#37
水中トンネルを歩きながら辺りを見渡す。
幻想的で迫力満点なそれは『あおうみ水族館』に足を踏み入れてすぐに来場者が目にする大海を収めた水槽。
謂わばオープニング的な立ち位置で、まるで海の中を歩いているかのような光景は圧巻だ。
さすが休日、大盛況ということもあって視界が一部遮られてはいるけれど、裏を返せば人が多くいるからこそ“海の中の通路”のようなものに感じて面白いのかもしれない。人が空く時間を見計らって訪れればまた違った雰囲気を楽しめるのだろう。けど。
「(場違い感が否めない…………)」
両隣後方にカップル、少し離れたところに家族連れ、前方斜め右方向に付き合いたてっぽいカップル。……分かってはいたけど水族館なんて格好のデートスポットである。
独り身の私なんてまず眼中にないでしょう、でも私が気にする。逃げ道もなく甘い言葉のサンドイッチどころかほぼ四方を包囲されているのは中々の拷問だ。
遠目には家族連れが多数確認できるのに私の周りだけ様子がおかしい気がする。なぜ。
「(……意地でも凛月とか引き連れてくればよかった。完全に間違えた〜……)」
放送委員の子たちに声をかけてみたものの、予定があるだとかでチケットは行く先を失ってしまったので――さすがに勿体無いからと訪れたのだが、館内案内図を携えてひとり寂しく歩いているのなんて私以外に見当たらない。
しばらくはこのカップル御一行と共にすることになると思うとめちゃくちゃ気が重いんだけど。
せめて自分の世界に浸れるように音楽でも聞くことにしよう、とイヤホンを取りだして再生ボタンを押す。
ランダムで再生されたのはニ年生の春頃に月永が作っていた曲。楽しげなメロディラインに彼らの声が乗って音が紡がれる。
うわ、懐かしい、なんだっけタイトル……。答えを求めて端末を確認するも表示されている文字は『no title』。きちんと登録していなかった過去の自分を蹴り飛ばしてやりたい。
昔は、イントロを聞くだけでタイトルだって全部言えていたのに。記憶のキャパシティを増やす機械とか逆先くんあたりが発明してくれないかな。
瀬名に聞けば覚えているだろうか、と不在のひとを想いながらブルーにライトアップされた水槽をぼうっと眺める。
曲にあわせて海月がふよふよと水中を漂っているように思えて、なんだかちょっと面白い。人魚の世界の映画を思い出して楽しくなってきた。荒みかけていた心も洗われていく心地だ。
「(……幸せそうで、楽しそう。いいね)」
まぁ、こんなに綺麗な空間にいたらロマンチックな雰囲気にもなるのも必然だろう。
楽しそうに語り合いながら、お揃いの指輪を嵌めて、手を繋いで、幸せそうでなによりじゃない。
自分とは無縁のものと半ば割り切って二年弱、羨ましく思わなくもないけど――そう穏やかに思えるくらいには余裕綽々。神様仏様月永様である。と、思っていたのも束の間。
「(………………いやいや待って、左右のカップル、どっちもイチャイチャし始めた。こんなところで乳繰り合わないでよ……。やっぱり帰りたくなってきた)」
掌を返すようだけど、背に腹は変えられない。
私を囲う一角が崩れようものならすぐに脱出を図ってやる、と心に決めながら海月を見つめているとうっすらと水槽に映る後ろのカップルの視線とぶつかって、いよいよ居づらさは最高潮。
仕方なく水草へと視線を落とせばぽんぽんと肩を叩かれる。
じゃ、邪魔ってことか。分かりました、いま退くから――と振り返ろうとした瞬間、音楽が、私の世界から奪われる。
「……我輩を無視するとは悪い子じゃのう」
「い、っ」
代わりに注がれた艶のある声は聞き慣れたもの。
顔を上げれば、いつの間に私の背後を陣取っていたらしい朔間さんがイヤホンを手に不貞腐れた様子で私を見下ろしていた。
……そういえば。深海くんから水族館のチケットを買っているときに朔間さんも居合わせていて何枚か買ってたっけ、と此処にいる理由は納得したのだけれど。まさかこんなところで鉢合わせるなんて。昼間は凛月と同じく活動時間外のはずなのに。
「何度呼んでも無反応じゃから嫌われてしまったのかと思ったわい。……まったく紛らわしい」
「ご、ごめんって。まさか声をかけられるとは思わなくて」
なるほど後ろのカップルと目が合ったのは朔間さんが何度も私を呼んでいたからということらしい。
無事会話を始めた私たちにホッとしたような表情で笑いかけてくれたので、せめてもの謝罪を込めて一礼する。デート中に変な場面に遭遇させてごめんなさい、どうかお幸せに。
合流できたみたいでよかったね、と和やかな会話が聞こえてくるので良い人たちだったのだろう。まぁ、合流はもとより約束してたわけでもないけど。
「朔間さん、よくこのカップル要塞に入ってこようと思ったね……」
「鹿矢が窮屈そうにしておったからのう?見るに見かねてというやつじゃ。……それにしても、青春モノが好きだとか言うわりに『本物』に挟まれると萎縮してしまうとは。相変わらず初心で愛らしいのう」
「あれはファンタジーだから〜……現実とは違うの。活字とか絵とか、映像で観るから良いのであって」
それにカップルが恥じらいもなくラブラブしてる時点で『青春モノ』というより『恋愛モノ』だよ、と持論を捲し立てれば朔間さんは可笑しそうに肩を揺らす。
「くくく、『青春モノ』も奥が深い。まぁそのあたりはべつの機会にじっくり聞かせてもらうとして。……見たところ連れはおらぬようじゃが、一人で来たのかえ」
「……ま、まあ。そうだけど」
「……ふむ。……ならば、我輩がエスコートしてやるとするかのう」
一緒にまわろう、とかではなくてエスコート。
私の返答を聞く間も無く朔間さんは得意げに手を取って歩き出す。
――神様仏様に祈るまでもなく、居づらさのようなものはすっかり無くなってしまった。
カップル要塞を抜けた先も人でごった返しているのに気分は軽い。
誰かがいてくれるというだけでこんなにも視界も気持ちも晴れるものなのか。表情が緩んでしまいそうなのを堪えて、斜め上へと視線を送る。
「……連れ出してくれてありがと」
「……なぁに。これも元カレの務めじゃよ」
それはぜんぜん違うと思うんだけど。なんだか満足そうだしまぁいいか。
薄い青が反射して、ヴェールのように朔間さんを覆っている。
いつぞやの赤い教室とは正反対の、寂しさのひとつもない賑やかで清涼感のある世界の中で隣り合っている。
赤も青もどちらも似合うなんて、ずるいひと。
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