#44





――【ジャッジメント】。
月永の口から耳馴染みのあるそれが言い放たれた日から数日。
『Knights』はオンオフの切り替えにおいても他のユニットより比較的──いや、“けっこう”感情的だけど。今回ばかりは早々にエンジンをかけて、情報収集にレッスンにと戦う準備を着実に進めていた。

この喧嘩を買った張本人たる司くんは今日も一番乗り。
二番手になるくん、ほぼ同着の私と続き、各々ストレッチやダンスの復習に勤しんでいる。

「(……【ジャッジメント】ねぇ)」

眼前のモニターに表示された文字列に、タイプミスなんじゃないかと何度目を疑ったことか。
企画書を片手に、ほんとにジャッジメント?とIQ低めの問いかけをしたときの瀬名の顔と言ったらそれは酷いものだった。
だって信じたくないでしょ、月永を相手取る【ジャッジメント】 内部粛清 なんて。
それも負ければ『Knights』を解散させるとかいう条件付きとか。

構図としては月永と司くんの衝突に限りなく近いけれど、予め計画されていたそれを突発的なものと言って良いのかは微妙だ。何らかの思惑があってのこと、だとは思う。

……でも。意図を聞いてもたぶん、はぐらかされておわり。
近頃の夢ノ咲特有の、ステージ上でのぶつかり合いでこそ心を通わせられるとかいう風潮に一縷の望みを賭けたい気もするけれど、学院を離れていた月永に適用されるかは分からないし。

せめてため息が漏れ出ないようにと小さく唸りながら天井を仰いでいると、ちょうど部活の用事を終えてやってきた四番手の瀬名とばちりと目が合う。
誰と目が合うとも思っていなかったのでなんだか気恥ずかしい。

「お疲れ」
「お、おつかれ。逆さまの瀬名さん」
「あんたが逆さまなんでしょ。……もう、髪ボサボサになってるじゃん。せっかく近頃は整えてると思ってたのに」
「ははは。まあ、先輩の威厳維持のためにもカッコつけてないとだし」
「妻瀬に威厳とかあったんだ?」
「少しくらいあります〜」

今のボサボサ妻瀬からは微塵も感じないけどぉ、と呆れながらも瀬名は私をきちんと座らせて、慣れた手つきで髪を整えていく。
今朝の星座占いで一位だったのは本当らしい。明日からも絶対チェックしよう。

舞い上がりそうなのを堪えて大人しくしているのが漏れ出ているのだろう。
愛犬と戯れているようですね♪だの、アタシもブラッシングしたくなってきちゃった、だのと生暖かい眼差しを向けられるのは日常茶飯事。
初めこそ司くんは私を瀬名の秘書だと思い込んでいたようだけど(それもべつに正解じゃないけど)、時が経つにつれ認識が雑になってきた気がしなくもない。いまや愛犬だし。もしかしたら先輩の威厳、無いのかもしれない。

「ああ……そうだ。曲調達の進捗は?結局、妻瀬の方でも練習曲は追加できそうなの?」
「私の方で三曲滑り込ませたよー。あとは学外の知り合いにも声掛けてるから……二、三曲追加のイメージでいてもらえれば」
「厳しいけどまあそんなところか。引き続きお願い」
「ふふふ。了解」
「笑い方がウザい」
「ひどい、顔見えてないでしょ」
「そんなの挙動で分かるから」

閑話休題。
今回、あんずちゃんは『Knights』側の味方である――のだと、思う。
内容を知らされていなかったとはいえ、月永の指示のままに『Knights』の存亡を左右する【ジャッジメント】の下準備を整えていたことに責任を感じているのか、レッスンにも可能な限り付き合ってくれているし、衣装においては『Knights』のものだけを懸命に作ってくれている。

『勝利の女神さま』を味方に付けられたのは最高。とくに彼女に懐いている司くんのモチベーションも上がって全体的に良い雰囲気だ。

「(そう、雰囲気・・・は良い。いつになく団結してるしここ半年の集大成感はある)」

けれど問題は山積み。
対戦相手に難あり、というのはもちろんだけど筆頭は言わずもがな楽曲の制限だ。
なんと月永は【ジャッジメント】において、自身が作曲した『Knights』の持ち歌で戦うことを禁じたのである。

