#20
「よう、妻瀬先輩。……別れたんだってな」
「うん。そうだよ」
屋上の隅っこに、そのひとは佇んでいた。
こちらを振り返ることもせず言葉を吐く。白い息はふわりと浮いて消えていく。
「そもそも、噂自体がフェイクでね。本当に恋人だったわけじゃないから。初めにも言ったけどさ」
「……知ってるよ。けど、それでもあんたは『朔間零の女』として堂々と振る舞ってた。どれだけ『五奇人』が乏しめられても味方を貫いてよう、」
握りしめた手のひらは冷たい。冬だから、当たり前だ。
いつだったかライブ終わりに貰った缶コーヒーも冷たかった。
度々帰路に着こうとする俺を引き留めるように差し出してくるそれは、決まって二本あって。いつも口にしては渋い顔をして、飲み干せずに持ち帰っていたから――きっと。カッコ付けだったんだろう。
「認めたくね〜けどさ、形だけの恋人にするくらいには可愛がられてたじゃね〜か。…………あんたまであのひとを見捨てるのかよ」
「味方になったところで、だめだった。むしろ悪化させた。……朔間先輩がどう思っててもそれは事実。まんまと敵の術中に嵌っちゃったんだよね」
無機質な瞳がこちらを向く。
嘲笑して、今にも身を投げてしまいそうな声は悲痛で、思わず言葉を失ってしまう。
「守れるような力も何もないから。……せめて離れて、先輩の守備範囲から外れることでしか恩を返せないの」
「……なんだよそれ。本気でそう思ってるのかよ」
「そう信じるしかできなかったんだよ」
大切な先輩を傷つけてしまってごめんね、とそのひとは小さく呟いて去っていく。
「大神くん。私に出来ることがあったら言ってね。『広報』としてサポートするから。……朔間先輩にもよろしく言っておいて」
――その後少しして。
『広報準備室』が閉鎖されるという報せは突拍子も無く張り出された。
除け者のように掲示板の隅に貼られていたそれを敢えて視界に捉えようとするひとは少なかったように思う。
それが無性に気に食わなかった理由は、今でも分からない。
***
「………………距離感がそこまでだったひとが、やたら近いと」
「うん」
「…………動揺するじゃない、するよね、」
「うんうん」
レッスンが終わって――夕食までの自由時間。
せっかくのあんずちゃんとのトークタイムチャンスを邪魔しているのは申し訳ないと思う。けど、色々と耐えられなくて羽風を呼びつけた先のラウンジで私は項垂れている。
「……いやぁ、でもそこまで初心だとさすがに心配になっちゃうよ〜?相手が朔間さんだからなんだろうけど」
「初心じゃない、察してる。ただごとじゃないことくらい察してるの、これでも」
「本当に?」
「本当に!」
荒れてるね〜、と楽しげな声が降ってくるので相談相手を間違ってしまった気もするけど。言ってしまったものは仕方がない。同意ではなく意見が欲しいのだと顔を上げれば、案の定にやにやと笑いながら私を眺める羽風と視線がかち合った。
「鹿矢ちゃんには悪いけど側から見てると新鮮だからね。朔間さんの迷走っぷりも、鹿矢ちゃんの百面相も」
「面白がってるでしょ」
「あはは、少しね。でもいいんじゃない?高校生の、等身大の青春みたいでさ……朔間さんも鹿矢ちゃんもそういうのとは無縁だったって感じだし」
「少なくとも私はそうだけど。青春ねぇ……」
無縁だったものに憧れる気持ちは、ある。
私だって彼氏をつくってみたい気持ちは無くはないし、距離が近ければ意識だってする。広報業やら先輩業に勤しむ時間が多いだけで高校生なんだから。一切合切興味がない、という清廉潔白な人間ではない。
散々恋愛対象じゃないと否定されながらも出会って半年くらいは瀬名相手にだってときめいたものだ。さすがにもうしないけど。
「まぁ本人のみぞ知る、ってところだろうし。気になるなら聞いてみればいいのに」
「……調子乗ってるみたいだから聞かない」
「えぇ……昼間のあれは調子に乗って当然だと思うよ?特別じゃない子にあんな構い方しないでしょ」
「…………そんなの分からないよ」
色とりどりのドリンクを、一気に飲み干す。
氷が鼻に当たって冷たい。喉を通っていくフルーツジュースはいろんな味が混ざり合っていて、美味しくて。くらくらする。
「あ〜……この話はもう終わりにする。時間取らせてごめんね、ありがと」
「……鹿矢ちゃんがそれでいいならいいけど。なんか変な方向に考えてない?」
「そんなことないよ。ふつう」
息を整えて、背伸びをする。
自惚れを取り払うように天井を仰ぐ。シャンデリアがきらきらと光っている。星の集合体みたいだ。
――朔間さんにも、青春っぽいものに対する憧憬があるとするのなら。
私へのちょっかいやらも学生というモラトリアムを楽しむ一環なのかもしれない。プロデューサーであり後輩のあんずちゃんとだって仲良くしているみたいだし。
「(……あー、もう。学ばないなぁ)」
そうだ、未だに特殊枠だったとしても、もうそれは私だけじゃない。……もうあのひとの周りの女のひとだって私だけじゃない。
後輩枠も、本物の特別枠も、増えたんだ。
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