば。【デッドマンズライブ】から数度、羽風に誘われて逃げ込むように訪れた地下ライブハウスにはロックバンドでギターを鳴らす大神くんの姿があった。
朔間先輩たちと歌っていた、夢ノ咲学院の一年生。彼に憧れているアイドルの卵。研ぎ澄まされた牙を突き立てるような演奏が印象深い。
日に日に上達する彼の指捌きは後輩ながらに感心していたし、カッコいいと思う。
「今日のセットリスト、今までで一番好きだったな。とくに最後の曲、すごく好みだった」
「サンキュ。……でも意外だな。妻瀬先輩、お上品なのが好きそうなのによう?」
「間違ってはないけど」
無糖の珈琲は、苦い。
格好を付けて買ってみたもののまだまだ口に合わなくて、一度に少量しか飲めなくて歯痒い。
「私の場合、特定の作曲家が好きというか。そのひとが殿堂入りみたいな感じ。譲れない特別枠みたいなものがあるの」
「……へぇ、そういうのは分からなくもね〜よ。つうか、一時前までは朔間先輩のファンかと思ってたぜ」
「あはは、朔間先輩もカッコいいよね」
「ふん、当たり前だろ」
話したことがあるのは片手で数えられるくらいだけど、朔間先輩の魅力を語る彼の表情はきらきらしていて微笑ましい。
……私も、『Knights』の魅力を沢山語りたいのに。うまく言葉が出てこない。近ごろの――曇っていたり、辛そうな彼らの表情ばかりが脳裏に浮かんでは消える。
他の音楽を心の底から楽しむことが裏切り行為のように思えてしまって、違う場所で笑っていることが、とても苦しい。なのに、やめられない。
息苦しさを音楽で解消するのは、消費しているみたいで最悪で、最低だ。
***
レッスン室を満たすようにロックが溢れる。
片っ端から蹴散らしていくみたいな大神くんの歌声は、爽快でけっこう好みだ。
――そういえば。大神くんが一時期活動を共にしていたバンドは朔間さんに影響を受けてたっぽくて、それもわりと好きだったな。
内部抗争に明け暮れる前まで、羽風を手伝うこともあったからよく耳にしていたっけ。
『Knights』では聞き馴染みのない音楽も、嫌いじゃない。……近頃は『Eve』の曲もよく聞くようになったし、色んなジャンルに手を伸ばすこと自体、楽しくてわくわくする。インスピレーションが沸いて曲を作れるわけでもないけれど。
思わずリズムを取っていた指にはっと気付いて、慌てて作業に意識を戻す。
強化合宿初日の午後一番はユニット毎のレッスンで、私は『UNDEAD』のレッスンの傍らでパソコンと睨めっこ。
南の島まで来ていつも通りの仕事をすることになるとは思ってもみなかった。いや、ちょっとそんな予感はしていたから、機材一式を持ってきていた自分を褒めてあげたい。
『fine』と『UNDEAD』の合同ライブまであと二日。期せずしてやってきた初の海外案件に、正直驚いている。やるしかないので全力を注ぐけど。
プロデューサーとして、各ユニットのレッスンを行き来しているあんずちゃんは懸命にメモを取りながら――明後日に行われる合同ライブのことを考えているのだろう。
日々頑張っている彼女にはバカンス気分を味わってほしいが、私が代わってあげられるは雑務くらいだから。今は精一杯『UNDEAD』のサポートとして役立つこととしよう。なんて思っていると――汗を拭う朔間さんと視線がかち合う。どきり、心臓が鳴る。
「鹿矢」
「は、はい。一旦止めるね」
平常心、平常心。危うく少女漫画みたいな反応をしてしまうところだった。
ちょっとの気紛れに感情を左右されているようじゃだめだ、心を強く持たなければ。ぱしんと頬を叩けば一瞬、視線を浴びた気がした。
数曲を歌い上げて小休止。
プロデューサーと『UNDEAD』の面々が言葉を交わす場を邪魔しないように、ドリンクとタオルを渡す。
