#40





【サマーライブ】や南国でのライブ、『インターン』に――『Knights』の活動で言えばポートレート撮影や【スターマイン】と他にも諸々、この夏は多忙なあんずちゃんに負けず劣らず多くの現場へと足を運んだように思う。
書き入れ時ということもあって、突発的なイベントも頻繁に生じたものだ。

そのすべてに足を運べるかどうかは別として。
郊外で何らかの活動が生じた場合は逐一報告を入れてくれる彼女の性格だから、水族館でのライブの開催が決まりながらも音沙汰が無かったことには違和感を覚えた。
気落ちしていて連絡を忘れていたっぽい、というのが答えのようだけれど。

曰く、びしょ濡れの原因はプールへの落下。それを羽風に助けられたのだと言う。
そばに寄って大丈夫かと言葉をかけたものの反応は鈍い。
しとしとと滴る水をハンカチで拭えば申し訳なさそうな瞳がこちらを向いて、何かを言いかけたところで、それを遮るように三毛縞くんの声が私を捕まえた。

「鹿矢さん。少し、話をしよう」



***



場に集った面々にあらかたの説明を終えた三毛縞くんに応えるように近づけば、捉えどころのない緑色と目が合う。
見慣れない深い緑。友人と呼べるほどの仲でもない、クラスメイトやビジネスパートナーが精々の彼からの話と言えば仕事かあんずちゃんの話題だろう。

「……療養という名目で少しの間休んでいただろう。それで遠慮したのか今回のライブの件、あんずさんは君に連絡を入れることを躊躇っていた」

眉を下げた三毛縞くんは少しの翳りを見せながらも、いつも通りの笑みを纏っている。

「『自分が未熟なせいで負担をかけてしまっていた』とも溢していたから、多少なりとも責任を感じたんだろう。鹿矢さんはあの子にとっては唯一の、直属の先輩で――道は違えど背姿は追うべきものだからなあ」

先輩、もしくは先を行くひと。
私自身も追いかけてきた『それ』になっていることを自覚しろ、という忠告なのだろう。

というか――それ即ち、三毛縞くんから見て私はあんずちゃんの『先輩』そのもので在れているということだ。
叱咤らしい口調であれそう肯定されるのは気分が良い。思わず口角を上げた私に、三毛縞くんはぴくりと眉を動かす。

「先陣切ってる人間がふらつくのが良くないことは理解してるよ。……迷惑をかけてしまってごめんね」
「言葉と表情が噛み合っていないなあ……。療養と言っても、倒れるより前に・・・・・・・休暇を取ったんだろう。それにしてはあんずさんの反応も過剰な気がするが……個人的には懸命な判断だと思うぞお?『広報準備室』も複雑な立場で大変らしいしなあ」
「……。大変は大変だけど今に始まった話でもないから」

朔間さんが気にかけるようにと頼んだと言ったようだし、この半年近くで世話になった『アイドル』はみんな、彼女を想う気持ちがあるのは知っている。

でも、それよりも違う温度で。
個人の情を含めて他よりも多めに、三毛縞くんはあんずちゃんのことを心配して言葉を寄越したのだろう。
……『広報準備室』の話題を出してきたあたり、もう一つくらい理由はありそうだけど。

「『広報準備室』は至って平和、平常運転よ。ベテラン風吹かせながら走り抜けてる最中なのでご心配なく」
「なら、良いんだが。……あの子だけじゃない。鹿矢さんが思っているよりもずっと、君は多くのひとにとって大きな存在だ。それを肝に銘じておくことだなあ」

彼女の性格や仕事ぶりもあって『プロデューサー』思いの『アイドル』は学院中に存在する。なので、先輩なんてものは山ほどいる。
広報業務を引き継いでいる子だってあんずちゃんだけじゃない、委員会や生徒会に何人もいる。

事実、私の代わりはけっこう居るのだ。
それこそ今まで代役はいなかったけれど、もう、違うのに。“それ以上”も居るのに。いずれお役御免になる私に、意地悪なことを言う。

「──うん、ありがと。明日からは今まで以上に『先輩』の名に恥じない働きをするように努めるよ」
「……さすが『先輩』、お手本のような台詞だなあ?寧ろそれが在りたい自分を実現するための暗示なのかもしれないが」
「解析するのやめて。私がそうって言ってるんだからそうなの」
「ははは!日に日に泉さんに似てくるなあ。教室では相変わらず微笑ましいほど『べったり』だし――」

変わらず仲睦まじいことは朗報だろうなあ、と三毛縞くんは柔らかく表情を崩す。
誰にとって『朗報』かなんて、わざわざ言う必要はないだろう。私と瀬名と三毛縞くんに深く関わる共通の人物は一人しかいない。

水族館を訪れでもしたら、魚もイルカも何もかもが彼のインスピレーションを刺激して白紙の五線譜を瞬く間に埋めていくに違いない。
水槽の青。プールの底の、青。見上げた先の空の青。
その中心で。笑顔と音楽を撒き散らすオレンジは、きっと、よく映える。




***



手を引かれて青の世界へ溶けていった二人の背中はもう見えない。
私たちが話している間にも羽風はあんずちゃんを“着替えを買いに行く”と連れ出したようで、ゆっくりとではあるけれど『アイドル』――否、後輩や同輩、先輩である彼らと絆を育みつつある彼女を思うと穏やかな心地になる。

