映画を観に行こう!


夏はホラー映画鑑賞とかいう、悪しき文化。
肝試しやらお化け屋敷やら――私は正直得意ではなくて、別に経験したからといって何になるわけでもないから、この十数年間避けてきた。
ゆえに、夏の映画といえば甘酸っぱい青春モノや、映像美に没頭できるオリジナルアニメだとかをよく観ている。

今年は有名監督がメガホンを取ったという恋愛小説の映像化が話題で、上映を楽しみにしていたところ夢ノ咲学院のOBが出演してるらしく――写真集製作の際に知り合った出版社の人が、試写会のチケットを譲ってくれたのだ。

夏休みも間近。
諸々の予定は控えているものの、まだまだ学生の身分。
勉強という口実で映画館に向かうことは多々あったし、今回も“そういうこと”にして平日の夕方の街中を気分よく闊歩する。
多少の稼ぎはあるとはいえ、家にも入れているし、バイトをしているわけでもない女子高校生が映画一本観るのは、お高いというのが本音で。無料で観れるとなると、テンションも上がるものだ。

「あれ、妻瀬」

開始時間前。受付を済ませて、スクリーンの外をぶらついていると、数時間前に別れた瀬名の姿があった。

「瀬名もチケット貰ってたんだね」
「うん。……まあ、なるくんから譲ってもらったんだけどね。仕事があるから行けなくて、って」
「なるほど」

校外でこうして顔を合わせて――瀬名の私服姿を見るのは新鮮だ。私の記憶の中はほとんど制服姿だし、向こうだってそうだろう。
なんだか少し大人びて見える瀬名に感動してしまう。

「てか、妻瀬は制服で来たんだ?」
「戻るのが億劫でそのまま。買い物もしたかったし」
「ふぅん。……そういえばこの手のやつ、妻瀬大丈夫なんだねぇ。あ、もう入れるみたい」

行くよ、と手元のチケットをひらひらさせながら瀬名は先に行ってしまって、慌てて後を追いかける。
座席は特に指定されておらず先着で好きなところを選択できるようで、瀬名はきっちり目線の合う席を選ぶ。
そういうところ、瀬名だなあとよく分からない感想を抱いた。

席に着いて身支度を整える。
入り口でもらった、映画の広告が印字されたうちわをパタパタ煽ぐ。冷房はついたばかりだったようなので、まだ生暖かい空気が充満している。

「恋愛映画とか久しぶりに観るなあ」
「青春モノよく観てなかった?たいてい同じようなもんじゃない?」
「ちょっと違うのよ、あれは限りある学生時代のきらめきみたいな……そういう刹那的な衝動だったり、恋だったりがさあ。諭したり応援したくなる親心みたいな……?」
「あんたもまだ学生でしょ。共感するとかならまだしも……年寄りみたいな感想だねぇ?」
「失礼な!」

瀬名と他愛のない会話をしていると、開演と注意事項のアナウンスが流れてきたので、どちらともなく会話をやめてうちわを膝に置く。
劇場の明かりが消え、映像がスクリーンに映し出される。
壮大な音楽とともに物語は幕を開けた。

『それで、新しい部長が難儀な人でね……』
『ふふ。お疲れ様、今日はあなたの好きなグラタンを作ったから、元気を出して?』
『ありがとう。せっかく君といるのに――愚痴を言ってしまってすまない』
『いいのよ。……でも今日くらい忘れて、ゆっくり過ごしましょう?』

ロマンティックな音楽が流れながら、恋人二人が仲睦まじく夕食をとっているシーンから話は始まるようだ。
少し大人向けなのだろうか――前知識としては、夢ノ咲学院のOBが出演しているということと、有名監督の手による恋愛小説の映像化であるということ、その表紙が夏空を背景にした向日葵畑で、いかにも爽やかそうな作風であるということくらいだったけれど、チケットに私たちが観れるギリギリの年齢制限がついていたことをぼんやりと思い出す。

