#31
「……遅かったじゃん」
ようやく来たかと言わんばかりに腕組みをして、セッちゃんは鹿矢を出迎えた。
先に椚先生や代表者のもとを訪れていたのを遠目に見ていたのだろう。とくに驚いた様子はなく、顰めっ面というわけでもない。
「遅くなってごめんね。色々あって。……ステージは大丈夫そう?」
「……大丈夫。俺が仕事で手を抜くわけがないでしょ。昼間は正直キツかったけどさぁ?」
「あ〜……、今日めちゃくちゃ暑かったよね。夜は少しマシになるとは思うけど」
扇いであげる、と道中で配布していたうちわでそよそよと風を送る鹿矢の顔色はいまいちだ。
……たぶん『遅れた理由』はそういうこと。
確定じゃないけど近頃は予定だらけだったし、ダブルパンチだかトリプルパンチを喰らった身体は限界に達してしまったのだと思う。
比較的復調したセッちゃんがそれに気づかないはずがなく、顔には出していないものの無言でプレッシャーを放っている。
けれどそれをものともしないように、鹿矢はセッちゃんの汗を拭ってみせた。
「本番、頑張ってね。どんな花火よりも綺麗に映してみせるから」
美しさすら孕んだ虚勢を掲げて鹿矢は笑う。
追いかけ続けた彼の背中をただ肯定するだけの言葉を唱える。彼女の瞳が鮮やかな炎を映している。
……さっきまで怒られないかって怖気付いてたくせに、こういうことをさらりとやってのける度胸があるあたり長くセッちゃんと接してきたんだなぁと実感する。
中心に棲まう水色が、ちょっとだけ羨ましい。
手を払いながら、けれど少なくとも不快ではないと見て取れる表情のセッちゃんはまっすぐに鹿矢を捉えている。
ほんの僅かに、一瞬だけ揺らぎを見せて。
「……なに調子こいてるんだか。それは最低ラインでしょ。一応期待はしてあげるから、妻瀬も頑張りなよ」
「あはは、了解」
時間がないとはいえ俺はてっきり――何があったのかの問い詰め合いっこが始まると思ってたんだけど。夏の暑さだとか双方の余裕の無さが混ぜこぜになって、よく分からないままに丸く収めてくれたみたいだ。
春の頃に、鹿矢のそれは呪いだと思っていた。
ナッちゃんの言っていたように外野がとやかく口出しをするものじゃない。――けどこのままで、当人同士のやり取りだけでどうにかなることなんて本当にあるのだろうか。時間が解決するようなことなのだろうか。
「……分かってるとは思うけど、あんたが居なかった分あんずが頑張ってたからねぇ。遅れて来た分は仕事で返しなよ、『先輩』?」
「もちろん。先輩の意地を見せなきゃね」
この調子じゃ到底、難しそう。
鹿矢の望むものをセッちゃんが本当に理解して投げかけてあげるまでの辛抱だとしても、その前に時間切れが来てしまうんじゃないかとすら思う。心配しすぎと言えばそうなんだけど。
──やっぱり呪いめいている。
けれどそれすらも鹿矢にとっては、いや、きっとセッちゃんにとっても──お互いが強く在るための『おまじない』のようなものなのだろう。
数時間前までは別々の場所で顔を青くしていただろう二人は事実や真意を確認しないままに鼓舞する言葉を贈りあっている。分かりあっていないだろうに、分かりあった気になっている。
……いっつも“こんな”だけどいいのかなぁ。お互いに。なんて意を込めながら二人を見つめてもすでに『いつも通り』の雰囲気が漂っているからため息も出ない。
「(いい感じにぜんぶ解決しました、みたいな空気だけど。俺は納得しないからねぇ?)」
だってそういうのを放置した挙句に鹿矢はまたいろいろ背負い込んで、ひとりで潰れかけてしまっているみたいだから。
今度こそ離さないようにと指を絡める。困惑と照れの入り混ざった──大好きなひとから奪ってやった視線が、たいへん心地良い。
「ねぇ鹿矢。挨拶もひと通り済んだことだし、休憩が終わるまで俺に付き合ってよ。夕日を眺めながらジュースでも飲もう?」
「そ、それはいきたいけど……仕事が、」
「俺の休憩に付き合うのも仕事のうちでしょ。いいよね、セッちゃん」
「……べつにいいんじゃないの。今はこれと言った仕事もないし、俺ももう少し休みたいから適当に連れてってよ」
「うん。そのつもり」
俺との距離感がバグっている(セッちゃん調べ)とはいえ、仲の良い友人の前で手を繋ぐのはさすがに恥ずかしいのだろう――鹿矢はほんのり頬を赤らめている。
橙を纏った鹿矢はいつもより鮮やかに見える。
風に靡いた髪が顔を隠すみたいに流れていくのがじれったい。何度も指に絡めたそれが今は少し邪魔に感じる。
……珍しい光景でもなんでもないのに。よく分からない感情に静かに蓋をして、彼女の手を引いた。
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