#28




「っ、」

ぐらり、突然視界から消えかけた鹿矢をどうにか抱き留める。
……先ほどまでは日陰でよく見えていなかったけど。陽光に晒された顔色は真っ青で、不調なのが見て取れる。
起き上がろうとはしているものの力が入らないようで、ぼくに支えられたままだ。

「ご、ごめん、ふらついただけだから」
「……。ジュンくん、タクシーを呼んできてくれる?急いで」
「は、はい!」

駆けていくジュンを見送って、落ちてしまった荷物を背負って。意識だけは保っている鹿矢を抱き上げる。
周囲にいるひとは少なく、そのほとんどがスタッフとはいえ――人目を引いてしまうのは本意ではないだろうから。とりあえず、と目に付いた日陰へと足を進める。……彼女の消耗を代弁するかのようにだらだらと流れ出る汗が痛々しい。

「……鹿矢、ご飯は?」
「食べた、よ。ちゃんと水分補給もしてたし、昨日も早く寝たし、」
「うん。えらいね。……近ごろお休みは?」
「あんまり、なかったかも」

力を振り絞ってぼくのシャツを握りしめた鹿矢の、薄く開かれている瞼から申し訳なさそうな瞳が、ぼくだけを捉えて縋っている。
――悪くない、と過ぎる思考が憎らしい。きみは苦しんでるっていうのにね。

「巴、おろして平気だから。重いよ、」
「だめ。これ以上体調が悪化するのは鹿矢も嫌だよね。ジュンくんがタクシーを呼んでいるからそれまでの辛抱だね」
「たくしー、」
「……救急車を呼んで目立つと良い展開にはならないだろうし。ぼくなりの気遣いだね?感謝すると良いね」

ごめん、と小さな呟きに深い溜息が続く。
ぼくに抱えられたままの鹿矢は、顔を手のひらで覆って、浅い呼吸を繰り返している。
……あの時のように泣きそうってわけでもないけれど、不甲斐なさだとかそういうものに苛まれているのだろう。

「……ぼくが付き添ってあげるから。きちんと病院で診てもらおうね」

その単語に反応することは分かっていた。
確信に近かったそれは見事的中と言ったところで、ぴくりと身体を揺らす。

「…………やだ、病院だけはいやだ、」
「…………」

だろうね。というのは心の中に秘めておいて。
英智くんとまではいかないにしても実際に経験したわけだから、鹿矢にとっての『病院』は身動きを取れなくする象徴そのもので。
『花火大会でのライブ』が本来の予定だったと言っていたくらいだ。這ってでも辿り着きたいに違いない。というか『楽しみにしてます』って大きく顔に書いてあったし。

まぁ結局はその前に。恐らくは――慣れない環境と炎天下の中で張り続けていた緊張の糸が切れてしまって、積りに積もった疲労が降ってきてしまったわけだけど。
……そんなに声を震えさせて。拒絶反応を示して。ただ病院に行きたくないだけの子どもみたいに必死に拒むだけじゃ説得力が無いね。

「お願い、巴。今日はどうしても行きたいの。病院にだけは連れてかないで」
「大袈裟かもしれないけれど。それは鹿矢にとって命を懸けるほど価値のあるものなの」
「ある」
「……即答とは恐れ入るね」

タイヤが砂利を擦る音が聞こえる。
ジュンくんが呼んでくれたタクシーだろう。
降りてきた声に応えるように視線を送って、そちらへ歩き出す。

常識的に考えれば。無理矢理にでも病院へ詰め込んでしまうのが正解で、仕事現場へ赴かせるなんて以ての外。本当に大切に思うのなら彼女の希望を許してはならない。
周囲にいる人間がどういうひとたちなのかは知らないけれど――短くはない時間を共にした似たもの同士だというのなら、“這ってでも止める”はずだ。ぼくだってできることならそうしたいのだけれど。

なるべく衝撃を与えないように、ゆっくりと座席に下ろして隣に腰を下ろす。
運転手に行き先を告げて――ペットボトルの飲み口を唇に当ててやれば、鹿矢は恥ずかしそうにこちらを向いた。
まだまだ顔色は悪くはあるものの涼しい車内へ移動して多少は落ち着いたのだろう、いくらか気力を取り戻した様子に安堵する。

「きみの気持ちはよく分かったからね。……悪いようにはしないから、とりあえず今は何も考えずに休むといいね」
「……わかった」
「……特別に、肩も貸してあげるからね。まぁぼくは膝枕でも良いけどね?」
「そ、それは恥ずかしいから……肩貸してください」
「ふふ。どうぞ?」

たかだかライブの一回、出演者でもないのだから鹿矢が欠席したところで大きな影響はない。
無理をしてまで赴く必要はない。
そもそも“そういう”無茶な思い切りが本末転倒なことくらい知っているだろうに。

「(破滅的で、まっすぐな鹿矢。……だからこそ愛おしいのだけれど。強情すぎるのも考えものだね?)」

少し控えめにぼくの肩にもたれかかって寝息を立てる彼女は、穏やかな表情だ。
汗で身体を冷やしてしまわないように出来得る限りハンカチで拭ってやる。頬を伝う水滴は涙のように見える。実際には、泣いてなんかいないのだろうけど。

僅かな休息すら邪魔するように。現実へと引き戻すように、鹿矢のものだろう――ポケットから転げ落ちた端末の画面が点灯する。
振動の続いたそれに、手を伸ばした。




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