#36





「水族館?」
「うん。チケットがあるんだけど、週末一緒に行こうよ」
「悪いけど無理。週末は予定入ってるんだよねぇ」

教科書を鞄に入れて瀬名は席を立つ。
続くように鞄を肩にかけながら無言で悲しみを訴えていると、モデルの仕事なんだから仕方ないでしょ、と若干やりにくそうに息を吐いた。

「そんなに行きたいならくまくん誘えばいいじゃん?昼間に動くかどうかはべつだけど」
「…………」
「……何」
「なんでもない。凛月はお昼間外に出るの嫌だろうし、他を当たります」
「あっそ。かさくんは家の用事があるって言ってたし、なるくんは俺と仕事だよ。『他』のあてなんてあるわけ?」
「失礼な……私にだって『Knights』以外の友達くらいいるよ」
「へぇ?例えば誰。言ってみなよ」
「え〜……」

『Knights』以外で近頃連絡を取ったひとから上げてみれば、さきほど私の体調を心配するメッセージを寄越した巴だ。
先日のお礼ももちろん、そもそもどこかで遊ぼうねと約束してた巴はショッピングを所望していたから希望外の場所へ誘うのは憚られる。折角ならお望みのところへ連れて行きたいので却下。

次点は昼休みにガーデンテラスで鉢合わせた羽風だけど……海洋生物部の縁ですでに水族館のチケットを持っているに違いないし、これを機にあんずちゃんを誘うことだろう。絶対そう、私が羽風だったらそうする。
チャンスだらけだったはずのバカンス中は私が呼びつけてばかりで邪魔をしてしまったから今回はスルーがベター。ということで、三番手まで潰れてしまった。

「…………蓮巳、週末水族館に行かない?」
「断る」
「即答」

日直の仕事に勤しんでいた蓮巳に声をかけてみればこのザマだ。
俺を巻き込むな、みたいな表情でこちらを見るのは傷付くのでやめてほしい。

会話を聞いてただろうから同情のひとつでもしてくれるかなという淡い期待は無常にも切り捨てられてしまった。蓮巳と二人で出かけたことなんてないし、誘ったのは百パーセント勢いなのだけれど。
ほら見たことか、と腕組みをしている瀬名はムカつく笑みを浮かべてる。くっ、悔しい。

「瀬名ぁ、行こうよ〜」
「無理って言ってるでしょ〜。諦め悪いんだから……ほら、ぶつくさ言ってないでレッスン行くよぉ」

すたすたと歩いていく瀬名の後ろ姿を追いかけて、扉を閉める。
そして話題は水族館から新作のメンズ化粧品の話へ。瀬名の愛用ブランドのひとつが今度は女性層も取り組むべくユニセックスコスメブランドへと転身するんだとかなんとか。
へぇそうなんだねふ〜んと口を尖らせながら相槌を打っていると、スタジオへの道すがらジュースを奢ってくれた。珍しく食い下がらない私はさぞ面倒で、黙らせようと思ったのだろう。ジュースひとつで落ち着くと思われているらしい。悔しいけど大正解である。

夏休みが終わったとはいえまだまだ暑い季節。
潤いを求めていた喉は歓喜、さらに買ってもらったということもあって、特別な味が舌に広がっていく。

「……妻瀬、そのジュース最近よく飲んでるよねぇ。そんなに美味しいわけ?」
「瀬名が買ってくれたから自分で買ったときの百倍は美味しいよ。飲み干すのが勿体無いくらい」
「拗ねてたと思えば調子が良いんだから……。そもそもそういうクサいセリフ、どこで覚えてくるの」
「深夜ドラマとか少女マンガとか?近頃は実写化も多いし、試写会のチケット貰ったりするからよく観るかも」

そのうち瀬名もスクリーンデビューしちゃったりして、なんて笑っていると彼は「それも悪くはない」みたいに頬を綻ばせる。
卒業後も芸能界に身を置いて、何かしらの活動を続けるとするのならそんな日も夢じゃない。
スクリーンいっぱいに映し出される瀬名は、きっと観客の目を瞬く間に奪うことだろう。考えただけで誇らしい。

期待半分、寂しさ半分。
その頃にはもうこうして隣を歩くことはないのだろうと考えると、寂しさに振り切ってしまうけど。気持ちの整理は始めておかないとなぁ、と思いながら頭の隅へと寄せていく。寂しいのも悲しいのも今は必要のない感情だ。


窓から差す陽光はまだまだ激しくて、それを避けつつ先を歩く瀬名の後ろ姿を追いかけながら、ジュースを喉に流し込む。やっぱり今日のジュースは格別。すごく美味しい。

瀬名アイス、瀬名ごはんに次いで瀬名ジュースまで貰ってしまったこの夏はたいへん贅沢で、歴史に残る大珍事が頻発している心地である。
今回も記録として大切に残しておこうとシャッターを切る。ついでにと瀬名の後ろ姿も捉えれば、ファインダー越しに視線がぱちりと合った。

「ボサッとしてたら置いてくよぉ。ジュースならスタジオで撮ればいいでしょ」
「え〜。瀬名ジュースと廊下を歩く瀬名の後ろ姿のツーショット、良くない?」
「変な名前をつけるな。ていうか、俺の許可無く撮らないでよねぇ?俺の背姿にどれだけの価値があると思ってるの」
「あ、そうだ、せっかくだしスタジオでしっかり撮影させてくれる?広告っぽいかんじで撮ってみたいな」
「人の話を聞けっ!……まぁ、撮影の練習くらい付き合ってあげてもいいけどさぁ?」
「やった」

――ポケットに潜ませていたチケットは無駄になってしまったが、瀬名ジュースと撮影権を得られたと思えば安いものだ。
いつもの瀬名では考えられないほどの許容なので、恐らくは、私の誘いを断ったことを少しは申し訳ないと思ってくれているのだろうけど。

元々は瀬名への日々の労いと感謝にと思って二枚買い取ったんだし、無理に他を探す必要は無い。
家が経営しているという水族館のチケットを売ってくれた深海くんには絶対行くねと言った手前申し訳ないけれど、放送委員の誰かにでも譲ることにしよう。




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