#21



波の音は耳に馴染んでいるから好きだ。
枕が変わると眠れないと言うけれどこれなら平気かも、と快晴の空を臨まないままに瞼を閉じる。日本からは見えない星だって見えるはずなのに。なんとなく、そんな気分だった。

ただぼうっとしていたくて、気を紛らわせたくて砂の上に寝転がった。
髪とか服に付着するかもだけどまぁいいでしょ。あとで、叩けばどうにでもなるし。

昼間に送った瀬名へのメッセージには数時間前に反応が来ていたらしい。おそらく寝る前に返してくれたのだろう。
時差ボケ気を付けなよ、だなんて。写真への感想はなしですか。まぁ瀬名らしいといえばそうなんだけど――お土産楽しみにしてて、と私も私で彼の言葉を無視したメッセージを送信する。
今頃日本は夜中か、夜明け前かな。……よく考えないで送ってしまった。通知切ってるといいんだけど。


このバカンスは『fine』がホストである。
明後日の、本島での合同ライブの“仕切り”もあんずちゃんが居るとはいえ、伏見くんと二人がかりで行うとなると――『UNDEAD』は恐らく不利。
……伏見くんはともかく、天祥院に悪意は無いと思う。仮に『UNDEAD』を完膚なきまでに叩きのめす企みがあるとするのならサポート役を認めなかっただろうし。
それに勝ち負けなんてない、お祭りを盛り上げる一節だから憂慮する必要はないのだろうが、気を張っておくに越したことはない。

けれど。『広報』として私は、当日のマスコミの対応や海外の報道陣とのコミュニケーションに重きを置くようにとそれとなく牽制されている。
数少ない海外経験の機会だから当然だし、感謝さえすれどプロデューサーではないから悲観すべきことでもないのだが、『UNDEAD』のサポート役という立場からすれば好ましくない状況だ。

合同ライブの行われる本島は天祥院財閥の恩恵を受ける地だと聞く。あらかじめ手を回されて『fine』のステージに仕上げられるなんて想像に容易い。

「(朔間さんの指示を待つ?……ううん、自分で考えて動かないと。でも海外でどうやって。私の知ってる中で海外事情に強いのは朔間さん…………いやいやいや)」

自分で考えて動くって話でしょう。
慣れない環境で疲れているのか、頭がうまく回らない。……というか、此処を訪れたのは気分転換のはずだったのに。結局は思考してしまって、休息と仕事のメリハリをつけられないのは私の短所だ。

気を落ち着かせるのにちょうど良い、生暖かい風が過ぎていく。
びゅう、と風の音が続いて細かな砂が全身に降り掛かる。最悪だ、起き上がろうとした身体をぱちぱちと叩くので地味に痛い。強風が吹くなら吹くって予告してほしい、それなら寝転がりなんかしなかったのに。自然現象に何を言ったって仕方ないんだけど。

慌てて浜辺から駆け出る様はそこそこ滑稽だっただろう、近くに誰も居なくてよかったと息を吐く。
しかしどうも粒が目に入ってしまったようで、ぶわりと涙が溢れてくる。砂まみれの手で拭ったところで悪化するのは目に見えている。ひとまずは垂れ流すしかない。

どうか誰も来ませんように、こんな姿を見られるのはあんまりだから――なんて願ってみる。
けれど神さまは私のことがあまり好きじゃないらしく、隠すつもりのないそれが、ざくざくと音を立ててこちらへ向かってくる。

「鹿矢」

叱咤の混ざった声。近頃よく聞く、不機嫌寄りのもの。
ホテルからすぐそばの浜辺に居たのだからなにも不思議ではないのだが、今はイヤだって言ったよね。タイミングが悪すぎる。

「……こんばんは。朔間さんも散歩?」
「いいや。おぬしが一人で出て行くところを見たと薫くんに聞いてのう、不良学生の鹿矢ちゃんを回収しにきたんじゃよ」
「そ、そうですか……不良だなんて。あはは」

――どうしよう。ごくり、唾を飲み込む。
ここで振り返れば間違いなく泣いていたと誤解されるだろう。私の「大丈夫」はもう信用しないとか言っていたし。

無駄な抵抗、もとい突き刺さる視線から逃れるように顔を逸らし続けていると不快を詰め込んだ声が私の名前を呼ぶ。嫌な方向に察されている気がするけどこれはもう逃れようがない。
観念して目を合わせれば案の定――暗がりの中で朔間さんの表情が歪んでいくのが薄く見えた。

「……言っておくけどあの、これは寝転がってたら砂が目に入っただけだから!ほんとに!あ、いったぁ」
「……」

砂の粒が瞼の内側でごろごろしてる、気持ち悪い。めちゃくちゃ痛い。
涙と一緒に出してしまおうと躍起になって瞬きをしていると無言で目元にハンカチが添えられる。潤んだ視界から僅かに見えたのはどこか安堵したような呆れ顔。罪悪感のようなものがずぐりと痛んだ。



***



夜更けにふらふら徘徊するな、夜の海で寝転ぶな、そもそも海外の地を一人でうろつくな、と――ようやく目がスッキリした私に飛んできたど正論を受け取って、若干不貞腐れながらも朔間さんの少し後ろを歩く。
反抗期の子どもを躾けるが如く手を引かれているので、ロマンスの欠片も感じない。

海岸沿いの整備された道を、思い出話に花を咲かせながら歩いていく。回収、と言っていたので部屋に連れ戻されるかと思いきや彼も彼で歩きたかったらしい。
見慣れない私服姿に改めて此処は学院ではないのだと実感しつつ、靡く朔間さんの髪を見つめながら。灯りのほとんどない場所で揺れるそれは夜の暗闇を凝縮したみたいだ。