ライブ対決において曲は必要不可欠な武器だ。
学院には授業で使うような練習曲があるので、それらを使う申請をすれば良い話ではあるが――『革命』以降形骸化しつつあるものの【ジャッジメント】は『B1』にあたる非公式戦。調達しようにも限度がある。
広報特権でそのあたりを有耶無耶にしようとしても、今回はどういう訳か“強豪ユニットのリーダー様”が月永側に立っているっぽいし、あまり期待はできないだろう。

月永が作った曲は数え切れないほどある。
……それらを携えて、『Knights』は戦ってきた。だから非公式戦だろうと楽曲調達なんて慮する必要の無かった部分で、文字通り悪戦苦闘中なのである。

「無尽蔵に歌をつくり続けられる最強作曲家が相手だもんね〜。『臨時ユニット』用に書き下ろすだろうから、月永の新作を聞けるのは嬉しいけどさ」
「楽しみにするのは勝手だけど。俺たちはその曲に勝たなきゃいけないんだからねぇ?」
「わ、わかってるって」

学院外での縁を頼って幾らかは調達できたものの、ライブ中でさえペンを取ってしまいかねない月永が相手ではその数も微々たるものに違いない。

――『練習曲』はその多くが月永がかつて作った曲たちで、そもそもそれが抜け道なんだろう。
敢えて指摘しないのかは分からないけど、それが罷り通るならば。『Knights』は彼の曲を一番に彩ることのできるユニットなのだから、幾らかやりようはあるはずなのだ。

とはいえ『Knights』のためにと作った彼の曲そのものは使えないわけで。
だからこそ私は、抜け道さえ閉ざされてしまった『もしも』も想定して――『Knights』のイメージから離れないような、手札になり得る楽曲を揃える必要がある。
実際、【ジャッジメント】に臨むにあたって私が一番に役立てるのは此処だろう。

「そうそう。これ、昨日許可もらった追加分の曲の楽譜。瀬名と凛月と、あんずちゃんの分はここに置いておくね。なるくん、司くん、取りに来てくれる?」
「はいは〜い♪さすが仕事が早いわねェ。……へェ。ちょっと激しめの曲だけど、エレガントじゃない」
「妻瀬先輩の闘志を感じる選曲ですね。ありがとうございます……⭐︎」
「喜んでもらえてよかった。音源流すねー」

さて、未だ顔を見せていない凛月はともかく瀬名のお眼鏡にかなうだろうか。……指は私の髪を持ったまま止まっているので、机に置いた楽譜を見ているようだけど。
音源を再生しようと端末の画面をスライドさせていると、何かを言いかけたらしい、という呼吸が届く。

「……瀬名?」
「…………あのさ」

一拍。続く小さく息を呑む音。

直感、だが――これは――良くない。
良くない、気がする。そんな気配だ。
そうだ、音源を流してしまえ、はやく。はやく。でも、どうしてか指は瀬名の言葉を待っているかのように動かない。

髪を結ってもらっている手前、逃げ出すという選択肢は無いも同然で――動かない体を置いて逃げようと鼓動だけがばくばくと主張し始めて――それすらも覆い尽くすように。
控えめな声色が、当たり前に言葉を紡ぐ。

「……妻瀬。去年『王さま』から教わって、曲作ってたよねぇ。それ……使えないの?」

ああ。なんだってそんな昔話を、覚えているのだろう。





***




「おいっす〜。……あれっ、鹿矢は?今日は予定無いって言ってた気がするけど」
「あいつなら曲の調達。今朝アポ取れたんだってさ。ひとっ走り行ってくる、ってさっき出て行ったよ」
「な〜んだ、入れ違いかぁ。毎日毎日よく駆け回ってくれるねぇ?」
「『Knights』のためなんだから本懐でしょ」