信頼関係は突然生み出されるものではない。
緻密にコミュニケーションをとり、互いにその人となりを知ることで良い方向へと歩むことができる、というのが持論だ。
性別の壁はあるかもしれないが、『アイドル』同士の切磋琢磨もさることながら『プロデューサー』や『広報』にも同じことが言えるだろう。

先輩後輩関係にあるし、ましてや唯一の同性である私は不安の種を真っ先に取り除いてあげるべき存在だ。
まあ今回は不調の一因になってしまったんだけど。
だからこそ今あんずちゃんの手を引けるのは自分ではなく『アイドル』かつ『先輩』であり――少なからず好意を抱いて視線を向け続けてきた羽風で、寄り添うことができるのだと思う。

「(……でも。やっぱりあんずちゃんには倒れたことを言わなかったほうが良かった、かも。余計な心配事を増やしてしまったんじゃ先輩失格よね)」

幸いにも三毛縞くんには伝わっていないようだったが、彼の言葉とあんずちゃんの先ほどの申し訳なさそうな視線。【スターマイン】の日の一件が尾を引いているのは明らかだった。

休暇自体を謝るのはきっと違うけれど――当たり前に、それ以前にもっと視野を広げて配慮すべきだったと後悔が過る前に。
手のひらに爪が食い込む前に、自ら離したはずの温もりが戻ってくる。

「…………朔間さん」

どうやら客席へと移動を始めた一行に遅れをとっていたのを気遣って戻ってきてくれたらしい。
視線を向けるわけでもなく、言葉をかけるわけでもなく掴まれた手は、覆いかぶさって、込めた力を抜くように促す。

「あはは……先輩も一筋縄でいかないね、難しい。少しだけあった自信も無くなりそう」
「おや、今日はやけに弱気じゃのう。もうお手上げかえ」
「まさか。……この後悔も、次に繋げるよ」

都合の良い展開の妄想をしたところで、上手くやりきれなかった自分の無力さに苛まれるだけ。
きちんと向き合わなければ望んだ道になんて到底辿り着けなくて、同じ失敗を繰り返して泥沼に嵌るのがオチ。

――そんなのはもう、二度と御免。
だから今度こそ上手くやる、やりきる。
違うのなら来た道を戻って、軌道修正する。
誤ったのなら帳消しにするくらいに正解を出してみせなければ。無意味に、無価値に終わるわけにはいかない。

「トライアンドエラーっていうか……諦める理由は今のところ見つからないし、見つける予定もないかなあ、と」

あんずちゃんの『先輩』でありたいと思い続けているのは彼女自身の魅力に惹かれてという理由もあるけれど、初めてできた直属の後輩だからという理由もあるけれど、朔間さんという先輩がかつての私を支えてくれたのが嬉しくて、心強くて、幸福だったからこそ――自分もそんな存在になりたいと願ったのだ。

だから、応えたい。先輩の務めを果たしたい。
道を模索し諦めないのが朔間さんの知る私なんだと言うし、そんな理想めいた『私』を裏切るのはイヤだ。
……朔間さんはずっと、期待してくれている。だからこうして手を取ってくれている。勿体ないほどの賞賛を正面から受け止めるのは難しいけれど、突き返すほど馬鹿じゃない。

「……今回は弱音を吐けただけ及第点と言ったところかのう?しかしその煮え切らぬ表情から察するに、思うところもあるのじゃろ」
「凝縮はしたけど弱音はさっき吐いたくらい。あとは褒められたものじゃないから堂々とするのは違うかなって。……朔間さんが私にしてくれたみたいに、後輩を思う気持ちだけで動いてるわけじゃないもの」

ただ、『先輩』や『広報準備室』は、私のやるべきことを為すための皮で、立場だ。
なりたい私の中間地点。未来の、大切なものの幸せに繋がる投資活動のひとつ。
必要だから、利益があるから頑張っている。もちろん夢とか希望もあるけど究極的には自分のためだから、純粋なものではない。……悪だとは思わないけれど、善でもないだろう。

視界の端で次第に小さくなっていくひなたくんたちの姿に目をやる。
せっかく遅れないようにと戻ってきてくれたのに、ここままだと置いて行かれるのは時間の問題だ。

そろそろ行こうかと笑いかければ、朔間さんの赤がぐらりと揺らいで私を映す。
喜怒哀楽それぞれの含んだものを何度か見てきたが、動揺に満ちた瞳はあまり見たことがない。

「……どうしたの」
「…………いや。鹿矢はかつての我輩が後輩を思って恋人にしたと、そう思っておるのかえ」
「き、きちんと聞いたことはなかったけど……心配して『朔間零の女』にしてくれたんでしょう。偶然、危ない場面に出くわしたからそれをきっかけに」
「……まあ、そうじゃのう」

とりあえずの肯定だけを置いておいて心ここに在らず。
今度は朔間さんが煮え切らない表情で何かを考え込むように、口を閉ざして──見上げた先の輪廓は既視感のある寂しさを帯びている。

「(──ああ、そうだ)」

一方的に、別れを切り出した日。
私の頭を乱暴に撫でて笑っていたけれど、声色だけはいつもと違っていた。寂しいものだとすぐに理解できた。

今も、同じ。シチュエーションも何もかも違うが、私はまた私の言葉で寂しさを与えてしまったのかもしれない。

何度も離してしまった自分にそんな資格はないと知っている。優しさに刃で報いてきたことを忘れてなんかいない。
理解はしている、けれど。

もう、一秒だってそんな顔をさせたくなくて。
考える間もなく、私は。




BACK
HOME