#23




むくり、夢から醒めて起き上がる。
……いつの間にか眠っていたらしい。ここ数日はアラームに頼りきりだったので、自力で起きたのは久しぶりかもしれない。意識はまだ、ふわふわしている。

「(…………あれ……パソコン)」

そういえば机に置きっぱなしにしていたパソコンが見当たらない。…………もうバッグに入れたんだっけ。あとで荷造りする時に確認しないと。

昨夜は部屋に戻ったあとお風呂に入って、ラウンジで羽風と話していた気がするんだけど――いつ寝落ちてしまったのだろう。
もしかしたら羽風が部屋に送ってくれたのかも。朝食の時にお礼を言わないとなぁ、と思いながら欠伸をする。

廊下を歩く人の音はしないから、あと三十分くらい寝れるかな。
醒めたとはいえ五感はほとんど働いていないうえに瞼も重い。……アラームは定刻に鳴るように設定してる。鳴っていないということは、すなわちまだ余裕があるということである。
よし!と二度寝を決めた身体は颯爽とふかふかのベッドへ帰還する。

沈んだ隣で、何かが動いた気配がしたけど――ベッドの上に置いていたペットボトルが転がりでもしたのだろうか。
目を擦りながら手を這わせればひんやりした何かに当たって、思わず視線をやった先で。私の世界はすばやく硬直していく。

「……っ、!?」

言葉にならない呻めきのようなものが思わず吐き出て、息が詰まる。咳き込んでしまいそうなのをなんとか抑えて目の前を凝視する。
さ、さ、さ、朔間さんが、隣で、寝てる。たった今触れた冷たいものの正体は、朔間さんの、手だ。

………………どうして朔間さんが部屋に。
……ううん、というか。もしかして。パソコンが無いのは。なんとなく漂う香りがここ数日過ごした部屋と異なるのは。

「(私が朔間さんの部屋に居る…………)」

嘘でしょ、どうしたらそうなるの。
泡を吹いて倒れてしまいそうなのをなんとか持ち直して思考を巡らせる。

…………隣で眠っているのは何度見ても朔間さんだ。紛れもなく朔間さん。朔間零。意味が分からない。
羽風が送ってくれたんじゃなくて、自分で戻ろうとして――へ、部屋を間違えてしまったとか?いや絶対に無い無い。私と朔間さんの部屋は一番離れていたしもはや逆方向だったでしょ。ルームキーだって開くはずがない。

「………………」

シーツに広がる漆黒の髪は、色っぽい。
相変わらず綺麗な顔で――寝姿さえもステージとはまた違った妖艶さと魅力があって美しい。額縁を添えて遠目から見れば絵画と言われても信じてしまいそうな美麗さを独り占めしている。

一番見慣れた寝顔である凛月と似ていると感じるのは兄弟だし当たり前ではあるのだけど。
静かに息を立てる姿は、なんていうか。余裕っぽい表情を浮かべていないだけで年相応に見えるものだ。

「(あー違う違う……もう、もう……)」

寝起きのゆるい脳みそに喝を入れて、拳を握る。
……私がこの部屋にいたのは、少なくとも朔間さんが招き入れてくれたからなんだろう。
経緯は今は気にしないでおくとして、皆んなが起き始める前に部屋に戻らないと──万が一朔間さんの部屋から私が出てくる、なんてところを見られたら色々と誤解を生むに違いない。
弁明すれば半分くらいは信じてもらえるだろうが、天祥院あたりにはしばらくネタにされそうなのでできれば避けたいところだ。

「(で、でも何の断りもなく部屋を出るのは……。挨拶くらいしていくべき……?)」

ちらりと様子を窺ってみるが朔間さんは起きそうにない。
昨日の疲れだって残っているのだろう。朝が決して得意ではないというのは知っているし、恐らくはまだまだ夢の世界を徘徊しているに違いない。

でも、このまま悠長に時の流れに身を任せてしまったら、大神くんあたりが起しにくる未来が容易に想像できるので──申し訳ないけどルームキーを探し出して部屋へ戻るのが先決である。
しかしそこはさすがの朔間さん、カーテンはしっかりと閉じられていて部屋は真っ暗闇。日も顔を出してすぐなのだろう、僅かにこぼれ出ている陽光だけが頼りで心許無い。

起き抜けでまだ暗闇に目が慣れていないうえに、私の身体も少し疲労を抱えている。だからすっ転ぶなんて大ポカをやらかして朔間さんを起こしかねない。……ここは慎重に動かなくては。

動きは最小限にベッドを降りようと試みる。
まぁそれでも動く以上軋まないはずがなく、ぎし、と静かな部屋に鳴り響いた音にさあっと血の気が引いて――再び何かが動く気配に背筋が凍る。

嫌な予感しか、しない。
もちろん、そういう予感は的中するものだ。後ろから伸びてきた手に腕を引かれて私の身体はベッドに逆戻り。定位置のように朔間さんの隣へ落ちていく。
恐る恐る手の主に視線を向けると――赤色が暗闇から私を臨んでいた。

「…………」
「ひっ……」
「……、」

眠りを阻害されたことに対して怒っているのだろうか。
すみません、と小声で謝っておく。ここは普通おはようでしょうが、とも思うけど。

朔間さんはじい、としばらく私を視界に捉えたのちに瞼を下ろす。掴まれている腕の力がゆっくり抜けていく。……もしかして寝ぼけてた?ならいいなぁ、と胸を撫で下ろしたのも束の間。

「……鹿矢」
「はっ、はい」

落ち着きを取り戻しかけていた心臓が再びどくどくと脈を打つ。
けれど。やはり、どうも微睡のなかだったらしい朔間さんの言葉は数秒待っても続かない。
そこに見えたから呼んだみたいに――在ることを確かめただけの言葉を置き去りにして、朔間さんは夢の中へ帰っていったようだ。
……夢じゃないんだけど、掴んでるそれは。

眠ってるっていうのにそんなカッコいい顔をして、一体どんな夢を見ているのやら。

「………………、鹿矢」

今度は、寝言だろうか。
宛もなく呟かれたそれは聞く人が聞けばロマンチックな代物だ。眠りに浸る彼を横目にはあ、と深く息を吐く。

私の腕を掴みっぱなしの朔間さんの手は、冷たい。冷房が効いているから余計にだろう。
片手で布団を肩までかけて、そのまま温度を感じない手のひらに触れてみる。
何度も私を撫でてくれた朔間さんの手は指先まで冷たい。……改めて思う、大きな手だ。これで幾らかは暖かくなるといいんだけど。

「…………鹿矢、鹿矢って……呼ぶだけ呼んで、置いていかないでくださいよ。朔間先輩」

朝の始まりも始まり、脳が麻痺して理性を若干手放している隙に。久しく口にしていなかったそれを意識的に吐いてみる。
あり得ない終わった話の続きっぽく――彼の顔を覆っている髪の毛を耳にかけて。本来なら赦されることのない距離を、微睡を言い訳にゼロへ導いていく。

ああ、私は“こういう”ことを形式的にではあるけど許されていたんだ。
『朔間零の女』はもう居ない。自分で殺した。だからもう、こんな機会は二度と訪れない。そりゃあ、そうだ。

……なんか布団の中、あったかくて眠くなってきた。二度寝には最高の居心地だ。
スキャンダル!天祥院!此処は朔間の部屋!と警告を鳴らす脳内の瀬名にあと五分だけと言い残しながら、睡魔に誘われるがままに、私は投げ捨てるように意識を手放した。



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