#04




「ふぁ……」

夕日も沈んで、星々が煌めき始めた頃。
軽音部部室にカバンを置きっぱなしにしていたことも忘れて、書類を提出するだけだったはずの生徒会室で結局書類仕事を手伝ってしまったので、へとへとになりながらも舞い戻って――結局、吸血鬼の眠りにつく棺桶を前にキーボードを叩いている。

『あ、妻瀬先輩ちょうどいいところに!』

葵兄弟曰く、朔間さんはまだこの中で眠っているらしい。
あとは頼みましたー、と走り去っていった彼らをよそに、私も私で整理したかったデータがあったので、ノートPCを取り出して仕事を再開した。

少し経てば起きてくるだろうし、そしたら切り上げよう。なんて思っていた私は、この後二時間弱キーボードを叩くことになるとは思わず。
「キリが良くない」「朔間さんはまだ起きない」「もう少しやってたほうがあとで楽」と理由をつけてはエナジードリンクを喉へ流し入れ、延々と時折ブルスクを吐く画面と睨めっこをしていた。

「ん……、データ差し込み忘れてる。うわ、関数もズレてるし……」
「鹿矢?」
「――――――――――――――」

ぬっ、と音も無く後ろから現れた朔間さんに驚いて、気絶するまでは。



***



「心臓、止まるかと、おもった」
「大袈裟じゃのう。べつに暗がりでもなかったんじゃし」
「だって棺桶の中にいるかと……」

結論から言うと、葵兄弟の言っていた「棺桶で寝てる」はうそで、おおかた私にいたずらをしたかっただけなのだろう。
朔間さんはどうやら日々樹くんと世間話に花を咲かせていたようで、軽音部部室に戻ったところひとりで黙々と仕事をする私がいて、声をかけたのだと言う。そして私は気絶、と。
疲労の蓄積された身体には衝撃が強かったというか、まあまあのジャブが入った心地だ。

「それにしても。久しぶりじゃのう、こうして二人で帰路に着くのは」
「……そうだねえ」

朔間さんと二人で帰るのは、数ヶ月ぶりだ。
そもそも授業すらサボりがちな彼と学校で顔を合わせるのはほとんど軽音部部室だし、いつも訪れているわけではない。
帰りの時間が被るというのであれば、『Knights』の面々や生徒会の庶務で遅くまで残っている蓮巳たちのほうが多い。

「今宵は星がよく見えるのう」
「ほんとだ。快晴だね、都会なのにきれいだ」

春の星座はあまり知らない。
朔間さんは知っているのだろうけれど、聞くのもなんだか癪なので黙っておく。

商店街の灯りも街灯以外は消えていて、近くの家から夜ご飯の匂いがする。
いつもと変わらない帰路に朔間さんが隣にいるのはやはり新鮮だ。
夢ノ咲に在学している以上、所謂美形の顔には比較的慣れるのだが、月明かりに照らされている朔間さんにはついつい見惚れてしまう。

勿論言葉にはせず、他愛のない会話をしながら歩いていく。
話題にあがるのはやっぱり彼らのことで、朔間さんも気に入っているのだろうことが窺える。

「氷鷹くんはともかく遊木くんはボロボロだったけど……結構頑張ってるみたいだね」
「くくく、わんこにだいぶ鍛えられておるようじゃからのう」
「あはは……革命、うまくいくといいねえ」
「……不安かえ?」
「不安、って?」
「この革命の行く先じゃよ」

血を閉じ込めたような赤い瞳が私を捉える。
逃れようのないそれは刺さって離れない。

そりゃあ、まったく不安ではないと言ったら、ウソだ。
彼らを倒すことが、難しいことを私はよく知っている。朔間さんは私なんかより知っているはずだ。
それでも。五奇人として一度討伐されてなお、朔間さんは、『Trickstar』とあんずちゃんを導く道を選んだ。
凡人である私なんかに、その行く末なんて分からない。分からない、けど。朔間さんの思いは報われてほしいと思う。