「……そういえば。夜中に校舎に残っておったところに鉢合わせたこともあったのう。たしか【デッドマンズライブ】の前日じゃったか」
「……うわ、懐かしい。ライブに来るなら誰かと来い、先輩の命令は絶対〜って言ってた日ね」
「くくく。よく覚えておるのう」
「今よりずっと友達の輪が狭かったし、ふつうに話す先輩なんて朔間さんくらいだったから」

三年生という意味では『チェス』に居たけれど、先輩らしいことをしてもらった記憶はあまりない。雑用をこなす使用人とでも思われていただろう。

私にとって先輩と呼べるのは朔間さんだけだ。
……あの頃からなぜか実力も半端な私を信頼してくれていることを知っている。そういう類のものは私だけに向けられているものじゃないにしても、応えたい。ずっと、そう思い続けている。

『UNDEAD』のサポートとしては正直、先ほど思い悩んでいた通りどん詰まりではあるんだけど――ひとりで悩んでも仕方ない。自分の至らなさを曝け出すように、言葉を吐いた。

「……あの。今回の合同ライブ、もしかしたら力になれないかも。せっかくサポート役に選んでくれたのに。ごめん」

ほう、と朔間さんは意外そうに声を漏らして、手を握る力を緩める。
強がってばかりだった私の吐露に驚いているのだろう。

「そう言いながらも道を模索し諦めぬのが我輩の知る『広報準備室』の鹿矢ちゃんじゃ。違ったかのう?」
「……そうですけど」
「うむ。まぁ、仮に天祥院くんの企みがあったとしても間者のような真似をさせるつもりはない。……【サマーライブ】では単身敵陣へ送り込まれて居心地が悪かったじゃろうて。あれはあれで――むしろ爽快感すらあったのかもしれぬが」

それはまた別の話じゃ、と朔間さんは歩く足を止めて私へ視線を下ろす。

「ともあれ。鹿矢の心のままに動けば良い。おぬしの一番好ましいと思う策を見つけ、我らを導いておくれ」
「……心のままに。……うん、最善を尽くすよ」

導くとか、プロデューサーみたいだけど。
信頼を置かれるのは嬉しいし、不思議と大丈夫なように思えて心強い。
やっぱり朔間さんは私にとって憧れの先輩だ。烏滸がましいと罵られても。なりたい自分の側面を持つ、尊敬すべきひとである。

「……。やはり心地良いものじゃのう」
「……なにが?」
「何にも。……ああ、髪にまだ砂が絡まっておる。取ってやるから大人しくしておれ」
「え。自分でできるよ、ねぇ。ま、待っ、」

待って、という言葉すら言い終えるのを待ってくれないらしい。
お構いなしに伸ばされた指が纏う砂を落としていく。朔間さんの顔が無意味にそばにある。

耐えられずに目を逸らして、髪と、彼の指の向こうという逃げ場に視線を滑り込ませる。
途端、視界に映ったのは、光の粒が落ちていく姿。――星が、空を駆けていた。

「(流れ星、)」

一秒にも満たず消えていったそれは見間違いだったのかもしれない。けれど、残された星々に目をやるきっかけには十分だった。
星で埋め尽くされた空は旅行雑誌で見る景色よりもずっと美しくて、異様だ。その下できらきら光る海が小さく波打っている。

初めてバイクに乗せてもらった日に見た、春の海と空の景色が脳裏を過ぎる。時間も場所も何もかも違うのに、似ている気がするのは朔間さんがそばに居るからだろうか。

腕を回した身体が細身なのに頑丈で少し気恥ずかしくなってしまったことも、ヘルメットと風で髪の毛がぐちゃぐちゃに乱れてしまったこともまるで昨日のことのように覚えている。
でも――どんな話をしていたっけ。エンジン音にかき消されてながら何かを叫んでいた気がするけれど。そこまでは覚えていない。

「……すっごい綺麗」
「……そうじゃのう」

いや、私を眺めてても楽しくないでしょ。空を見なよ、空。ほらそこの星とかすごい光ってるから、と私は天を指さす。けれど朔間さんの視線も指も私から離れない。砂は、とっくに払い終えているようだった。

目が合って、綺麗な顔がこれ以上ないくらいに近づいてきて。どちらともなく言葉は消えて波風だけが音を成す。――刹那、柔らかな感触が頬に落とされる。

次第に離れていく朔間さんは悪戯っぽく口角を釣り上げている。
……たしかにまた今度、とは、言ったけど。距離感に、つい思い出しちゃったけど。まさか覚えていたなんて。あれで終わりだと思っていた。

「……………………間接キスですが」
「上書きじゃよ。定番じゃろ、こういうのは」

遅れてやってきた羞恥心に顔を覆うことも出来ずに私は頬の紅潮を晒している。なので見ないでほしい、恥ずかしくて泣きそう。いつの間にか絡められていた指に血が巡っていくのがわかる。

「因みに。今のは『友達』の我輩の分じゃから、次回は『先輩』の我輩からくれてやろう。……これで終わりと思ったら大間違いじゃぞ」

またその顔を見せておくれ、と私の言葉にならない懇願を無視して朔間さんは怪しげな笑みを浮かべている。海外の星空が背景なだけあって、絵になるのが腹立たしい。

ああ確信した、このひと絶対に反応を面白がってる。
――もしくは。ややこしい現実でも笑っていられるように、私の息抜きに付き合ってくれている。どちらかは、分からないけれど。どちらかは、たぶん。合っているのだろう。それとも両方か。
どちらにせよ。愉しげに目を細める朔間さんには到底敵いそうにない。




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