だけど、それがサイコホラー恋愛モノゆえだとは、夢にも思っていなかったのである。



***


「(むり、むりむり!無理だって!)」

ロマンティックな音楽はどこへやら。
向日葵畑はいったいどこで出てくるのやら。

ロマンティックなプロローグから一転、恋人が新部長である――バリバリのキャリアウーマンだった――に恋に落ちてしまったことを知った彼女は、猟奇的に彼を束縛し始めたのだった。
まだ、それまでは良かった。いや良くないけど。
浮気を重ね、愛した恋人の変異に耐えられなくなった男は彼女のことを捨てようとする。が、彼女は――男が離れていくことを許さず、監禁し始めたのだった。そして毎晩、解放を求める彼の爪を一枚一枚――。
悶絶する声に、快感すら覚えている彼女の奇声が劇場に響き渡る。

「(瀬名、瀬名は?!こういうの大丈夫なの?!)」

ふと隣に視線をやれば、彼は綺麗な顔を少しだけ歪めていた。それでもまあ“観ること”は出来るのだろう。
おどおどと視線を泳がせる私よりは冷静で、心底羨ましかった。

一応、勉強という名目で来てるので、観ないわけにもいかないのだが苦手なものは苦手だ。
ドリンクホルダーに手をやった瞬間の金属の冷たさにも参ってしまいそうで、もし在庫があるのなら心臓を付け替えたい。

「……妻瀬」

だから、ギリギリ聞こえるくらいの声で控えめに囁かれて、覆い被さるようにして私の手に熱を与えた瀬名の手のひらが――本当なら驚いてそれこそ心臓が止まってしまうくらいだったのに。
むしろ安心してしまって、でも脳が状況を理解することを拒んでいて。
きゅ、と絡められた指先から熱を帯びていく。

「せ、な」
「大丈夫」

優しく目を細めて笑う瀬名に、息を吹き返したかのようにどっどっと鼓動が速くなるのが分かる。
きっと頬も紅潮しているのだろう。映画中であることが幸いにすら思える。
ホラー系が苦手だなんて話をした覚えはなかったのだけれど私の様子がおかしかったからなのか、思考のなにがどう転んだのか、私は瀬名と指を絡めている。

あのサイコパスの女性も、恋人だった男性も、目の前のスクリーンで人生を進めていくというのに、内容がもう頭に入ってこない。
いつの間にかクライマックスも過ぎたようだ。物語もエピローグで、向日葵畑に女性が佇んでいる。
エンドロールも始まる頃合いだろう。

いまだにドキドキしているというのに、終われば、きっと手を離して――でも。その後、瀬名にどんな顔をすればいいのか分からない。
そんなこと今までしてこなかったくせに。結構長く友人でいるけど、スキンシップもあまり無い人だと思っていたからこんなの想定外にも程がある。

悶々としているうちに、エンドロールも終わってしまいそうだった。製作陣の名前が流れていって、最後に監督名で締めて、終幕。
劇場の明かりがつく前に、やっぱり瀬名の指は離れていった。

「……、」
「…………」

どちらとも視線を合わせることなく、隣の人が立つのを待った。
ちらりと瀬名の表情を見てみると、耳が赤くなっている。

「あー、えーっと……その。ありがとう、」

私を気遣ってのことだったと思うから、いつもの調子で一応感謝を述べておく。
するとちょうど良く隣の人が席を立ってスクリーンを後にしたので、慌てて立ち上がって、逃げるようにそれに続いた。

「…………あんた、逃げるなんていい度胸だねぇ?」
「に、逃げてないけど?!」

――劇場の出入り口は一箇所なので、すぐには出れない。だから逃げても、私の隣にいた瀬名は必然的にすぐに追いついてしまう。
案の定、退場する客で詰まっている出口の近くで瀬名に追いつかれて、憎まれ口を叩かれてしまった。
けれど、みんな思い思いに映画の感想を言い合っているので私たちの会話に気をとめているひとはいない。

「……」
「……」

面と向かうと、先ほどまでの熱を思い出して恥ずかしくなってしまうから、逃げたのに。

「……ねぇ」
「な、なに」
「……これ。妻瀬の言う、刹那的な衝動ってやつ?だと思うんだけど」
「…………うん?」
「ああもう。だから、」

珍しく要領を得ない物言いをする瀬名の意図をなかなか汲みきれず、イマイチな反応をしてしまっていたらしい。
瀬名はしびれを切らしたように私の手をとって、指先だけをぎゅっと握りしめる。
私だけにしか聞こえない、焦ったそうな、小さな声で囁く。

「……もう少しだけ、いいでしょ」

引いたはずの熱が、一気に戻ってくる気がした。





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