『妻瀬さん。君は、酷い子だね』

……ああ。イヤだな。
“革命”と聞けば、私にとってはまだ“彼”の為したものだ。チラついてしまうし、まあまあイヤなことを思い出してしまう。

かつて、秩序を掲げ夢ノ咲学院を頂いたひと。
入念に策を練って、何を犠牲にしてでもそれを為さんとした人の表情が脳裏を過ぎる。
この革命が為されたら。……また、誰かが苦しんでしまうのだろうか。笑えなくなってしまうのだろうか。

「みんなが笑って、輝けるような夢ノ咲になると嬉しい。……理想論、だけど」

そんなハッピーエンドがあったのなら、なんて笑ってみせる。
今更だけど、たとえばそんな物語があるとしたら、その一端を担うことができるのなら……少しは償いになるのだろうか。

「後輩が頑張ってくれるんだから。それなら先輩が後ろを守ってあげなきゃだよね」
「……頼もしいのう」
「わ、」

子を見守るように笑って、朔間さんはわしゃりと私の頭を撫でる。
朔間さんは私の承認欲求を埋めるのが上手だ。
感情が見え見えということかもしれないけれど、……去年だって散々こうして励まされてきたのだ。
頼もしい、という一言が、私の推進力になることを知っている。

「鹿矢の頑張りは我輩も、みんなもよく知っておるよ」
「……あはは。ありがとう」

そう。だから多分、他の不安なことも、全部お見通しなんだろうけど。
革命の行き先。そのまた先のこと。
革命に関係の無い話。どうにもならないこと。

「大丈夫だよ。二年間やってきたんだから」
「……うむ。それでこそ鹿矢じゃ。明日からまた頼むぞい」
「うん、じゃあここで。また明日ね」

大丈夫。
たとえ今がウソだって、信じていれば本当になるもの。
虚勢も、何もかも信じてきたからこそ二年間生きてこれたのだ。



***



『……広報準備室ですが、次年度いっぱいでの廃止が正式に決定しました』

冬の終わりに椚先生から言いにくそうに告げられた、突拍子の無い余命宣告はほんの数秒、私の世界を止めた。
――広報準備室は私の卒業をもって、終わるのだという。

『春から、プロデュース科が新設されます。広報準備室の一部を含むカリキュラムで新たにスタートする方針になりました』
『……ええと、私はどうなるのでしょうか』
『仕事は順調でしょう。貴方は、引き続き広報準備室で精進するように。プロデュース科の生徒の――後輩育成についてはその一部を任せることになるかと。その折にまた説明の機会を設けます』
『……分かりました』

淡々と述べられるそれに言葉を挟む余地はなく、ただ現実としてのし掛かってくる。
私は、プロデュース科へ転籍することもなく、広報準備室とともに終わるらしい。

ありがたいことに私は日々忙しくしているし、請け負った仕事を全うしていると思う。
けれど、大袈裟に言えば、学院から切り捨てられたと同義なのだ。

『広報準備室では足りなかった』
『プロデュース科を新設しよう』
『あと一年だ。転籍させて、新たに学ばせる余地は無い』

――うん。つまりはそういうこと。
実際の審議を聞いたわけではないが、結果がそれを物語っている。現実は思っているよりずっとシビアだ。当然だ。
学院が荒廃していたとはいえ、この二年間で望まれた結果を出すことができなかったということに変わりはない。
とはいえ一年を、妥協をしてもらえるくらいの存在ではあれたのだ。喜ばしいことじゃないか。

綺麗さっぱり自分の居た場所がなくなると言うのは、卒業後とはいえつらいけれど。
……だから多分、朔間さんは心配してくれていたのだ。分かっている。それはすごく、ありがたいことだ。

駅まであと少しのところで、立ち止まりそうになる足を無理やり動かす。
風が、冷たい。ブレザーだけでは寒い季節だ。明日からはカーディガンを羽織ってこよう。

春はまだ、少しだけ寒いから。




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