――その二文字で済まされるのはちょっと可哀想だけど、まぁ、間違ってはないかもね。
『王さま』が顔を見せるようになって以降、ずっと浮き足立ってるみたいだから仕事に奔走するのがちょうど良いのかもしれない、と漏れ出る欠伸を飲み込んで体を伸ばしていく。

出先から戻ってくる予定ではあるらしい。
鞄の中身だっただろうもの、もとい教科書や書類をまとめたファイルやらはレッスン室の奥に綺麗にまとめて積まれている。
自室の作業机の上は雑なくせに外面だけはちゃんとしている彼女の性分を紐解けばセッちゃんに辿り着きそうなあたり、冗談抜きで毒されていると思う。いったい鹿矢の何割がセッちゃんでできてるんだか。

そんなことをぼんやり考えていると、ナッちゃんがいつものように話題をひとつ溢す。
鹿矢が新たに持ち込んでくれた曲がなんとやらとか――だけど今日はどこか雰囲気が違うと感じたのは、セッちゃんの纏う空気感が寂しげなものだったから。
だから、少しだけ気を張っていたんだけど。

「――鹿矢の曲」
「ええ、楽曲の件で先ほど話題に上がりまして。……妻瀬先輩は以前作曲を嗜まれていたのだとか。完成には至らなかったと仰っていましたが、やはり多彩なお方なのですね。さすが、お姉さまの『先輩』です♪」

それでも。
予想だにしなかった方面の話題は心のどこかをずぶっと刺して、閉まっていたはずのものを抉り出していく。
新たに知った身近な先輩の一面が誇らしいのか、ス〜ちゃんは嬉々として目を輝かせて楽しそうだ。

「『黒歴史だから楽譜は捨ててしまった』らしいので、聞くことが叶わないのは残念ですが。……先輩のつくっていた歌はどんなものだったのでしょう。やはり王道なidle……『アイドルソング』でしょうか……?」
「案外ロックとかメタルだったりしてねェ。鹿矢ちゃん、た〜まに繁華街のライブハウスに出入りしてるみたいだし」

この中で適切な回答を出せるのは彼だけだろう、と視線は自ずとセッちゃんへと集まる。
普段どおり、流れるように口を開いたのは、少し意外だった。

「かさくんが半分正解。俺もあいつの鼻歌くらいでしか聞いてないけど……ワンフレーズ聞いた『王さま』曰く、青春、って感じのアイドルソングだったらしいよ。……時間も忘れてひたすら楽譜と睨めっこして。まぁ?初心者なりに試行錯誤してたんじゃない」
「あら可愛い♪今じゃあんまり考えられない光景だけど、そんな時期もあったのねェ」
「…………」

――すっかり頭の底に追いやられていた記憶でも、よく覚えている。

歪な音符や指遣いから察するに、得意というわけでもないのに。月明かりだけを頼りにピアノを弾いていた彼女と邂逅した夜、曲は確かに完成していた。

『それ、……失敗作だしさ。どうせ詞もつける予定なかったから、見終わったら適当に捨てておいてよ』

自己満足だからと終止符を打ったあの日以降、俺のピアノを聴くために音楽室を訪れることはあっても、作曲している姿は見なかった。
……捨てておいてくれと言っていた楽譜。たぶんあれが、鹿矢が作りあげた最初で最後の曲だったのだろう。

「んもう、どうして捨てちゃったのかしら……鹿矢ちゃんの曲、聞いてみたかったわァ」
「――まぁ、捨てちゃったならどうにもならないでしょ。無い物ねだりをしても仕方ないよ」

当たり障りのない台詞、だったと思う。
なのに何のフィルターに引っかかったのか、セッちゃんから注がれるのは不思議そうな視線。
……セッちゃんは鹿矢のことになると割と懐疑的で案外鋭い。過保護なお兄ちゃんの側面とはまた違う気もするけれど。

「…………くまくん、知らなかったんだ?」
「うん。その頃の俺は『甘やかす係』でもなかったし、初耳」
「……。そう」

後悔のような色を一瞬だけ灯した瞳は、静かに伏せられた。





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