#35





突然会話から消えたかと思えば、妻瀬は夢の世界へ旅立ったらしい。

「……嘘でしょ、もう寝たの?」
「寝てるねぇ。間抜けな寝顔を晒しちゃってまぁ」

端末を片手に寝こけてしまった妻瀬にタオルケットを被せたくまくんは穏やかな笑みを浮かべている。相変わらずだなぁ、と溢しているあたり特段珍しいことでもないのだろう。
くまくんの言う『甘やかす係』を疑うこともしていなかったけれど、想像よりも近しい関係にあるのかもしれない、と思考はひとつの結論に辿り着く。

「紅茶淹れるけど、セッちゃんも飲む?」
「……俺はいいよ。…………くまくんってさぁ、妻瀬のこと好きなの」

なるくんがどうこう言っていたような気もするけど、純粋に疑問だった。
だからというか――身内のことだからと割と意を決して聞いてみたものの、俺の視線をするりと抜けたくまくんは日常のしぐさのひとつかのように棚から茶葉を取り出して紅茶の支度をしている。

「春頃からよく聞かれるな〜とは思ってたけど、ついにセッちゃんからも言われちゃったかぁ。……そういう風に見えるもの?」
「一般的には。それに少なくともクラスの連中とはくまくんほどベタベタしてないし、妻瀬にしては特殊な距離の取り方だから気になっただけ」
「ん〜……、近ごろの鹿矢ってそのへん緩い気もするけど。……気が抜けてるってわけじゃなくて、思考を割く余裕が無いように見えるんだよねぇ。夏前くらいからあからさまに様子おかしいでしょ」
「だとしても、本人は言いたくないんでしょ」
「うん。そうっぽい」

――さすがセッちゃん、鹿矢のことならなんでもお見通しなんだねぇ。なんて態とらしい感嘆に続いてやかんの音が鳴る。
そうだったら苦労しないよと反射的に口にした言葉はもちろん打ち消されてしまって、二度告げるのも面倒でぼうっとしているうちにくまくんの鼻歌が聞こえてくる。
音階が外れることのないそれは子守唄にちょうど良く、そばで眠っている妻瀬も心地よさそうな表情だ。

「……夢で仕事するわけじゃないんだから、これは要らないでしょ。ったく、世話の焼ける」

端末の振動で起きてしまうこともあるだろうと手のひらからそっと抜き取って、仕事机にあった充電器に挿してやる。途端、メッセージの一文が表示された液晶を裏返して息を吐く。
『プロデュース科』育成のレポートだのインターンの報告だの、やるべきことはたくさんあるんだろうけど。今日くらいはもう目に入れなくたっていいでしょ。


かさくん曰く、妻瀬が『Knights』のなかで一番仲良くみえるのはくまくんだ。
付き合いの長さなんてものはもう、一年や二年では変わらないのかもしれない。
クラスでは相変わらず俺に引っ付いてる妻瀬も波長が合うのか格段にくまくんと仲良くなってるし、部屋にも入り浸っているみたいだし――ある程度の距離を容認している。たとえ恋人関係でなくたってその程度には気を許している。……きっと、俺よりも。

そういえばさっきの質問は有耶無耶になって結局答えをもらっていない気がするけれど、くまくんのことだ、他のひとに対しても似たような返しをしているに違いない。
まったく、話を逸らすのが上手いんだから。
妻瀬がくまくんと仲が良い理由のひとつには、そういう空気感の心地良さもあるのだろう。

……妻瀬にはもう俺だけじゃない。そんなのとっくに分かっていたことだけど、あいつの友達枠も相談役も、俺である必要はもうないんだ。
そんな思考を読み取ったかのようにくまくんは口を開く。

「……な〜んか誤解してるっぽいから言っておくけど。鹿矢のいちばんはセッちゃんだよ」
「『Knights』でしょ、あいつが必死になってるのはさ」
「そうとも言うけど。本気で疑ってる?鹿矢の会話の何割がセッちゃん関連だと思ってるの」
「……五割くらい?」
「七割は占めてるかなぁ。……俺目線では、出会った頃からぜんぜん変わってないよ。ずうっとセッちゃん一筋。鹿矢のことを好きなひとが不憫なくらい堂々の一位を陣取ってるのに。さすがに、それを分かってないとは言わないよねぇ」
「……まぁね」

じゃあなにが不満なの?とくまくんは頬杖をついて不思議そうに首を傾げる。
まるで妻瀬が俺のことを好きみたいな言い方をするじゃん、とも思ったけど、語弊を生みそうなだけで間違ってはないかと腑に落ちる。そばにいたくまくんが言うのだから尚更だ。
あいつの『特別』枠だろうくまくんや朔間やらを押し退けてなんだかんだで一番だという自覚は、ある。
あり得ないのは大前提として、極論、恋人になれと言えば頷きそうなくらいの位置に座しているとは思う。

――だから、不満はないけれど。
過去を掘り返すみたいに朔間と関わることも増えているし、【サマーライブ】では『Eve』だかの“補助係”を務めていた。決して良くはない『広報準備室』の立場や、あんずの先輩としての責務もあった。
外部から『インターン』の件で揺さぶられていたのだというし、身体的にも精神的にも平常であるはずがない。関係性が悪くない家族にすら連絡を怠るくらいには疲弊しているから。
勝手に、知らないところで傷を増やしているのに俺の前では大丈夫だと笑っているのが嫌でムカつくだけ。ただそれだけの話だ。

「……基本マイナスなことを口にしないじゃん、こいつ。しんどいことも嫌なことも。……昔からそうなんだよねぇ、いっつも俺たちに気を遣ってばかりで、自分のことは棚に上げてさ」
「うんうん」
「根拠もないくせに大丈夫だって呑気に笑って頑張って。……赤の他人にもそれなりに献身的だから、すぐ良いように使われる。まぁ逆に利用してやろうって性質だけど?」
「ふふ。鹿矢の負けん気の強さはセッちゃん譲りだね」
「俺より強いよ、妻瀬のは。【デュエル】でも【スターマイン】でも結局俺たちの肩持ちまくってたしねぇ?」
「鹿矢は『Knights』の味方なんだから当然。きちんと、グレーゾーンギリギリを行ってるんだろうけど……俺たち関連のライブやらで贔屓しなかった時なんてないでしょ。セッちゃんも嬉しかったくせに」
「……まぁ正直助かってるけど。物好きなやつだよねぇ、妻瀬って」

耐えて、二年を乗り越えてきたからこそ妻瀬は今の地位や縁を得た。
陥れられこそしたもののあいつは折れずに歩き続けた。あの日の言葉通り『Knights』を、俺を追いかけてきた。その強さは本物だ。

いっそ『お姫さま』だとかそういう類のものだったら騎士として守る大義名分もあったのに、というのは全くの見当違いだ。
戦場に赴くお姫さまだって探せばいるんだろうけど――妻瀬をそう呼称するには違和感がある。そもそもお姫さまなんてガラじゃないしねぇ。

もぞ、と布団を蹴る音がする。――そうだ、寝ているとはいえ本人がそばにいるんだった。起きてしまったのかと慌てて振り返れば気持ちよさそうに眠りに浸る妻瀬が見えて、一気に脱力する。
俺がこんなに思い悩んでるっていうのに幸せそうな顔でむにゃむにゃ言っちゃってさぁ。ほんと、ありえないんだけど。



BACK
HOME