休憩の合間に汗の飛び散った床を拭いて、見慣れない高価な機材の調整――なんかは伏見くんの手配してくれたスタッフさんに助力を求めながら。マニュアルを読み込みながらセットをして、宣伝材料の校正にとりかかる。うん、作業効率は上がっている気がする。これも【サマーライブ】での経験のお陰だろう。
けれどまぁ、メリハリも重要で──集中力は永遠に続かないし、無理をしたところで効率は落ちるものだ。
ひと段落したし休憩しよう、とドリンクを手に取る。鏡に映る私は満ち溢れる気力と裏腹に疲れ気味で、出力調整がバグってしまっているようだった。
「……妻瀬先輩、顔色が悪いが平気か?」
「うん、大丈夫。初海外のせいか気持ちに体が追いついてないみたいで」
「そうか。慣れない環境だと体調も崩しやすいし、無理は禁物だ。何か出来ることがあれば言ってくれ」
心配そうに覗き込んでくる乙狩くんの、向日葵のような瞳は綺麗だ。
乙狩くんは、中東の血を引いているということもあって独特の雰囲気の子だ。朔間さんが夢ノ咲学院に連れてきた当時から大神くんとセットのイメージがある。思うに、彼が世話を焼いていたのだろう。
彼らと同じ二年生であるあんずちゃんから話を聞くこともあったし、『UNDEAD』の仕事関連で会話を交わしたこともあったから知っていたけれど、乙狩くんはとにかく男前で優しい。
それはパフォーマンスにも表れていて、とくに歌唱は彼の魅力を伝える一番の手法にも感じる。
「ありがとう、乙狩くん。今の言葉で疲れも吹っ飛んだから大丈――ぐえっ」
大丈夫だよ、と言いかけたところで首根っこをひっ捕まえられて。勢いよく引かれた私の身体はぽすんと誰かの胸元に吸い込まれていく。え、なに。あったかい。
踊り終えたばかりでまだ熱を帯びている指が、肩に触れる。
反射的に上を向けば、逆さまの朔間さんの拭い切れていない汗がぽたりと落ちてきて、頬を伝っていく。
「鹿矢。後輩の申し出を素直に受け取り頼るのも、良き『先輩』への一歩じゃよ」
「…………………………ハイ」
「うむ、いい子じゃ」
恐らく――頭上の朔間さんという視界の暴力に話の半分ほどが飛んでしまったことを知りながら。というわけでアドニスくん、鹿矢はおぬしを頼るとのことじゃ。どうか力を貸してやっておくれ。なんて上機嫌に──突如として私の背後を陣取った朔間さんはぺらぺらと話を進めていく。
彼の言葉を肯定するように精一杯頷けば乙狩くんは嬉しそうに頬を綻ばせた。あはは。すごく、癒される。
「ふふ。朔間先輩と妻瀬先輩は仲良しで微笑ましいな」
「さすがアドニスくん、目の付け所が良い。夢ノ咲学院では有名な話じゃがのう……我輩たち、実はマブダチなんじゃよ」
初めて聞いたけどそんなの。
朔間さんは私にタオルを被せて、ぽんぽんと誇らしげに私の頭を撫でている。……何度でも言おう。やっぱり朔間さん、絶対夏の暑さでおかしくなってるでしょ。
「……ね、ねぇ朔間さん。ドリンクちゃんと飲んだ?」
「とっくに飲み干してしまったぞい」
「それはなによりで……」
対角線上にいる羽風は大神くんとあんずちゃんと話しながらもこちらに憐れむような視線を注いでいて、なんとも言えない表情だ。
そんな目で見てないで助けてよ。半泣きになりながら訴えていると、頑張ってねとジェスチャーをされて視線を逸らされてしまった。
タオルを被せてくれたのは不幸中の幸い、かもしれない。ううん、不幸でもないけれど、正気でいるのは難しい。心を整えようとしてるのになんだって朔間さんは突然距離の詰め方を変えてきたの。
香るそれは紅葉の降る中で抱きしめられた日を想起させて、色んな感情が渦巻いていく。
Tシャツ越しに聞こえる朔間さんの鼓動が、近い。そりゃあそう、だって――この部屋で一番そばに聞こえる音なんだから。
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